考えていたのは青春じゃなくて本当は琵琶湖のこと
きれい、感動する、はかない、せつない…。この感情は、日常モードの自分とは別の次元からやってくる。内側から、内側から、青春っぽい自分が語りかけてきてしまうのです。
こんにちは。滋賀を自慢したくなるローカルメディア「しがトコ」編集長の亀口です。いま、青春のことを考えていました(もう40歳を過ぎてしまっているのですが)。葛藤したり、自我に苦しんだり、何者にもなれず、何者かもわからず。
青春には人間らしさが凝縮されていて、それは不完全だからこそ輝いているのだなぁとぼんやりと。
…あ、いや。考えていたのは青春じゃなくて琵琶湖のことでした。
たとえば車を走らせていると、日常の中にこんな風景が広がっている滋賀県。
美しい風景に出会ったときに、言葉を失うあの感じは、青春の透明な心の領域に、自分がいま立っているという合図でもあって。
日が沈む頃には、空も琵琶湖も淡いピンクに染まっていくし、波音もかすかに聞こえて。むかしの人が和歌を詠みたくなる気持ちが、時代を超えてここにも繋がっているのか!と思うほど。
だけどそんなピュアな気持ちとは裏腹に「琵琶湖、めっちゃキレイ」と、単語を連発するしかない自分と、そんな語彙力では琵琶湖の魅力を伝えきれないもどかしさ。
言葉をこえる美しい風景と出会ったとき、人間はもう無言になるしかないのでしょうか?
例えばチャットGPTならどんな言葉で琵琶湖の美しさを表現するのかと聞いてみたものの、説明的な文章としては間違ってはいないし、でも、そのまますぎる感じもする。そうではなくて、なんか、もっと青春側に立ってこそ琵琶湖の魅力は表現できるのだと思ってみたり。
琵琶湖の水には、400万年の歴史の記憶がただよっていて。それは海のような開放感とは違い、湖ならではの閉じられた雰囲気も秘めている。
青春っぽさとは、胸が熱くなる感情のことだとすれば、400万年の古代湖である琵琶湖には、その感情を引き出す力があると本気で信じているのでした。
琵琶湖という大自然のまえでは、みんな青春の心に届きそうになる。
日常のあれこればかりに追い回されていると、極彩色の雑念であたまの中にはモヤモヤが沈殿していく一方で。
そんな時には顔あげて、琵琶湖をみて、湖面をすーっと通り抜けていく風を感じてみれば、胸が熱くるなるまえの微熱の熱を、つかまえることができるはず。
人間らしい感情はきっと、青春にこそ凝縮されている。
だから心がいちばん忙しい10代や20代のみんなにこそ、琵琶湖に青春をぶつけてほしい!(と、いきなり力説してしまいますが)。説明する言葉ではきっと追いつかない。クリエイティブな感性で、400万年の古代湖と向き合ってみれば、その時、自分の内側からどんな感情が湧き起こるのか?
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