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アフリカ人には「未来」という概念がない

私はつい、先々のことを考えてしまいがちです。つまり、未来。私に限らず、日本人のほとんどはそうなのではないでしょうか。なぜなら、不安だから。たとえば、老後2000万円問題が世間では話題になりましたが、根本の理由が未来への不安ですよね。しかし、アフリカ人にはどうやら、未来という概念がないとのことです。時間軸は過去と現在のみだと。これについて解説いたします。


アフリカ人の時間

アフリカ人の伝統的な概念によると、時間軸は過去・現在のみとのこと。未来がありません。その理由は至ってシンプルで、「起こっていない」からです。確かに、未来という時間はまだ訪れていないですし、それは存在していないとも言えるでしょう。常に現在を体験しており、過ぎた時間(=生きてきた経過時間)が過去なだけ、というシンプルな考え方です。

未来という概念

日本人の私たちは、当たり前のように未来という概念がありますよね。どうやら、西洋文化も同じようです。どっちが先なのか、はたまた時に繋がりはないのか、そこは定かではありませんが。私が思ったことは、国柄ではなく、文化の発展度にもよるのかもしれません。社会が先進国であればあるほどに、日々の生活は便利になれども、常に忙しく、先々のことを考えなければならないから。

・そういえば、かつての私には未来がなかった

アフリカ人は未来という概念がないこと、これはかつての私と同じだと気づきました。どういうことかといいますと、学生時代の私です。今が楽しければOKでした。過去に悩むことはあるけれど、結局は今、今、今、の連続でしかないと思っていました。

人からは、未来のことを考えなさいと言われたけれど、私には考える意味がないと思っていたのです。未来は今の延長線でしかないのだから、と。その結果、どうなったと思いますか? 日本で生きていく上では、結構苦労しました。

未来がないのは幸せ?

ここで話を、アフリカ人に戻します。未来の概念がない彼らは、常に今という瞬間を生きています。明日のことで思い煩うことがないに等しいらしいです。つまり、長期的な不安を抱えていないとも言えますよね。反対に、日本人の私たちは明日のことや、もっと先々のことなどを考えたりしては、不安な気持ちになることもあります。いえ、ほとんどが不安でしょう。

さまざまな種類の不安があると思いますが、不安そのものが重荷であり、時にストレスです。ここから解放されるという意味では、未来の概念がなければ物事はもっとシンプルなのかもしれません。かつての学生時代の私のように、今が楽しいの連続だった時のように。

・今この瞬間だけを生きることはできるのか?

しかし、日本で生きる私たちは、今だけを楽しんで生きることは、難易度が高すぎますよね。例えば仕事なんて、特にそれが言えます。今に集中することは大事ですが、同時に先々のことも考えながら物事を遂行していきますよね。今だけ良ければOK、というシンプルさでは、仕事は成り立たないことがほとんどです。

仕事に限らず、この資本主義社会では多様な価値観があり、自由であり、選択肢が多く、私たちを迷わせます。魅力的でもあり、同時に不安の数も増えます。アフリカ人の彼らのような、シンプルに今に集中できる文化ではないのは確かです。

日本とアフリカでは、タイムフレームが違う

生活という文化が、そもそも国によって異なります。アフリカのナミビアに住む人の一日ですが、毎朝同じ時間に起床をするそうです。男性は狩猟、女性は木のみを集めたり、それぞれ4時間ほど働くそうです。あとは仲間や家族とおしゃべりしたり、遊んだり、という一日とのことです。まず、働く意図が明確かつシンプルですよね。そして、こういった一日がルーティン化しているため、先々のことを考える理由がないそうです。

日本の平均的な一日は、仕事がほとんどでしょう。その意図は、お金のため、自己発揮、自己実現のためなど。対価はいずれもお金です。そのお金があれば、食料やそれ以外の物や事に代えられます。ここからが重要で、ルーティンな毎日を送っている人と、そうでない人がいます。ルーティンの日々であれば、未来思考はあまり抱かないのかなと個人的には思っています。

・日々が同じであれば、未来を考えることはない

私は学生時代、日々同じに感じていました。ここは人それぞれの考え方ですよね。私の場合は、毎日が同じ日々を淡々と過ごしていました。すると、未来を考えない・・・いえ、まともに考えられないような思考になりました。だから、未来への概念が低かったのかなと今だから思います。

ルーティンからの脱却で未来思考になる

未来を考えることが良いか悪いかは置いておきましょう。その上でいいますと、私の今の生活にルーティンはありません。日々変わっていきます。単調にはいかないこともあり、考えることが多かったり、行動量が増えています。気がつけば、未来に対して思考を巡らすことが多くなりました。

昔の私が、今の私を見たならば「意識高い系ですか(笑)」とでも言うでしょう。実際、そういう人間に気がつけばなりつつあります。ここでも良し悪しは問いません。ただ単に、ルーティンから脱却していただけです。ここが未来という概念を持つ・持たないの分かれ目なのかなと感じます。

結論、未来の有無は文化の違いなだけ

国柄であれ、個人のルーティンであれ、すべては文化です。ここが日々同じであるか否か次第です。だからこそ、未来を考えるようになったり・ならなかったりするのだと思います。ここで最後に私からの意見ですが、未来とは儚いなと感じます。明日のことすらわからない人生です。ルーティンであれば、大体想像はつくでしょう。忙しくても、予定を立てることはできるでしょう。いずれにしても、イメージ通りにいくこともあれば、突然のアクシデントだってあります。

人間には知り得ないのが、未来。予定一つだって、本当のところは遂行できるかわからない。それでも、明日が当たり前のように訪れることを前提に、人間は日々生活をしています。本当に、ただそれだけです。いかに未来という概念がぼやけているのか、ふと考えさせられました。これを読むあなたは、どう思いますか?

※この記事は、2024/4/13 に書いたものです。
※【私のブログSTART】2024/2 WordPressにて開設→2024/4 現noteに移転

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