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旅の記録を残してみる #8 ~大分編 記憶を辿る~

令和元年9月、高校2年生、16歳。
改元されようと、高校嫌いな俺の心は暗いままだった。
ストレスで体重は減っていく一方。165cmに対し、52kgまで落ちた。今60kg前後であることを考えると、かなりきつかったような記憶が蘇る。

記憶にほとんど残らない旅も、不思議とあるものだ。

日付を察するに、高校をサボって行った可能性が高いが、ある日旅に出た。

大分方面へ向かう

だいぶ前に書いたであろう、ユウさんに会いに行った別府編。大分に行ったのはそれきり、3年ぶりである。
思い出に浸りながら、大分へと進む。

最早中津は近場に感じる
いい味を出しているこの電車

いつも通り北上する。日豊本線へと乗り換えてから、何もない景色が広がる。朽網を過ぎ、苅田、小波瀬西工大前、行橋を過ぎてからは感覚的には大分県の仲間のように感じている。吉富を過ぎれば、中津。

中津駅で大分行のワンマンに乗り換え、進んでいく。中津からはかなり遠い。ほとんど山の中を走っていくことになる。
とはいえ、出雲や萩に比べれば、3時間半で到着する大分はかなり近い。中学生の頃、あれだけ壮大に、遠く感じた移動も、高2になると成長を感じる。

寄り道を

そう言いながら、別府に差し掛かった。懐かしい。大分駅に行く前に、別府に寄り道をすることにした。

懐かしい

ユウさんとは、あれ以来まったく連絡を取っていない。別府駅に着くと、色々な思い出が脳裏によぎる。
せっかくなので、地獄をめぐってみることにした。

海地獄
山地獄
白池地獄

何故だろう、この度はほとんど記憶がない。写真を見ても、ほとんど思い出せない。何をしたのか。
当時、本当に辛かったのかもしれない。

別府駅前には、こんなものがある。

大分駅へ

別府駅を発ち、大分駅へ向かった。別府駅と大分駅はそこまで遠くはない。

駅名標

しかし…。本当に大分駅で何をしたのか、覚えていない。写真も残っていない。

重岡駅

ただ、この写真は推測がつく。おそらく、行きたいと思ったのだろう。この伏線回収は、大学2年生になる。

久大本線にて戻る

由布院行

大分を発ち、福岡へ戻ることとする。ユウさんのときは、別府から小倉方面へ戻り、福岡へ帰った。
今回は、久大本線と言う電車…いや、汽車(ディーゼル)に乗り込んで帰ることに。実はこの電車には、4年後に再びお世話になる事になる。まさか自分が教育実習に行くとは、当時は思っていなかっただろう。

駅名標
由布院の街並み

由布院、今見ると本当に行きたい。当時の私は当然金もなかったため、適当な足湯に入るのが限界だった。

駅のホーム

今もあるのかは知らないが、駅のホームには足湯があった。ここで足を温める良さを知る。旅に足湯の相性は最高だ。これは、日本一周するまで忘れない。

少しずつ暗くなっていく中、再び電車に乗り込み、旅路を進める。

日田駅

乗換地点の日田駅で休憩する。日田はとにかく暑い。休憩室も完備されており、たくさんの高校生が時間を潰していたことを覚えている。

日田駅から久留米行のディーゼルに乗り込み、通過したのが夜明駅。名前があまりに素敵だ。「もうすぐ付き合いそう…」という男女二人が夜明駅で降りて行った。以降、私は夜明駅が大好きである。大学時代に意味もなく2回行った。

しかし、日田から久留米まで帰っている高校生も少なからずいた。こちらの方だとそれが普通なのだろうか。
当時の私は、5kmを自転車(たまに原付)で通っていた日々。しかも、学校をサボることも多かった。かなりの衝撃だった。

旅の終わり

私にとって、ここが旅の終わりとなった。高校2年生の終わりにはコロナによる臨時休校となる。本当に高校が無いことが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
必然的に、旅に行くような雰囲気ではなくなってしまった。卒業旅行をしたいと思わなくもなかったが、最早そんなことはどうでもよく、生きることに必死だった。人生は旅のようなものとは本当によく言ったもの。何が起こるか、わからない。

~続く~

高校卒業時点の経県値®

このブログに登場しない場所は…
北海道は修学旅行。栃木は親に無断で勝手に行っていた場所。神奈川はお袋の地元(実家は福岡)で、親戚がそこにいる。東京は乗り継ぎ。長崎・鹿児島の宿泊は修学旅行、山口・大分の宿泊は家族旅行など。

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