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優等生の「フリ」にはもう、うんざりだ




優等生でいた方が。人生、勝ちゲーでしょ。




当時小学生の私はそう思っていた。

優等生として賢くふるまうため。
自分なりの努力を重ねて、大人の顔色を見て行動してきた。




「そんな自分のことがイヤ!」
「こんな自分を変えたい」
「私。ただの優等生ではいられない!」



私がしたいのは、そういう話ではない。



いいかげん、優等生の「フリ」では終われない。


今私は、そう思っている。



だから私は書き続ける。




優等生の「フリ」ばかりうまくなって


「おい誰か。田中とバスで隣になってくれないか」


小学校の遠足で乗るバスの席決め。
田中さん(仮)は、「何が」とはっきり言われているわけではないが、
発達障害がある雰囲気のクラスメイトだった。
いつも特定の男子を追いかけまわして捕まえては、たどたどしい言葉でなにかを言いながらひとりで笑っていた。
とても細くて小柄で、顔に見合わない大きな大きなメガネをかけていた。

あんまり、友人は多くなかったかもしれない。
バスの席決めは、正直私は座りたい子も他にいたけれど。


「じゃあ先生。私がいっしょに…………」



そんな声が担任からあがったら、私が手をあげた。


「おお、そうか。でも本当にいいのか? 仲良しのヤツとじゃなくって。でも助かるよ。よかったな、田中」


別にいいよ。いいけどさ。
担任がそんなセリフ言うわけ?
あなたが座ればよかったんじゃないの。


心の中の私は、憤慨していた。
でも私は優等生として、ふるまって居ようと決めたから。

「はい、大丈夫ですよ。ね、田中さんよろしく」

この答えがベスト。
私はそう理解していた。

みんなもこれで「助かった」と、きっと思っている。
これで。いいんでしょ、と。



遠足の当日は田中さん、嬉しそうだったな。
酔いやすいからって、私は彼女に窓際の席を譲った。
一番前の先生のひとつ後ろの席。
私が隣に座ったらすぐに、お気に入りのシールをたくさん、見せてくれたっけ。どんなシールだったかは記憶にないけれど、一生懸命、リュックのジップをぎゅっと下げて、取り出したそれを大切そうに見せてくれた田中さんの顔は覚えてる。
私は田中さんのそんな顔、そのときはじめて見た。


そのあと、通路を挟んで隣のクラスメイト達がおかしを渡してくれた。
その流れで
「ねえ、本当に大変だよね。ほら、私たちと話していようよ」
と、その彼女たちは言ってきた。


気をつかってくれたということだと思う。
でも、気をつかうって。
誰に? なにを?


田中さんは聞こえないのか、聞こえないフリだったのか。
窓の外、流れる景色を見ていた。


田中さんと仲良くするって、当時のクラスの雰囲気で言えば「ありえない」ことだった。


田中さんと本当に仲が良いなんて、そんなこと、ないよね?


言葉にはしない、けれどその確認をされているようだった。
そのとき、私は。
田中さんが窓の外を見ているのをいいことに、通路側の補助席を降ろして彼女たちと談笑を始めた。




ばかばかしい。忌々しい。
誰がって、私が。



しょせん、優等生の「フリ」がうまいだけの私。
今ならきっともっと、できることはあったのに。




***


そんなこともありながら。
持ち前の優等生の「フリ」をもってして着実に歩みを進め、
県内のわりと進学校だった高校に面接試験で合格し、入学。

校則の厳しい中学を出た反動で、縮毛矯正して、ルーズソックス履いて、トップの髪は小さい背をカバーできるようにツンツンたてて、大きなピアスをつけて、スカートをこれでもかと上にあげて。
見た目から「謎に張り切っているギャルもどき」としてスタートした。


見た目は派手にしたくっても。
やっぱり「優等生」として認められていたい私。


「保健委員、誰もやってくれる人いないのか。決まるまでは帰れないぞ!」


そんなとき、先生の視線は私に集まって来るのを勝手に感じた。
私は困り果てた先生からの期待にも応えた。


私。できる人間です。
私はちゃんとしている人間ですよ、先生。


アピール甚だしく、常に先生の目に留まるような行動を心がけた。



そのうち、文章を書くと褒めてもらえることに気づいた。
読書感想文だとか、国語の「作者の言いたいことを考えましょう」だとか、何かのセミナーの感想文だとか。

なんとなく、「好まれるであろう文章」を導き出し、
まとめていくことが得意になった。


「今度の学校文集の修学旅行体験記。在校生代表として、書いてくれよ。成績は5をつけるからさ!」


文集のまとめ係になっちまったんだよ、と、その仲の良い美術の先生は私に言った。


その文集に掲載するものを書かなくたって。
私は5をとれますよ。


そう思いながらも、私は「仕方ないっすね、お願いしますよ!」と笑顔で請け負った。


理由は単純だ。


「優等生」のフリをしていると、とても居心地がよかった。


私は「褒められるので」勉強も嫌いではなかった。
中でも「文章」は、とくに褒めてもらえる自分の要素のひとつとなっていった。



仕事じゃ「フリ」は、通じない


そんな私がいざ、仕事に就いて働いてみたらどうなったか?
優秀な成績をあげて、上司からの信頼を得て、後輩からも尊敬をまなざしを向けられているだろうか?






