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#11 つらかった「心が折れたときの状況」【竹内義晴のキャリア遍歴】

竹内でございます。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

いまですね。ボクの生い立ちというか、これまでのキャリアの遍歴についてお話をしています。前回は、すごくはまっていたエンジニア時代に、「そろそろ、管理職をやれ」って言われるようになり、「まずい。このままでは、管理職をやらされてしまう。生涯エンジニアでいたいのに」と思って、転職したと。その転職した先が――正確には、転職した先のお客さんが――ストレスフルな環境で、心が折れたというお話をしました。

今日は、「心が折れた」という状況が、どういった状況だったのか? その辺りのお話をしたいと思います。

心が折れたときの状況

「心が折れた」という話をしましたが、心が折れるっていう経験は、多かれ少なかれ、みなさんもきっとしたことがあるんじゃないかな……って思います。

たとえば「仕事のミスをした」とか、あるいは「恋人に振られた」とか。その、大きさや期間はさまざまだと思います。けれども、多かれ少なかれ、そういった経験をされたことがあるんじゃないかと思います。いや、されたことがない人は誰もいないんじゃないかな。

ボクの「心が折れる」という経験は、当時病院には行ってないので、実際どうかわかりません。けれども、多分、病院に行ったら「鬱っぽい」と診断されたんじゃないかなって思うような感じですね。

それがどういうような感じかっていうと、たとえば、当時4階か5階、いや、3階か4階の建物で仕事をしてたんですけど、外を飛んでいる鳥を見ては「鳥はいいな。自由で」と思ったりとか。あとは、外で犬を連れて散歩している人なんかを見て「犬はいいな、と。しっぽを振って、飼い主の人に愛想を振りまいていれば、よしよしとされてご飯もらえる……なんて言いながら、「なんか、荒んでいるな」って思うんですけど(笑)。そういった状況であるとか。

一番酷かった時には、みなさん寝る時に常夜灯っていうか、オレンジの小さな電気をつけて寝るかどうか分かりませんが、ボクはつけて寝てるんですよね。

常夜灯をつけて寝ている時に、それを見ていたら自然と涙が出てきてしまって。一度涙が出てきたら、もう、自分の意思では止められないっていうか。当時まだ結婚したばかりで、隣に奥さんが寝ていたんです。ですが、寝ている奥さんに気づかれるのは「ちょっと嫌だな」って思うから、布団をかぶって嗚咽する……みたいな感じですよね。

もう、自分の意思では止められない……みたいな感じだったので、さすがにちょっと「まずいな」っていう感じですかね? そういった状況に奥さんが気づいて「そんなにつらいんだったら、もう、辞めてもいいよ」って言ってくれたから助かったようなものの、もうちょっと我慢してたら、本当に「やばかったなー」って感じだったんです。

「もう、辞めよう」でも「しばらくうちで働きなさい」

そういった状況を職場の人に相談しなかったわけではないんですよね。相談はしたけれど、状況は変わらないってこともあって。

1年ぐらい経つ少し前ぐらいの時かな。「もう、辞めよう」と思って。会社を辞めることにしたんです。

ボク、転職する前から独立心があって。プログラマーとして自信が当時あったので、「これだったら起業し、フリーランスになっても大丈夫だろう」みたいな、変な自信があったんですよ。なので「これを機会に起業しよう」と思って、当時働いていた会社の社長に相談したんです。

そうしたら「いいよ」と。「だけど、まだ準備ができていないだろう?」と言われて。「準備できたら送り出してあげるから、それまで、うちの会社で働きなさい」って言われたんですよね。

心的には、もうもたなかったんですけど、ただ「準備ができているか?」って言われると、全然準備はできていない。もう「勢いで辞める」みたいな感じだったので。

そこで、ほかの人には言わずに1回会社を辞めて、働く形式を個人事業主にして、個人事業主としてその会社と契約しよう……みたいな感じにしたんですよね。まわりの人には知らせずに。

「やっていることはそのまま。内々的には辞める」という選択をしたわけです。

この話の中で、ちょっと分かりづらいかもしれないで補足すると、転職した会社自体は、悪い人はいなかったんですよ。みんないい人が多かったんですけど、転職した先のお客さんのところで、ボクは常駐して働いていて、常駐していたところが、すごくストレスフルな職場だったということです。

所属している会社の人はみんないい人で、そう会社の社長だったから、そのような扱いをしてくれたっていう感じです。あの時社長が「準備できてないだろう」と。「準備できるまでうちにいろ」って言われたのは、いま思えばありがたかったなって思いますね。

働く動機は「いかにはやく、ここから抜け出すか」

そこからですね。形式上個人事業主になって、そこからのボクのモチベーションは「いかに早く、この環境から抜け出すか?」っていうことだけですね。独立しようと思ったので、お金の管理のために簿記の勉強をしたりとか、資格を取ったりとか。

資格っていうのも、プログラマーとして仕事をするんだったら、プログラミングの技術はあるかもしれないけど、会社の中で、お客さんとの接点を作るためには、コンサル的なこともできないといけないだろうと思って、ITのコンサルティングの資格を取ったり。ITコーディネーターって言うんですけど。

そういった資格を取りながら、「あのいかに、早くこの環境抜け出すか?」ということだけが、ボクの働く動機でした。

そんなこんなで働いていた時、その後「ちょっと管理職的なことやってくれないか」って言われたんですよ。さきほど話した社長から。

なぜ、「管理職的なことをやってくれないか」って言われたかと言うと、IT業界ではあるあるなんですけど、作っているシステムがある程度完成してくると、徐々に関わっていた人たちが、担当が終わっていくと徐々に人が抜けていくんですよね。開発が終わって、その後運用というフェーズになっていくんですけど、運用フェーズになればなるほど、開発のメンバーは自分の職場に帰っていくんです。

自分の職場に帰る人が出てきてで、ボクはそのまま残っていたんですけど、残っていたメンバーの中で、管理職になるような適齢期の人がボクしかいなかったんですよね。なので「管理職をやってくれないか」って言われて。

「いや、元々管理職になりたくなくて転職したのに、なんでいまさら……」と思ったんですけど、ボクの働く動機は、もう「いかに、この環境から抜け出すか?」なので、「よし、わかった」と。「管理職の仕事をやりきったらやめよう」と決めて、引き受けることにしたんです。

ここからが、ボクのキャリアがプログラマー、エンジニアからマネジメントに変わっていくフェーズになります。

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