排気口の中のネズミは

バイトを辞めました。飽きたのです。次は誰も聴いたことのない面白そうな仕事をやろうと思い、インターネットをふらついていました。すると2時間後「排気口に入れられたゴミを取り除く」という単発のバイトにたどり着きました。早速応募すると「今すぐ来れる?」とすぐに電話がかかってきたので、なにやら不穏だなと感じましたが、バカなフリして二つ返事で了承しました。指定された場所は家から電車で30分くらいのところで、一般的にはオフィス街として知られています。ここに訪れるのは仕事をしに来る人だけだと言いきれるほど高層ビルが立ち並んでいました。

駅から徒歩10分くらいの公園にその人は立っていました。ほぼ正方形のかなり不便そうなバッグを背負った30代くらいの若い男性で、清潔感しか取り柄がなさそうでした。「連絡した○○です」と言うと「近づいてきたからわかってたよ」とニヤニヤしながら言われて気持ちが悪いなと思いました。「もう一人来るから待ってね」と言われてしばらく経つと、黄色いパーカーを着た女性が公園の低い柵を乗り越えてこちらに若干小走りで迫ってきました。年齢は若干俺よりも年上に見えましたが、持っているエネルギー量は明らかにあちらの方が多い、という印象を受けました。彼女は四角いバッグの男性に「すみません、また遅れました!」と元気よく謝罪したあと、「新しい子?」と聞いてきたので俺は「あ、新しいです」とたじろぎながら言ったら「ゆうきです、よろしく」と深々とお辞儀をしてきて、ギャップの上に成り立っている愛嬌か、と思いました。かなり綺麗なパーカーだったので「それ、汚れても良い服なんですか」と尋ねると「あー、慣れてきたら汚れないからね!」とそんなテンションで言うほどのことかってくらい声を張り上げてきて、耳を痛めた俺は涌きあがる不快感を屈託のない苦笑いで押し殺しました。

早速作業に取りかかることになり、俺はゆうきさんと二人で街を回ることになったのですが、わりと自分も歩くスピードは速い方なのに、ゆうきさんはスタスタスタと音が聞こえるくらいの速さで移動して、俺たちはかなりレベルの高いところで争っているなと感じました。しかし途中で、あちらの方が先に疲れたのか「コンビニ寄っていい?」と言ってきたので、心の中で「負けを認めましたね」と俺は呟きました。

ビルの隙間に着くと、突然「成人済み?」と聞かれて、その質問の意味がわからないまま「はい」と答えたら、ゆうきさんはコンビニの袋から2本の氷結を取り出して「はい乾杯ー!」と言ってきました。戸惑いを隠せない俺にゆうきさんはこう言いました。「氷結嫌い?前の子は甘すぎるって愚痴漏らしてたけど」。この人はこうやってビルの隙間に潜り込み社会に隠れながら酒を飲むことに人生の重きを置いてるんだと自分を納得させました。時給は1200円と比較的高い上にタダ酒も飲める。この時、最高のバイトだと確信しました。

500ml缶を飲み終えたゆうきさんは腕をまくり、ポケットからゴム手袋を取り出して左手に装着し、ビルの側面から生えているかまぼこを半分にしたような排気口に手を突っ込んでカチャカチャと音を鳴らしました。次にゆうきさんの左手が見えたときには3枚の細い板を握っていました。「今って取り外し式なんですね」と聞くと、「この街はなんでも最先端を行ってるのよ」と言われたのですが、その時のゆうきさんの表情はどこか寂しげでもありました。

「中、見てあげて」と言われて、排気口に顔を突っ込むと目の前にネズミがいました。思わず声を上げるとネズミもビックリして奥に逃げ込みました。ゆうきさんはその見た目からは想像つかないくらい低い声で下品に笑っていました。

「そこにタバコとかゴミがたくさんぶちこまれてるでしょ、全部回収して」。渡されたゴム手袋をつけてあらかじめ用意されたボロボロのでっかい巾着袋にゴミカス全部を流し込んで、やっと1件終わりました。「これ、あとどれくらいあるんですか?」と聞くと「ウチは時間でやってるから量は関係ない。でも早く終えれば早く帰れるし、お金も元の時間分もらえる!!」と言われました。俺はアルコールが回っていたこともあってか、「早くやって早く帰りましょう~!」と ビルの隙間から車が走る大通りまで聞こえるくらい大きな声で決意表明をしました。

