共闘ではなく共存の道を歩むしかないのだ。

『では、なぜ70年前の軍隊組織と、令和日本のハードな働きぶりで知られる企業が瓜二つになってしまうのかというと、理由はいたってシンプルで戦後、日本の「企業文化」のベースになっているのは、日本軍の組織運営や人材育成だからだ。 高度経済成長期に会社の幹部や、管理職になっている40~50代は、軍隊で朝から晩までビンタされたか、軍隊にいなくとも戦時体制下の教育を受けていた人である。それは言い換えれば、「私的制裁は必要悪」「上官の命令は絶対」「組織のために個人が命を投げ出すのは当たり前」ということが骨の髄まで叩き込まれた人でもある。彼らが企業の中で、中心的な役割になれば、果たしてどんな企業文化が生まれるのかは容易に想像できよう。昭和のサラリーマンはパワハラなど日常茶飯事。高度経済成長期なんて日本中ブラック企業ばかり。よく聞く話だが、それはかつての「皇軍戦士」が「企業戦士」になって、軍隊組織と同じノリで企業を運営してしまったからなのだ。このような日本軍のDNAは「上官の命令は絶対」というカルチャーもあって、社長から管理職、管理職から新人へという感じで忠実に引き継ぎがなされた。その結果が「今」である。つまり、大戸屋のパワハラが、帝国陸軍の私的制裁と妙にカブるのは偶然などではなく、孫におじいちゃんの面影があるような必然なのだ。~要するに、数の帳尻のことだ。先ほどの私的制裁が分かりやすいが、日本軍は「員数」さえ合えば、実態が異なっていても問題なしという考えがまん延していた。だから、勝ち目のない戦地や、意味のない神風特攻にも「員数合わせ」で若い兵士を次々に送り込んだ。自ら血を流さない大本営からすれば、戦争は足りないところへ戦力を送り込む「数を合わせゲーム」になっていたのだ。山本氏はこの帝国陸軍が毒された「員数主義」が戦後の日本企業にもしっかりと受け継がれているとみていた。報道対策アドバイザーとして、事実の隠ぺいや数字を改ざんをする企業を間近に見るようになると、山本氏の言っていることを身をもって感じるようになった。真面目そうな中間管理職や、現場の人が私利私欲のためではなく、平気でうそをつく。数字の帳尻を合わせる。「なんでそんなことをしちゃったんですか」と尋ねても、「会社のためです」「良かれと思って」と言う。もちろん、上から直接命令を受けたケースもあるが、ほとんどは誰に言われるまでもなく、組織人として当たり前の行為として、自発的に「帳尻合わせ」を手を染めるのだ。~ものづくり企業におけるデータ改ざん、日本を代表する企業の利益のかさ上げ、高級官僚たちによる公的文書の隠ぺい、そして「残業を減らす、パワハラをなくす」と叫べば叫ぶほど浮かび上がる醜悪な現実……いよいよ虚構の世界が総崩れになってきたように感じるのは、筆者だけだろうか。』

「組織運営」と「集団のコントロール」は実は似て非なるモノだと最近は思うように成ってきた。ヒエラルキー型の組織運営は旧態依然としてはいるが長い歴史もあり「ヒト」というイキモノの性質にマッチした構造が結局は心地よいのかもしれない。そして上司(上官)と部下という「上下関係」を作れば「凡人」を配置し易いからだ。クラスター化したヒトを俯瞰してうまく動いてもらうにはカオスな状態を一定期間毎にワザと起こすのが良いのだろう。人類の歴史では「ソレ」を自然災害が担っていたのだが一定期間に自然災害が来ないと戦争という人災を起こして代替してきたのだ。だがもうその手は使えない。共闘ではなく共存の道を歩むしかないのだ。

大戸屋が炎上した背景に、ブラック企業と日本軍の深い関係
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1912/17/news047.html

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