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繊細な旦那、勇者気質な私

わが旦那氏は起床30分で「疲れた…」とか言いだすほど非常に繊細なひとです。 一緒に出かけると、寝転がれるところを発見したが最後、寝ます。
座右の銘は「やすもう」。

2年前、入籍報告に旦那さんの母方のおばあちゃんのおうちに挨拶に行ったら『この子は本当に働くのが嫌いな子でね…よろしくお願いします』と伏し目がちに言われて不安な気持ちになったあの日のことを、昨日のように思い出します。

どうして私はこの人と結婚したんだろう。
よく聞かれるし、私もたまに疑問に思うことがあります。笑
なので今日はそのことを思い出して整理してみようと思います。

ほんとうの優しさを知っている

パッと見の印象そのままに、彼はとにかく優しいです。
繊細なだけあって、人が何をされるとよろこぶのかを一瞬で察知し、
それも自分のよろこびとして取り込む、すごい能力に長けている。

うちは別居しているということもあり、基本的にお財布は別です。
ただ一緒にいる時は大抵だんなさんが私の分のお金は払ってくれます。
付き合った当初、「借金があることがコンプレックスで、いつもお金の不安がすぐ後ろにいる」ということを正直に話したら、すぐさまお金をくれたことがあって。今はちゃんと身の丈で暮らせています。

お金をくれるから優しい、ということが言いたいわけではないのです。
ちゃんと話を聞いてくれて、私の幸せを第一に考えてくれる姿勢が本物だと言うことが伝わったからこそ、わたしは安心して自分の不安を打ち明けることができた。そしてその私の姿勢をある意味買ってくれて、具体的にサポートをしてくれた。そのことが今の私にとっての支えになっています。

ほんとうの強さを持っている 

はじめてわたしの実家を彼が訪れたときも、心配性な母の矢継ぎ早な質問を制し「お金があってもなくても不安は消えない。 自分はその不安を全部引き受けて生きていきます、だから大丈夫です」と言ってのけるほどの落ち着きぶり。こういういざという時に、ズバッと言ってくれるところ、すごいなぁって思います。本当にいざという時だけなのがちょっとあれだけど(笑)。

この実家での食事後に、彼の「大丈夫です」があとからグワッと効いてきて、号泣したのを覚えています。あの時はあの涙が一体何だったのか説明ができなかったけど、いま思うと心から「安心できて、うれしかった」のだと思う。ずっとわからなくて、言えなくて、おさえていたことを旦那さんが解放してくれて、表現してくれて、嬉しかった。そういうことな気がする。

人間の状態って刻一刻と変わるから、都度支えてあげる方、支えてもらう方、役割は変わっていいと思う。そこに柔軟に対応していける関係性であることが嬉しいです。

完璧すぎない

立派なことを言っておきながら部屋は汚いし、テンションが上がると急に踊りだすし、冒頭にも述べた通り起床30分で「疲れた…」とか言い始めるし、なかなか突っ込みどころもたくさんあります。

でもだからこそ、わたしに必要以上に甘えさせない、依存させない。
適切な「距離感」を示してくれているように感じます。相手が完璧すぎるひとだと、その人に依存しちゃったり、合わせようとして消耗するし。

世の中に完璧な人間なんていないのに、私たちはついそのことを忘れてしまう。その「完璧さ」を期待してしまうことで相手をも苦しめてしまう。

彼は笑って許せる範囲で変なところがたくさんあるから、ありのままでいられる。そういう「隙」をあまり深く考えずに開示してくれるお陰で、わたしもつねにリラックスして彼のそばにいられます。だから一緒にいて、飽きません。

まとめと、おまけ
わたしが旦那をスキな理由は3つ。

・本当の優しさを知っている
・本当の強さを持っている
・でも完璧すぎない

そしておまけ
・どんな彼でもスキだと言える自分が、旦那さんよりもスキ

ここまで旦那さんのこと褒めてきたけども、結局これって、自分が勇気だして自己開示したから得られた結果なんですよね。

誰でもかれでも話せる話題じゃないと思うけど、この人になら話しても大丈夫だな、って思えた。そしてもしも受け入れてもらえなかったとしても、悲しいけど、でも大丈夫、って同時に思えてたことも大きかった。だから、まず自分を世界一大切にしよう、幸せにしよう、っていう立ち位置から見た時に、この人といることを最善と判断した自分に、いまは旦那さん以上に感謝していますね。

このへんの武勇伝はこちらに詳しいのでぜひあわせてどうぞ。

仮に世界中の人全員を敵に回したとしても、この人だけは絶対に自分の味方でいてくれる、と思える人。そして自分自身も相手にとって、そういう存在でいようと思える人。この人生の中でそう多くは出会えないと思う。

ましてや血の繋がっていない人とそんな約束ができるなんて、奇跡としか言いようがないし、それは同時に、果てしない修行の幕開けを意味していたりもする。

多少のすれ違いやぶつかり合いが生じたとしてもそこに目を背けず、そのままにせず対等に「いま自分はこう感じている」と表現し、そのまま受け取り合う。それができる、しようと思える人とこそ「結婚」できるし、すべきだよなって思うんです。結婚ってのはゴールではなく、単なる「約束」の一つです。

だからやっぱり、まずは自分から一歩踏み出してみないとね。
まずは自分の幸せが第一、だからこそ。
自分のことを軽く扱ったり、いじめる人のことはNO!そして自分を大切にしてくれる、好きでいてくれる人には、思いっきりYES!!

意外とコトは、シンプルなのかもしれないね。


 


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