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この子は発達障害だと「決めつけたい」わけじゃなくて


「じゃあ、療育に電話してみてください。
以前にも行ったことがあるということですので、まずは直接電話で予約することをオススメします」




先日。
区役所に何気なく相談に行ったら
双子兄も、療育に行くことが決定した。




保育園で指摘された双子兄の様子


我が家には現在、
・長女(小3・不登校)
・次女(小2.ASD・ADHDにて個別学級)
・双子兄(5歳)・双子弟(5歳)・三男(1歳)がいる。


三男が生まれてすぐ。双子は保育園の幼児クラス、年少さんになった。
そしてしばらくすると、双子の担任の先生に面談で呼び出された。


それまで定期的に面談の機会があった保育園も、コロナを経てからはその機会は「希望者のみ」になっていた。
その保育園でわざわざ呼び出しをされる。
私には過去にもそんな経験があった。


年少になった次女が「集団行動が難しいようです」と指摘されたときだ。


奇しくも同じタイミング。
奇しくも同じ担任の先生。


そしてすでに私の中には、双子兄を見ていて感じていた感覚が確信めいていた時期でもあった。


「今回はお時間いただいて、ありがとうございます。最近の双子兄くん、双子弟くんのことをお伝えしたいな、と思いまして……」


次女も大好きだった、若い女性の担任の先生。
とてもハツラツとして元気で、私たち家族が大好きな先生だ。


その先生の口からの報告は、8割が双子兄の話だった。
動画で見せられる、集団行動に加わっていない様子。
フラフラにこにこ、勝手にいろんなところを歩き回る様子。
苦手なダンスの時間には、指をしゃぶって参加を拒否している様子。


「双子弟くんももちろん、毎日がんばっていまして……
ただ、やはり様子が気になっているのはやはり、双子兄くんなんですね。
でもまだこれから成長していきますから。彼のいいところを我々も伸ばしていく方向でいきたいと思っています」


そして一生懸命、動画では映っていない、双子兄のいいところも語ってくれる先生。


どれもこれも。想像できた。


「いやあ……。やっぱり。そうですよね。そう思いますよね? 私たちもそう、感じています。思い当たる節ばっかりです、正直」


私はとても気まずそうに声をしぼりだす彼女に、そう声をかけた。


そうですか……。と、先生は私の目を見つめて眉毛をハの字に下げて、笑うような泣くような顔をした。


「次女も、苦手を早めに見つけていただけたので。療育にもつながることができて、今の小学校の個別学級、毎日楽しそうですよ。おかげさまです。
ですから、もし双子兄にも……それが必要そうなら、この先検討したいと思います」


今すぐにどうこう、という話ではないとわかってはいたので、私はそのように伝えた。
「私たちにできること、どんどんやっていきたいと思いますので、何かあればまたぜひ教えてください」
先生は笑顔で言ってくれた。


ああ。ほらね。
私って優等生のフリしちゃうんだよなあ。  
そんな顔をされたら。
こんな風に「大丈夫ですよ」って顔して言わないとなって、思っちゃうのね。


でも。
この言葉はまちがいなく、私の本心だ。


保育園でうちわを作る双子兄(白)と双子弟(青)


次女の「発達障害」を指摘されたとき


時はさかのぼり
次女の様子を指摘されたとき。
私の中では少しの動揺もありつつも。

「納得」だった。

「ただのマイペース」だと思っていた彼女に、「なにか」があるかもしれないと言われたことにたいして。


彼女を赤ちゃんの頃から知る友人や、しょっちゅう顔を合わせる実母・義母でさえ。
次女は発達障害かもしれないんだってと話すと
「本当に? そうは思えないけど」という反応だった。


でも私は。

「なるほど、そういうことか…………確かにそうなのかもしれないな」

話を最初に聞いたとき、そんな感覚だった。

そしてそれは、夫も同じだったと思う。


次女の時は、担任の先生と園長先生もいっしょに、普段の様子を報告してくれた。
集団行動に入れないことや、できないことに対する恐怖心が強く、激しく拒絶する様子を見せること。
今でこそ保育園で個別に対応するなどをしているが、このまま小学校に上がった際に、本人が周りに助けを求められず、気づかれないまま置いて行かれてしまう懸念があること。


