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エンゲージメントの意味をちゃんと考える。

エンゲージメントという言葉は『繋がり』という意味から派生して、従業員やスタッフの場合は「愛着」「思い入れ」「愛社精神」、顧客の場合はファン意識やロイヤリティ、そしてSNSでは絆、愛着、推奨度などの意味で、KPI値として拡散性の評価として使われる。
ただ、なんでもかんでもエンゲージメントを高めようという気風には、僕はちょっと懐疑的だ。なぜかというと、愛着であっても思い入れであっても、そこには必ず『範囲』『対象物』といった「何に対して?」という注記がはいると思うからだ。

企業や個人、フリーランスの事業者が売り込みたい=アピールしたい、共感を集めたい対象物は色々ある。
商品・サービス、売場・店舗、会社(特徴やスタンス)、ビジネス・仕事、ブランド、Website、広告や記事、特定の人物(キーマン)、アプリ、キャンペーン、イベント、メンバー、職場、立地……などだ。

でも生活者個人や就業者個人などが、賛同・愛着を持つ・推奨する要素って、これらの全てであるってことはあまりはない。
なのに、『エンゲージメント』という言葉がビジネス上で使われるケースでは、そこを曖昧にして、場合によってすり替えが行われている。
商品・サービスに対するエンゲージメントが高まれば、売上は伸長し企業は成長するだろう。またメンバーや職場環境へのエンゲージメントが高まれば、良い人材が集まり、採用が活発化してこれも会社の成長に寄与する。

しかし、SNSの連発記事でエンゲージメントが高まった、媒体発信が沢山のフォロワーやビューを獲得した…という場合、それはその会社や個人に対するエンゲージメントなのか?というとちょっと違う。
企業が提供するアウトプットバリューへの共感や推奨ではなかったりするのだ。なので、時が過ぎ去ればエンゲージメントは下降する。また、もう少し突っ込むと、エンゲージメントはその企業や個人が「顧客とみなす」ターゲット以外のヒトや場所でも勝手盛り上がってしまうこともある。そのケースの場合は企業のブランディングや商品販売にとってむしろ障害になったりすることもある。

インターネットが勃興して、SNSが普及して以来、生活者は何かに追い立てられるように「引用する話題」「拡散するネタ」を求めるようになった。これらは、共感を示すことでの自己主張と言い換えることができる。あるいは影響力のある著名人に絡んでゆくことでの、自己PR…ということもできる。また話題を引用する人の心理って、中味を必ずしも理解してる、同じ理解や共感をしてる人の鎖であることはあまりない。その鎖ってホントに意味があるんだろうか?チェーンメールと同じじゃない?
エンゲージメントって、一見するとマスマーケティングと相対する言葉のように聞こえるが、実はそんなことはなくて、SNS時代のマスマーケティングなんだろうな!と感じる。

その企業や個人のメインの商品(アウトプット)と関係ない話題性による拡散で一時的に認知度が向上したとして、商品に全く関心のない層や理解しない層に拡散する可能性はある。企業ブランディングとしての施策だったとしても、かつてのTVCMのように、実は企業の名前すらも拡散者の頭には残らないケースもあるかもしれない。
この、実はかなり限定的な(反応者の意図が曖昧な)SNSのアクション行動を『エンゲージメント』という係数に命名したのは、SNS事業者側の上手い作戦でもあり、しかし誤解の元を作ったともいえる。言ってしまえばかつてTVCMで話題性が高ければ成功とみなしていた広告代理店とあまり変わりはないのだと思う。

そして、企業や個人の本来のあるべきエンゲージメントをもっと議論するべき時期だ。