開発のお仕事における『お作法感』と『現実感』の狭間。

新しいツールとかサービスの企画・開発をしてて思うこと。

想定顧客がその新しいサービスに振れた時の、心の変化とか、それを使う時の目線の位置だとか、自分の生活や興味との重ね合わせだとか……そういう、利用シーンで起こってくる現実の生の感情よりも、作ってる側の開発のお作法だとか、簡単にできることだとか、開発側の手順…ををなぜか優先してしまう人が多いように思う。

そもそもそんなレベルの価値体験だったら、ユーザーは新しい魅力なんて感じることもなく、既存のサービスの方が全然良いと感じてしまうよね。
生活者が未体験の全く新しいサービスや体験を提案してるので、『お、お、お……』と、“お”を5回くらい言わせないと、既存のイメージを打破できないし、既に学習済みのサービスの使い方のパタンから逃れることはできない。この新しい体験をプロデュースしようという感覚の人が世の中にかなり少ない気がする。

その原因は……人はプロセスで動いている。プロセスでものに接触する。プロセスでモノを操作する。という思い込みが強すぎること。
人って……強烈なサプライズを受けるとプロセスから離脱するのだと思う。
それが…『お、お、お……』という瞬間だ。

プロセス主義って左脳思考の弊害だ。
アジャイル型の開発でやっているのに、この発想を残して開発していると枠からはみ出せない。多少破綻しても良いくらいの覚悟が必要だ。
目的が決まっていて、手順を決めて操作する。これは実は本来の人間の動きとしては、そんなに多くない。ヒトはもっと偶然性に頼る。
スマートフォンが日常生活に定着して、ツール化してしまってからよりそれが進んだ気がしてる。

それがもし、全く未知のツールや未知のデバイスだったら、ヒトは何かが起こったら、さらに何かが起こることを期待する。スマートスピーカーなどの新しいデバイスにはまだその期待感がある。
しかし、スマホは現時点でかなり期待値が下がってしまった。もう一歩も二歩も進めてゆかないと、顧客に新しい気づきとかサプライズは起こせない気がしている。