ちゃんと生きないとロクな死にかたできないぞ!

『<社会が“フタ”をしてきたテーマ>瀧野:でも、これからはそれが当たり前になるのです。――高齢化に核家族化、個人主義が進み、人同士のつながりが希薄化することで、孤独死も増加するということですね。瀧野:これらは今までずっと、(社会が)フタをしていたテーマなのだと思います。僕の考えでは、成長している時代には明るく楽しい話がぴったりで、死というテーマは合わなかった。今までは、フタをしていて良かったのです。でも最近、特別養護老人ホームで増えているのが、(施設内で)亡くなった人を玄関から送り出す取り組みです。入居者がみんな車いすで集まって、「頑張ったね」と声を掛ける。死に対するイメージが変わってきた。――「死」に対して興味本位な人が多い反面、「ちゃんと向き合わなくては」という流れも出てきたのかもしれません。孤独死の記事に対して、「明日はわが身かも」といったコメントが付くのを目にします。一方で菅野さんは、実際に孤独死の現場で働いている特殊清掃業者に密着し、著書で彼らの半生を描いています。「日々、死と向き合わざるを得ない」人々に着目したのはなぜですか。菅野: 純粋に、なぜこういった(特殊清掃という)仕事を彼らがやっているのか、興味がありました。お金もうけが主な目的の人だって多くいました。特殊清掃の料金は1回に100万円とかすることもありますから。一方で同時に宗教についても取り組んでいる人がいたり、女性の業者さんもいるのです。(菅野さんの著作で登場する特殊清掃業者の)上東丙唆祥(じょうとう・ひさよし)さんは、強固な人間関係のある団地で育った後、この仕事をされています。団地的なコミュニティーが無くなった後に、そうして孤立していった故人の部屋を上東さんが清掃するという話から、ちょっと見えてくるものがあると感じました。こういった話は、新聞などもまだあまり取材していない部分だと思います。亡くなった方の歴史は、全部(遺品や)ごみになってしまうので……。さらに、私はもともと取材テーマに「生きづらさ」を挙げていたという点もあります。――菅野さんは著作で、中学時代にいじめが原因で引きこもっていたという自身の過去を明かしています。瀧野:菅野さんは「生きづらさ」を取材しようとして、特殊清掃のテーマを追ったのですか?菅野:取材する中で(生きづらさというテーマが)見えてきた感じですね。「なぜこんな取材をやっているのか?」と考えていくことで、特殊清掃と生きづらさというテーマがつながった。――孤独死の現場を見つめ続けると、取材者も「自分事」としてテーマについて描くようになるのですね。菅野:特に女性の孤独死の話は、私も同性であるため、「自分に起きてもおかしくない」と身につまされます。瀧野:私の場合、(死のテーマに対して)答えが無いから、必然的に「私」が出ざるを得ないのです。答えがある問題なら「こうあるべきだ」と言えますが。「私はこう思うけれど、みなさんどうですか」と。菅野:さらに、特にWebメディアの記事は、「個人としての(書き手である)私」がよく表に出るようになってきていると感じます。孤独死は高齢者だけの問題と思われていますが、中高年の引きこもりも最近、問題になっていますよね。私は氷河期世代です。孤独で亡くなった同年代の人々の物語も発信しなくてはいけない、と思うのです。死臭に宿る「死の本質」――確かに孤独死は報じられるべき問題ですが、ウジや死臭が残る特殊清掃の現場取材は正直、プロのジャーナリストでもきついと思います。こだわる理由は何ですか。瀧野:やっぱり一番は、(死の)本質の部分に行きたいということですね。私の方は(特殊清掃について)菅野さんよりは比較的ライトな部分の取材しかしていませんが、死臭は嗅ぎたいと思った。孤独死の現場取材では、前日から準備した上で(部屋に残った赤黒い体液のシミを)近づいて嗅ぎました。やっぱり、すごい。瀧野:今、世の中に出回る情報は“本質”から離れていっていると感じます。そこに踏み込まないと。僕は防衛大学校出身で安全保障の取材もしましたが、頭の上だけで考えていることがよくある。汗の臭い、本当の恐怖、それらを体で感じるということです。そしてやはり、物事の本質は「臭い」にあるんじゃないかと思うのです。医師に聞くと、亡くなる間際の人は耳も聞こえていると言いますが、特に臭い(の感覚)が最期まで残るという。「(みとっている遺族の)臭いを患者に嗅がせてあげるために、触ってあげて」と言う医師もいます。僕が防衛大学校で勉強していた4年間は外と隔離された空間でしたが、手紙が来ると臭いを嗅ぐんですね。臭いという物は、本質的な恐怖や喜びにつながっている。~菅野:孤独死をテーマした記事は、自分や親の話など「わが身に降りかかってくること」という文脈で書かれていれば、読まれる傾向にあります。ただ、まだ読者にとってはあまり自分事ではないのでしょうね。みんな(考える)余裕がない。一方で、若い人には特に「自分は孤独なんだろうな」と思っている傾向がある、と感じます。「友達も彼女(・彼氏)も自分にはいないから」と。瀧野:調査によると、実は若い人の方ほどあの世を信じているそうです。アニメなどの影響なのでしょう。逆に70歳以上は信じていなかったりする。でもやはり、みんな死を自分のこととは思っていないのではと感じます。私は取材しているとだんだん、「自分も(いつか)死ぬんだろうな」と思うようになるのですが。「社会はどうあるべきか」といったテーマは、なかなか自分事にならないのです。みんな、“半径2メートル”くらいの関心にとどまっている。孤独死というテーマも、本当は自分事として考えなくてはいけない。』

私は幼少の頃に二度ほど自分の「死」を意識する場面に遭遇したので「ちゃんと生きないとロクな死にかたできない」と思って生きてこれたのだと思います。

目を背けたくなる現実:
事故物件、特殊清掃…… “死のリアル”になぜ私たちは引き付けられるのか
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1906/19/news034.html

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