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小説を読んで思い出すこと

若い頃は知識欲や心のおもむくままに本を読んだが、歳を重ねると過去の自分に重ねてしまうことが多い。特に小説はそうだ。

私の母が亡くなって今年でちょうど20年になる。あっという間だ。命日の今月上旬に北海道に住む妹へメッセージを送った。「あれから20年、月日の経つのは早いものだね」。妹より「早いね、もう20年。あの日も今日みたいにすごく暑い日だった」。

20年前の2月、北海道の妹から電話があった。泣き声にくぐもった声で母が助からない病であることを知らされた。癌であった。余命3ヶ月と医者から知らされたという。今では本人への告知は普通かもしれないが、その当時は普通ではなかった。最後まで本人には知らせなかった。今でもそれが良かったのか、悪かったのか、正解を見いだせていない。とにかく父と私と妹は、母の命が万に一つでも助かるならどんなことでもしようと考えていた。藁にもすがる思いで、奇跡的な話であれ何であれ探しまくった。何の雑誌だったか情報だったか覚えていないが、お腹に巻くと癌を無くする毛布まで買おうと思った。20万もするものだった。しかし、十二指腸を圧迫するまで肥大化してしまった癌細胞を根絶する奇跡的なものなどあるはずもなかった。

東京から毎週末に北海道の病院を訪れるたびに、「北海道支社との打合せのための出張で来た帰りに寄ったんだ。次のプロジェクトの話で何かと打合わせが必要なんだ」と支社に寄ってもおらず、土曜の朝早い便で千歳空港に着き、病院へ直行したにもかかわらず、いかにも打合せ帰りと話をつくった。母はか細い声で「忙しそうだね。体には気をつけなさいよ」と息子を気遣う。しぼみゆく命を懸命に生きる母のそばに付いていたかった。

私が東京の私立大学を卒業できたのも母のおかげであった。半身不随に倒れ、11年寝たきりとなった祖母の面倒をみながら、夕方はパートに出て私の学費と生活費を稼いでくれた。介護制度などなかった40年前、子供だけではなく、義理の親の面倒までみなければならなかった母の人生を思うと、果たして母の人生は何であったのか、自分のために自分を生きる時間などなかったのではないかと思う。私の今ある人生は母の子に対する献身なくしてはあり得なかった。

浅田次郎のこの小説を読むと、あの頃東京から北海道へ通い続けた自分を思いだす。主人公安男は自ら運転する車に重度の心臓病である母を乗せ、百マイルの道のりを走る。今まで親に面倒かけてきたダメ男が、このままでは助からない母を車に乗せて、奇跡を起こすというGOD HANDを持つ医者のもとへ旅に出るのである。

早くに夫が亡くなり、4人の子供を女手一つでしっかりと育て上げ、立派に社会へ送り出したこの母親の苦労たるや小説の世界とはいえ想像を絶する。そんな母を何としても助けようとする必死さは、手段を失いながらもそばに付いていようとした当時の自分に重なる。

小説の中の母親は貧しい暮らしから社会へ巣立っていく子供の成長、幸せが生きる糧だったのか? 房総半島の先の海岸沿いの病院へ向かう途中、空腹を我慢して運転を続ける息子を気遣って、食べられるわけでもないのに、食堂に寄ろうとするシーンがある。「お母さんはお腹がすいたよ。何か食べさせて」。車を降りる動きだけでも心臓への負担は大きい。心臓が止まることも覚悟で息子のお腹を満たそうとする。

そんな母の愛情が痛いほど分かり、安男は別れた妻を思い出す。一生懸命子育てした妻を気遣わず、渋々と出かけた父親参観日、運動会でのビデオ回し、たまに行く家族での外食。それが父親の役目と思っていた。自分の命を投げ出しても子供たちを食べさせてきた母を見てきたのに、全く自らの家庭に生かして来なかった自分に気付くのである。

安男は、家事を手伝うこともなく、ましてや子供の教育は妻任せ。これほどまでに妻が(母親が)我が子を思い、懸命に育てているのに、全く自分という男は何をしていたんだ! 初めて気づいたに違いない。妻もまた母なのである。

この私も安男と全く同じではなかったか。ただ単に送り迎えすれば良いのか。学校参観に行けば良いのか。常に子を思っていかほどのことをしてきたか? あの時、妻が涙を流して憤り、「あなたは言葉ばかり。心から子を思って接しているの?」。長年携わってきて、資格まで取った仕事を諦め、子育てに必死だった妻のことを当時の私は理解できていなかった。

長男が小学生の時期、何かと学校でも問題を起こしたり世話のやける年ごろの頃、まだ小さな娘も抱えて精神的にきつい時期だったのだろう、ベランダで喫煙している姿を見た。それはSOSの発信だったのだ。

ロバートFヤングの「たんぽぽ娘」は学生の頃に初めて読んだ。中年男のロマンチックな話である、と思っていた。法律事務所を経営する男が、夏休み休暇で夫人と湖畔の山小屋へ行く予定であったが、夫人は急遽陪審員に選ばれ来れなくなった。1人で退屈な夏休みを過ごしていると、ある日散策していた森の丘で、たんぽぽ色の髪の少女に出会う。タイムマシンでやってきたそのけがれなき美しき少女に44歳の男は恋をする。毎日のように会いたいと思い、森の丘にやってくる。そして僅かな時間語り合う。そんな状況にもし自分が遭遇したら、惰性の日常の中で、まるで光を見るように同じく少女に恋をしたに違いない。中年男の儚い恋の物語か。

しかし違う。学生時代にはそのように捉えたが、今は違う。長年連れ添いながら全く気付いてあげられなかった男の反省なのである。自らの愚かさに今気づき、やっと年取ってから妻への愛情を確認する男の話なのではないか。

子供が独立し夫婦2人になって気付くことが多く、妻には少しでも楽しく生きがいを持って生きてほしいと思う。母としての存在はまだ続くが、自分のために費やせる時間も増えたはずだ。

たまには1人で街へ出て楽しみたいこともあるだろう。もし雨の日に傘を忘れて出かけたなら、バス停まで迎えに行きます。もう昔みたいに公衆電話から電話しなくてよい。LINEで傘マークを送ってくれれば☂️、、、。

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