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本棚から再び! 私が「ツナグ」に頼むとしたら誰だろうか?

また、家内と娘が読み終わった本棚から1冊、今回は辻村深月の「ツナグ」。表4にある説明から、変わった切り口から生と死を捉えた作品と期待して読み進んだ。

死別した芸能人、母親、友人、恋人との再会を描く4編と使者(ツナグ)の役目を引き継ぐ若者の視点からの5編からなる。生者側にも死者側にも1回の選択権しかなく、この切り札を使ったら永遠に使うことができないという設定だ。各々どの編も絡み合う人間模様が背景にあり、けっこうドロドロとした赴きだ。

そこで、ふと思ったのが、もし私が使者に会うことができ、お願いするとしたら誰に会いたいとお願いするだろう? 後にも先にも1回きりである。そして私が選んだ相手も1回きりで他には会えないという究極の選択だ。母だろうか?父だろうか?それとも、、、。

20年前に亡くなった母のことを思い出すと切なくなる。医者から家族に余命短い命と告げられたが、本人には最期まで伝えず、宣告からわずか3ヶ月後に亡くなった。その間、母は自らの病にどのような思いで立ち向かっていたのか? 母のことを思い出しnote綴った。

母に会えばあれほど母を慕っていた妹が母に会えなくなってしまう。また、なぜ本当の病のことを知らせてくれなかったのか、と詰問されそうで詫びるしかない(母は心優しい人だったのでそんなことは言わないだろう。だから尚更つらい)。父に会えば、なかなか腹を割って話せなかった仲を考えると会話に困ってしまいそうだ。では誰だ?学生時代にお世話になった恩人か?

3年前のクリスマスの頃に、ある青年からの急な連絡により、私が若い頃お世話になったその恩人を訪ねる旅に2人で出たことがある。恩人はすでに40年も前に亡くなっており、旅に出たといっても、その恩人と行った新宿の夜を徘徊して歩いただけである。しかし濃密な経験であった。私に連絡してきたその青年は恩人の孫であった。


その孫が生まれた時に、私の恩人はすでにこの世の人ではなかった。昭和の時代に、破天荒な運命にさらされながら懸命に生きていた祖父の話を聞き、もっと祖父のことを知りたい、祖父と一番関わりのあったのが私だと聞きつけ、訪ねて来たのだった。そして彼と訪ね歩いた新宿の街、これについては今年のクリスマスの頃にnoteに書いてみたい。私がツナグにお願いするならその恩人かもしれない。

話は小説「ツナグ」に戻る。2編目に私と同じように、病名を母親へ知らせず、母親への接し方で後悔を残していた男が登場する。2年前に亡くなった母親に会うことを願った。実際に会った時に母親は自らの病を知っていたか、いなかったかはっきりとは言わない。しかし、その表情が物語っていた。息子を苦しめたくないという母親の真の優しさであるように私には思えた。また、使者を通じて母親が先に他界した夫(男の父親)に会っていたことを告白する。なぜそうしたのか?いずれお前にも分かる、と明確には答えなかった。真実が後に分かるが泣かせるではないか。

この物語を読む時は、もし自分が使者(ツナグ)に接したら、誰に会いたいと思うか、と当てはめてみるのがよいのではないか。迷うだろう。色々なことを考えるだろう。その上で会うのか、会わないのか。自分の周りに存在した人たちとの関わりを思いながら、自らの生死を考える機会にもなるのではないか。

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