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「男女の友情」から考える「人間関係」

シゲクです。昨日、「男女の友情についてどう思うか?」ということを聞かれました。思えば、聞かれるまであまり考えたことのないテーマでした。

「男女の友情」といえば、幼なじみをはじめとして多くのパターンがあるかと思います。

今、「友人」「恋人」というテーマは複雑で難しくなっている気がします。物理的な距離が近くなくとも、精神的な距離が近づいていることもあります。隣にいる誰かよりも、遠くにいる誰かが「自分」の考え方や思いを知っていることもあります。

ただ、一般的に「友情」と呼ばれているような感情は私にはあまりありません。男女問わず1人1人に対して、大体「好き」「興味がない」という感情しかありません。


「10年以上前に亡くなってしまった友人」の記憶を残すためにこの「note」を始めたにも関わらず、あまり「友情」を意識したことがないのです。

恐らく、自分が一方的に「好き」な人にしか個人的な関係性を持たないのかもしれません。


「SNS」が流行り始めてから、「その人本人」よりも「その人が書いた文章や画像」などを見ることが多くなっています。

「文章や画像だけがその人のすべてを現しているわけではない」という反論があるかもしれませんが、その人の「心」の中からダイレクトに出てくるものが、その人を現していないと言い切れるでしょうか。

「その人本人」から出てきた「文章や画像」が、「その人本人」として評価されている時代になってきているのかもしれません。

そのことが更に自分の「好き」「興味がない」を加速させている気がします。「好きな人」との時間は更に濃くなり、「興味がない人」との時間はどんどん無くなっていきます。


ただ、実際の「人間関係」は、自分に合う「好きな人」ばかりが近くにいるわけではなく、自分と合わない「興味がない人」ばかりが近くにいることもあります。

物理的な距離と精神的な距離が異なることが、「人間関係」を更に難しくしている気がしています。


「男女の友情についてどう思うか?」というテーマから、最終的に今私が思っている「人間関係」についての話になってしまいました。


今日は、この辺で失礼します。


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