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ねぎ玉牛丼のねぎで野菜とった気になってもいいですか?

俺の人生には愛も勇気も友達もないが、それ以外にも足りないものがある。

野菜炒め。

驚くかもしれないが、これまで生きてきた中で炒められた野菜を食べた回数は指で数えるほどしかない。親に虐待されていたとかではなく、単純にそういう家庭に生まれただけだ。世の中には、野菜炒めのない家庭で育つ人もいる。

だから俺は基本的に、外でも炒められた野菜を食べない。既にそういうマインドになっているから。これは仕方がないことなんだ。単に習慣の問題だ。周りにとやかく言われる筋合いはない。

俺が外食で野菜をとりたい時は、すき家に行ってねぎ玉牛丼を頼む。当たり前だが、ねぎ玉牛丼には ねぎ が入っている。俺はねぎを貴重な野菜だと思っている。

ところが世の中には、ねぎを野菜と見なすことを良く思っていない人たちがいるらしい。その人たちはきまって「ねぎ玉牛丼のねぎで野菜とった気になるな」と理不尽なことを言う。

何を言ってるんだろうと思う。

ねぎは野菜だろ。

ねぎを食べたら野菜を摂取したと胸を張って言えるだろ。

まあ、あなたたちがそこまで言うなら、少しだけ譲歩しよう。

せめて、ねぎ玉牛丼のねぎで野菜をとった気になってもいいだろうか?

嘘でした。誰が譲歩するかバーカ。真っ向勝負じゃボケ。

ねぎ玉牛丼のねぎで野菜をとった気になってもいいだろうか?

何回でも言うぞ。

ねぎ玉牛丼のねぎで野菜をとった気になってもいいだろうか?

「気」になるだけだからいいだろ。気持ちだけなんだから許せよ。ねぎ玉牛丼のねぎで野菜をとった気になってもいいだろ。これは気持ちの野菜なんだよ。そう、気持ちの野菜だ。

それでも俺に言いたいことがあるなら牛丼屋に並んでくれ。券売機の前で話を聞こうじゃないか。
待て、食券を俺に渡せ。話はそっからだ。もちろん、ねぎ玉牛丼(並)の食券だ。




小さい頃からお金をもらうことが好きでした