次女はそうか。
毎日。困っていたんだな。

そう思った。


毎朝、保育園に行きたくない、と泣いていた時期だった。
さまざまなルールや決まり事にたいして
「できないよ」
「次女ちゃんにはわからないもん」
そう言っては指しゃぶりして、部屋の隅っこで泣いていた。


「今すぐなにか、というわけではないと思います。ただ、先を見据えて、こちらもできることをやっていき、次女ちゃんに自信をつけていきたいと思っています」


当時も、先生たちは私の目を見て、そう告げてくれた。


発達相談に行こう。


私はその場でそう決めた。
自分の感覚。そして、保育園で次女を見つめてくれている先生の視点。

この子が生きやすくなるなら、すぐに行くべきだ。

私には迷いはなかった。


長女(前)にくっつく次女(後ろ)


「発達相談に行く」と決めてから


次女のときは。
まず、区役所の発達相談に行った。

そこで保健師さんとの面談をして、「療育の可否」を診断してもらった。
ブロックを言われた通りの数だけ渡したり。
絵を見てそれを説明したり。
簡単な言葉を聞いて、それを繰り返したりした。

そばで見ていた私と夫は思った。


「こんなに………こんなに、できないもんなんだ」


緊張ももちろん、あったと思う。
でも、それにしても。
言語化したり、数字を認識することはもう少しできていると思っていた。


家族の中で生活しているときは、先んじてこちらが行動して、いろんなことを準備してあげたり、「察して」あげている。
だからつい、家庭の中ではいろんなことを見失っているのかもしれない。
そう感じたし、そう言われもした。



「結論から申し上げますが………療育に行くことをオススメします」



その保健師さんはハッキリとそう告げた。
私は、保育園で「かもしれない」と告げられたときは
「やっぱりそうですよね」と、納得していたはずだった。

でも。
専門の方にハッキリと言われると、心の中に、ズシリとのしかかるものを確かに感じた。

思わず顔を見合わせて言葉が出ない私と夫に向かって、その方は続けた。


「お嬢さんはとくに『聞く力』が今は弱いようです。ですが今のうちから療育に通うことで、確実に力は身についていきます。この段階で来ることができたのはよかったと思っています。なかなか、気づけませんよ。…………よく来てくださいました」


私たちはその後つながる療育で紹介された心理士の方にも、同じ言葉を言われることになる。


「よく決断され、来てくださいました」


――――ああ。よかったんだ。
この決断は間違っていなかったんだ。
次女にとってより良い未来に向けて
生きやすくなるヒントを得るため
私たちはともに、前に進むことができたんだ。


私は、その言葉を聞いて救われた思いになった。


双子兄の場合(現在進行形)


次女は療育に行くまでには、保健師さんから紹介を受けて半年ほどはかかった記憶だ。
それもあって、今回双子兄の件も気にかかっていた私は、休みが取れた今年7月末。ふと駅前の区役所に足を運んだ。

「そろそろ話を聞いておきたいな。保健師さんとまずは面談予約が取れたらいいなあ」程度の気持ちで。


職員の方に現在の様子を話す。
双子兄が保育園で指摘されている様子。
次女も療育に通っていて、そのときの状況と酷似しているため気になっていること。


そうしたら。
思いのほか、早い話に進んでしまった。

冒頭の通り、
「もう繋がりがあるのでしたら療育に電話してみていいですよ」と、なんともあっさりと話が進んだのだ。




私は心の準備をしていったはずだった。でも、まだまだだったようだ。
自分で電話するのがなんだかためらわれ、その予約の電話は夫にお願いしてしまった。

その後、気を取り直して仕事に行った私のスマホに、すぐに夫からのLINE通知が入る。
「再来週に予約とれたよ。まずは親だけだって」
そうして、予約はあっという間に、今月中に取れた。