それから2時間ほど、その街の至るビルの排気口を掃除して、予定よりも早く作業が終わりました。再びあの公園に戻り、ゆうきさんが四角いバッグの男性に連絡をすると5分後くらいに彼がやってきて、俺たちが回収したゴミを四角いバッグにぶちこみました。「ウーバーバッグみたいですね」と言うと「これ、ウーバーバッグなんだよ。恥ずかしいからロゴ消してんの」と言われて「ウーバーの文字がないだけで気づかないもんなんですね」と感心していると、ゆうきさんはそのやり取りをおそらく何回も見てきて興味がなかったのか「金!」と言って勢いよく左手を前に差し出しました。

俺たちは現金を受け取って解散になりました。空にはもう月が出ていて駅だけがその辺りの明かりになっていました。改札の前で「良いバイトでした」と言い、ゆうきさんの方を向くと「私、良いバーも知ってるんだよ?」と言われて、おやおや?これは面白い展開になってきたぞと思い、彼女の最寄りに行くことになりました。

着いたのは、信じられないくらい東京のど真ん中でした。「汗かいた!着替えてくるから待ってて!」と言われ、俺は駅から徒歩5分ほどのマンションの前で高級そうな服を着て歩く大人たちをボーッっと見ながら立っていました。すると、この街に溶け込んでいてもおかしくないくらいおしゃれな格好をしたゆうきさんが現れて有無を言わせない「はい、行くよー!」を言い残してスタスタ歩いていきました。その後ろをついていき、俺たちはまたレベルの高い競歩を始めました。

全面ガラス張りビルの前でその勝負は終わりました。エレベータで6階に上がりドアを開けるとカランコロンカランと鳴り、ゆうきさんはその音に負けないくらい甲高い声で「どうも~!」と言いました。若いバーテンダーは「またバイトの子を連れてきたんですか?」と笑っていて、俺は「また」という言葉に若干引っ掛かりました。自分は都合のよいカモみたいな感じがして、たまらなくその場にいることが嫌になりましたが、ゆうきさんはそれを見越していたかのように俺の腕を引っ張り、隣の席に座らせました。「私、ウィスキーのロック、○○くん、なんでも好きなもの頼んでいいよ!」。料金が書かれてないメニュー表を見て不穏な気配を感じた俺は「でも、こんな街のバーはさすがに値段張りますよね」と口答えみたいな態度でいいました。するとバーテンダーに「ここはめちゃくちゃ高いですよ、だってぼったくりバーですから」と言われ、俺は「やられた!」とかよりも前に「本当に死んでください!!!!!!!!」と思いました。すると、ゆうきさんは「ここが私の行きつけのぼったくりバー!ここに何回もぼったくられながらも通い続けたの!そしたらマスターが私のことを気に入ってくれて、ここで飲む酒永年タダにしてくれたの!」とテストで100点取ったことを親に誉めてもらいたい子供のように主張してきて、俺は事態を飲み込めず、まだ酒を一滴も飲んでいないのに二日酔いの時のように頭がすごく痛くなりました。「わけがわかりません。信じていいんですか?」「注文してごらん?本当にお金かかんないから!」いやそれは、会計の時にわかることでしょうが。俺はゆうきさんの高そうな服や、バーテンダーが自分からぼったくりバーだと明らかにしたこと、ゆうきさんの信憑性の低い話とか、全てを考慮して、新手のぼったくりだと判断し、なにも飲まずに店を出ていこうとしました。すると、背中から「お客さん、テーブルチャージ払ってませんよ」と、さきほどよりもずいぶん渋いバーテンダーの声が聞こえました。「チャージもなにも酒飲んでねえだろ」と少し荒い口調で答えながら後ろを振り返ると、そこには清潔感しか取り柄のないあの男性が立っていて、ロゴが消されたウーバーバッグを開いて俺の頭に被せてきました。次に目覚めたときには、俺は暗がりの中にいました。しばらくすると遠くの方が少し明るくなったので出口ではないかと思い近づいてみると、突然巨大な人間の顔が目の前に現れて、その人と目があった俺は「チュー!」と叫んで、深い闇の中に戻っていきました。背後からはあの時と同じ下品な笑い声が聞こえてきました。少々チュー意不足のようでした。


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