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「ミイラ展」を見て思ったこと。

シゲクです。昨日、上野の国立科学博物館で開催されている、

『特別展 ミイラ「永遠の命」を求めて』を見に行きました。


曇りがちだった数日間とは変わり、快晴でした。上野公園には、老若男女、様々な国籍の人々がそれぞれ楽しんでいました。


「ミイラ展」の開催概要などは、以下の公式サイトをご参照ください。


この「ミイラ展」に行く前、個人的にですが、「ミイラ」は生きていた人の遺体であり、真剣に向き合うには覚悟が必要だと思いました。そこで、自分なりに理想の最期を記事にしておきました。

事前に自分なりの理想的な「死」を考えておいたことで、いざ「ミイラ」と向き合う際の良い準備になったと思います。


私が「ミイラ」に関心を持ったのは、小学生時代に読んだこの3つの学習漫画でした。懐かしいです。「ミイラ展」で実際の「ミイラ」が見れることは、感慨深いものでした。


では、「ミイラ展」の感想に入っていきます。「ミイラ展」は、以下の展示構成がされています。

第1章 南北アメリカのミイラ

第2章 古代エジプトのミイラ

第3章 ヨーロッパのミイラ

第4章 オセアニアと東アジアのミイラ


私が、特に注目していたのは、ポスターにもなっているオランダの「ウェーリンゲメン」と、日本の「本草学者のミイラ」でした。「ウェーリンゲメン」の方は、全身が真っ黒で、他の「ミイラ」と比べるとあまり人の形を感じません。「本草学者のミイラ」の方は、毛の質感、ポーズ、数珠を握る指などが強烈です。

「ミイラ展」の全体を見て個人的に思ったのは、「ミイラ」になりたかった、「ミイラ」にさせられた、「ミイラ」になってしまったという3パターンがあることです。

実際見てみるとよくわかることですが、一言に「ミイラ」といっても、遺体の残り方や、保存状態にはかなりの差があります。

そして、7000年前~150年前に生きた人という大きな時代的な差もあります。生きていた長さよりも「ミイラ」としての時間の方が長いことになりますね。「生」の時間より「死」の時間の方が圧倒的に長いのは、誰もがそうなのかもしれません。

「ミイラ」になってから、世界中の「ミイラ」として博物館に集められるとは思いもしなかったでしょう。私も、こんなにたくさんの「ミイラ」をまとめて見るとは思いませんでした。

今後、自分の人生では二度と出会うことのない、一期一会の出会いであったと思います。

館内は平日の午後にも関わらずとても混雑していましたが、中学生の集団をはじめ、多くの若い人たちが「ミイラ」を食い入るようにみつめていました。感想を聞いてみたかったものです。

人は生まれればいつか亡くなるわけですが、今回の「ミイラ展」を見た人たちの中で、今後「ミイラ」になって展示される人は恐らくいないと思います。

「ミイラ」になった人たちは、どのような人生を送り、どのような最期を迎えたのでしょうか。納得のいく人生だったのか、それとも後悔の残る一生だったのでしょうか。話が出来る機会があったら、いろいろ聞いてみたいものです。

「ミイラ」と向き合いながら、あっという間に時間は過ぎていきました。私は個人的に復活は望みませんし、「ミイラ」になることも望みません。長時間、食い入るように見つめられるのは恥ずかしいからです。まだまだこれからいろんなことを楽しみながら生きたいと思います。


出口にあるショップで気に入って購入したのは、古代エジプトの神である「トト」と「ホルス」のお守り風の袋でした。これで、死後の世界でも安心です。

他にも魅力的なグッズがたくさんありますので、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。個人的な博物館・美術館の楽しみ方をまとめた有料記事もありますので、展示鑑賞のお供にしていただけたら幸いです。ご購入いただけたら、次の展示へ行く資金にもなりますので、よろしくお願いします。


今日は、この辺で失礼します。

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