この答えはNOだ。


専門学校を運営する学校法人に就職した私。
そんな私の最初の配属は、運営する中のとある専門学校の広報だった。


そこでとにかく重要なのは、学校に入学を検討してくれる高校生たちを来校イベントに召集するための広報活動。
イベント案内のためのブログ作成、イベントDM、入学案内パンフレットの作成も学んだ。


でも。
イラストレーターもフォトショップも、私にはうまく使いこなせなかった。

私は…………期待されている以上のことを、先まわりして進めていくことはできなかった。

言われていることを素直にやり遂げれば「優等生」でいられた私。

でも。

「これをもっと良くするには、どうしたらいいのか」

そうやって、自分でどんどん考え、他校との差別化を図り、固定概念を切り開き続けなくてはいけないこの仕事において、私は優等生としては上手にふるまうことができなかった。



求められている情報を、小さなハガキに収める効率的な一文。
この学校、いいかも!
そう思わせる、印象的なキャッチフレーズ。







ああ。
書けない。
書けないよ。
私には。書けない。





優等生としてのやるべきことなら、わかっていたつもりだった。
でも、私にはわからなかった。
魅力的な言葉。
誰かを引き付けて、心に焼き付けるひと言なんて。


長い時間を要する間もなく。私は理解した。
優等生の言葉なんて、ここでは求められていない。


衝撃的で、
刺激的で、感動する。
誰も考えられないような言葉。


それが、職場の上司や、高校生たちが求めていることだったのだ。


―――もし。私が、ここで本当の「優等生」だったなら。


ここで努力を重ねて重ねて血反吐吐きながら、
仕事に食らいついてどうにかこうにか。
これだ! という言葉を絞り出していけたのかもしれない、と思う。


でも私は、それを早々に無理だと、諦めた。



しょせん私は
「優等生のフリが上手な人間」だったのだ。




そうして新人として、毎日泣きながら仕事をしていた時期に。
大学で所属していた小説創作ゼミの卒業論文として提出した小説が、まさかの文芸誌に掲載されることとなった。


自信を喪失した私にとって奇跡のような話。
でも当時の私にとっては…………




「どうして。どうして、今なの?」


仕事にプラスしてやってくる、小説原稿の訂正依頼。
赤字で返ってくる原稿が、仕事だけではなく、プライベートにも舞い込んでくる。




 


やめてよ。
もう無理なんだよ。
私、もう、よくやったと思う。限界だ。





運に恵まれた、その喜ばしい状況で。
私はそんな弱音しか吐き出せなかった。


なんとか雑誌掲載までを終えたあと。
編集者の人が気を利かせてくれて
「今後も連絡、取りましょう」
なんて言ってくださった記憶がおぼろげにある。

私はそれに曖昧に返答をした。
仕事が落ち着いたら…………とか、なんとか。

もうその時の私の中にはすでに、
「書く」ための心は残っていなかった。
それはあっけなく炭と化して。散り散りに、消え去った。




その後。異動して、教員となった私。
教員としての仕事は、私には合っていた。
成績なども基準が設けられていて指導案もある。
あとは、ひとりひとりの個性に向き合い、寄り添う。
学生の顔色を日々見つめながら、どう言葉をかけるべきかの最適解を探る。



「優等生」のフリしてた私が、本来得意としていたものを、この「教職」では、うまく活かすことができた。
その勢いにのって資格も勉強し、仕事にも情熱を取り戻すことができた。



―――そこから結婚して子どもを産んで、
周りの協力もあり、産んでは職場に舞い戻るを繰り返し………


今年。
5人の子どもを抱える身として、再び職場に戻った。


その復帰の直前。
これからまた、5児のワ―ママとしてめまぐるしくなる日々をわかっていながら。


4月。
私はなにかに急かされるように、noteに手を出したのだ。



母親としての「優等生」じゃなくっても


私は母としては、別に「優等生」なんかではなかった。
それも、母になってから思い知ったことだった。


朝ごはんには「これでいっか」とカニパンや黒糖パン出して終了することもしばしば。

「忙しいんだよねえ」と子どもに言い訳して、いっしょに遊ばずに、兄弟姉妹で遊んでいるのをひたすら見守るだけ。子どもといっしょに夢中になれるのは、ゲームだけ。

「抱っこして」と言われたら、ぎゅうと抱きあげて「大きくなったね、すごく重いや!」と言って、すぐに降ろしちゃう。

「お菓子~~」と言われたら「私はお菓子ではありませんけど!」と怒る。

いや。ひどいな。(笑)


どうだ!
優等生の母からは程遠いこの姿。



でも私はこんな今の自分が、キライじゃない。


母親になって。
私は優等生なんかではいられなくなった。

母としての「優等生」とはなにかと考えたとき
世間一般でいうところの「母親らしさ」に行きつく。

それで言えば、私はまったくもって母親らしくはないと思う。



でも、それでいい。



私は、母親らしからぬツーブロック刈り込み&パーマで、
ヤンキーが好みそうな派手な柄シャツで日々を過ごし、
子どもに負けじとゲームをやり込み、
なにか言われたら子どもと同じように怒る。