療育に行けるのは半年先だ、なんて言われていたのが、今回はこんなにも目先の予定に食い込んでくることになった。


もちろん早い方がいい。
そう思いながらも、この早さは聞いていなかった。
正直今も私はまだ、少し動揺している。



ただ「決めつけたい」わけじゃない


ここまでの話は7月中旬からの話で、私にしてみれば異様な早さだ。


この結果次第では。
双子兄にもなんかしらの「発達障害」の名称がつくのかもしれない。
次女と同じように、手帳を発行するのかもしれない。




ふと、思う。

もし。私がなにもしなければ。
「私は気になりません」と気にしないフリしていれば。


彼は通常通りに保育園を卒園して普通に小学校に行くんだろう。
次女もそうだ。
実際、はたから見れば、いたって普通の、よく挨拶のできるニコニコした子。
職場によく連れていくけれど、双子兄や次女が「発達障害」だと見て分かった人なんていないと思う。



そう、これは、
私が「選んだ」ことなのだ。
彼女たちの発達の複雑さに名前をつけようと。
私が夫とともに、「決めた」のだ。



どんなにかっこつけたことを言っても。
私はそう決めたとき。
いろんな将来の可能性を考えて、ドキドキしたことは確かだ。

この名前をもってして、彼女や彼らはどう生きていくのだろうか。
これを、いつか自分の負い目として恥じるときがきてしまうんだろうかって。


「自分の個性の名前」を知らないで過ごした方が。
いいこともあるんだろうか。って。




――――けれど。
次女は療育に行ってから、みるみるうちに成長していくことができた。
そして何より。
そんな本人の様子を見ていて、親である私たちもとても救われたのだ。
彼女の成長に、光を見たのだ。


だから、この決断は間違いではなかったと。

ただ単に、この子たちを「発達障害」と決めつけたかったわけではないと。

これからの未来を明るくすることができると、今は希望が持てている。


だからきっと。
双子兄も大丈夫。そう思って、今、自分を奮い立たせている。





これを読んでくれている方の中には
「自分も発達障害かもしれない」
「自分の子どももそんな話を園でされた」
そんな方もいるのかもしれない。


こんな話をしているが私はけして、「発達障害だとハッキリさせた方がいい」とは思わない。


みんながひとりひとり、違うのだ。
成長度合いも違う。


勝手な言葉で締めくくってしまうが
「どちらでもいい」のだ。極論。



「発達障害」であろうがなかろうが。
大切なのはそこに名前をつけることではない。

「本人がなにに困っているのか」

それをいかにして、親と子で見つめて、あるいは自分で。
問題に対してアプローチしてあげれるか、なのだろうと感じている。



私としては、次女のASD・ADHD(不注意傾向)がはっきりとして
どんな声掛けをしていくといいのかと具体的にアドバイスをもらったことで
お互いに流れる空気がより清々しいものになったと感じる。


彼女がパニックになっても
「今はこういう気持ちなんだね」
と寄り添うことができる。



私は、自分の子どもたちが「発達障害」だと
必死になって決めつけたかったんじゃ、ない。


「この問題に正面から向き合う」ことを選んだのだ。
いっしょに。
彼女と彼の「問題の正体」を知り、立ち向かい、そしてうまく付き合って生きたい、と思ったのだ。




今、次女は個別学級に通って、毎日楽しんで学校に行っている。
それが私は、誇らしい。


いつも笑顔を周りに振りまいてくれる次女。
毎日毎日、「ママ、大好き」と言ってくれる双子兄。


難しいこともあるけれど。
いっしょにいればきっと大丈夫。


あなたたちの個性の名前がなんであっても。
一生いっしょに支えていくと。


母はそう、決めたんだよ。



そんなこと、母はまたかっこつけて言ってるけどさ。


今日もまた怒ってしまったね。ごめんね。
でもさ、母もまたがんばるね。
また不安にもなっちゃうかもしれない。
そうしたらまた、この記事を自分で読んでみるね。
きっときっと大丈夫だよね。



そう、明日もこの先も。
楽しい一日にしようね。



仲良し姉妹
仲良し双子





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