でも、子どもにとって
親が「母らしいかどうか」は関係ない。
少なくとも、我が家は今のところそうだ。




子どもはいつだって、「私」を見つめてくれている。

母が優等生なのか。
世間一般から見て「母」として合格なのかどうか。

そんなこと、まったくこの子たちは気にしていない。



私という人間を見つめて
「大好き!」
と、毎日言ってくれる。



そんな日々を過ごすうち。
私の中で、ひとつの想いが沸き上がった。






この尊い存在について、語りたい。


インスタやXでリアル友人に語るだけでは、私のこの想いは伝え切れない。


そう。そうだ。



もっと文章を書きたい」
「書いて伝えたい」


推し(我が子)への想いが原動力となり、
私は再び「書く」ため、noteに手を出したのだ。




noteに手を出したら、見えてきた「私」


noteを書いてみて。
改めて私は思った。



言葉をつづるとき。
私はどこまでいっても
「優等生」であろうとするのだなあ、と


実際。
noteで書いていることはどれも私の、真実だ。
私は表現したいことを、伝えたいことを素直に書き出していく。

そうすると、優等生でありたい私の心が見え隠れする。


記事のまとめに、みんなの健康を祈る綺麗な言葉をもって締めくくったり。

他のnoterさんの書いている記事を参考にして、noteの流れ、傾向をつかみ、こうするといいのかなあと「noteの『基本的な』正解」を探ったり。

コメントを丁寧にゆっくり考えて
その人にどう届くかを加味して入力もするし。

スキをされたら、してくれた方の元に行って記事をのぞいてみる。

note的………優等生(???)



―――私。母としては適当なのに。
文章を前にしたらやっぱり。優等生であり続けたいと思ってしまう。




誰にでも受け止められる、美しい言葉を使っていこうとする。
みんなが「感動しました」って言ってくれるようなことを、書きたいって思ってる。





ああ、でも。
それが私なんだ。
そう気づいた。


教員として、母親として、
多くの人間と言葉に触れて。


それでも「優等生」であろうとした健気な自分を
やっぱり私は、キライになれないのだ。





だから私は、書く。




あの日。



田中さんと最後までいっしょにシールについて語れなかった私も。
美術の先生に「そんな忖度なくっても、私は余裕で成績取れますよ」と、堂々と言えなかった私も。
「ぜひこれからもお願いします」と、編集者に返事をできなかった私も。


すべて、優等生の「フリ」をしてがんばって生きてきた私。
それを受け止めて、あの頃の私に言ってあげたい。


奇抜なことが書けなくっても。
しょせんは優等生のフリだ、と自分がイヤになっても。
「私」が書いている事実は変わらない。





だったら、もう、いっそ。
私は「優等生」として、あり続けるぞ!って。
どこまでもマジメに、頑張ればいいじゃないか。


そんな私を肯定したくて。
私は、書いている。




記事に想いを馳せる。

育児の隙間に。
仕事の行き帰りに。
休日にたまにできる一人時間に。



すごく。忙しいよ。
ここで飾っても仕方ないから言うけど
すっごく忙しい。
毎日誰かが体調悪くて
長女の不登校は続いていて
発達障害の次女はパニックも起こすし
双子はいつも喧嘩。
三男はちょっと母が姿を消しただけで泣いて、ずっとついてくる。


子だくさん。恵まれているね。
にぎやかでしょうね。


ええ。
それもわかっています。幸せなことです。
でも、申し訳ないけど。
申し訳ないけれど、弱音も吐いちゃう。


というか、実際noteでもめちゃくちゃ、吐いているのだ。弱音。
(あれ、そのために私、noteを書いているんだっけ)



―――でも私はやはり。



どんなに忙しくても
私は書きたくてたまらなくなる。



「私って。マジメだよね、noteに関しては」

自分をときに自嘲する。

でも、そんな風に苦しんでも忙しくても結局パソコンに向かっている母を、子どもたちは笑って見守ってくれる。





私に、「書きたい」の想いをまた、与えてくれた子どもたちに。
やりたいことを一生懸命やってる母親の背中。
もっともっと。見せていきたい。


あなたたちが普段見ているママは、こんなにも適当だけど。
ママ、実は、がんばってるんだよ。





ここからの家族の未来を一冊の本にできるくらい。

たくさんたくさん、書いていけるだろうか。
そうだったらいいな。


いや、
きっとできるさ。




私は。優等生でありたいから。
もう、フリなんかはやめよう。
優等生なんだきっと、私は!




今を切り取り、思うままに、真摯に、自分に正直に。
書いていこう。



自分を誇れる日々に向かって書く、これまでと、これからの記事たちに。
そっとしおりを挟みこんでおこう。



いつでもそのページを振り返って、
毎日肩ひじ張ってがんばってる私を、そっと抱きしめに行けるように。











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