ぼくと彼女は光と動きの100かいだてのいえ展へ行く
ぼくと彼女は『光と動きの100かいだてのいえ』展へ行く。正確には『いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ―19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐ』展である(長い)。タイトルで分かるように、恵比寿の東京都写真美術館というところで開催されている展覧会だ。
ぼくと彼女は2年半前に交際を始めて、それ以来、毎年10月1日は東京都写真美術館へ行くのが恒例になっている。もちろん、今年もぼくらは10月1日に東京都写真美術館へ行ってきた。なぜ「10月1日」なのかというと、10月1日は都民の日で、都民の日は東京都写真美術館が入館無料になるからである(この話は前回の記事でしつこく話したので繰り返しません)。
午前中に就職先の内定式があり、夜中にバイト(近所のコンビニの夜勤)があるというのに、その間に彼女とのデート(一応)を組み込むぼくは異常だと思……ったが、まあ、日中に大学へ行って夜中に夜勤へ行くというのとスケジュール的にはあんまり変わらないな。電車に乗って場所を移動しているからハードスケジュール感が出ちゃっているだけで。というか、それを言うなら、日中に大学があるのに当然のように夜勤のバイトをしていること自体がおかしいわけで、おかげでぼくはこの4年間を恒常的睡眠不足状態で終わろうとしている。社会人になったらもっと寝たい……
さて、今年の10月1日。内定式が終わって、内定式で知り合った遠藤くんと一緒にお昼ご飯を食べたあと、JR恵比寿駅の東口改札前で由梨(内定式を開かないところに就職するひと)と待ち合わせて、東京都写真美術館へ行って、まずは3階の『TOPコレクション 見ることの重奏』展を見た。という話は前回書いた。今回はその続きである。相変わらず前フリが長い。ここまでで700字超えている。本編のほうはできるだけ短くするつもりなのでお許しください。
この日、東京都写真美術館では2つの展覧会が開催されていた。3階展示室での『TOPコレクション 見ることの重奏』展と、地下1階展示室での『いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ』展である。ぼくらはまず『見ることの重奏』展のほうへ向かったのだが、3階展示室へ向かうエレベーターの中で他の来館者たちが「地下の展示室は入場まで1時間待ちらしいよ」と話しているのを聞いて、ぼくは「地下1階のほうに行くのは無理かもな」と思った。だって、この時点でもう午後である。ぼくに夜勤がある関係で、由梨(彼女)とは「夕方には一緒に晩ご飯を食べたいね」という話になっていたので、これから『見ることの重奏』展を見たあと、別の展示室の入口に1時間も並んでいるような時間的余裕はない。1時間も並ばなきゃ入れないなら『100かいだてのいえ』展のほうはあきらめざるを得ないだろう。かわいそうな由梨。夜勤のバイトをしている彼氏なんかと付き合っているせいで、せっかくの入館無料DAYなのに展覧会を半分しか楽しめないなんて。こんなやつを好きになった由梨の自業自得だ(?)。
混んでいて室内がそわそわしていたせいもあったんだと思うが、『見ることの重奏』展は意外と早めに見終わった。展示作品もそこまで多くなかった気がするし。3階展示室を出る。階段で2階に下りて、ミュージアムショップを冷やかしたあと、「じゃあ試しに地下1階展示室へ向かってみるか。もし1時間待ちとかだったら別の日に改めて来よう(その場合は入館料がかかるけど)」ということで、ぼくらはさらに階段を下りた。
階段の1階の出入口のところまで下りていったら、係員さんが立っていて、「こちらが地下1階展示室の入場最後尾となります」と案内していた。とりあえず並んでみる。二人で「さっきのマン・レイの写真撮りたかった」「マン・レイと檀れいは名前が似ている」と話しているうちに、意外と早く列は前に進んで、ぼくらはたぶん5~6分もしないうちに地下1階のフロアに着いた。なんだ、すぐ入れるんじゃん。誰だよ、「入場まで1時間待ちらしいよ」とか言ってたやつは。なんか得した気分だ。ぼくが「よかったね! 待ち時間が全然なくてよかったね!」とはしゃいでると、由梨から「子どもみたい。ちょっと落ち着いて」と諭された。
受付で本日のチケット(都民の日限定の無料整理券)を見せて、作品リストの冊子を受け取り、地下1階展示室へいざ入場。室内に入ると、子どもたち(というか親子連れ)がいっぱいいて、わいわいがやがや賑わっていた。
『いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ』展は、「いわいとしお」というひとが描いた絵本『100かいだてのいえ』シリーズを通して、人類の映像装置の歴史をたどる展覧会である。ぼくはいわいとしおのことも『100かいだてのいえ』という絵本のことも今日まで存じ上げなかったが、由梨は小さい頃から知っているそうで、小学生の時に学校の図書室でよく読んでいたらしい。ホンマかいな。
まあ、由梨がそんなつまらない嘘をつくはずはないので、『光と動きの100かいだてのいえ』展の会場へ入ります。まず、会場の入口正面には大きなボックスが置いてあった。実際は箱一面に絵が描いてあるだけなんだけど、合わせ鏡を使って、下のほうに空間が永遠に続いているように見せている。「100かいだてのいえ」ってそういうことかあ……って、なにこれ。めちゃくちゃ楽しいんですけど。あと、このイラストの雰囲気もいいね。めちゃくちゃ好み。ぼくはそばにいる子ども(赤の他人)と一緒になって、「100かいだてのいえ」の箱の中を覗いて「わあ、おもしろい! おもしろい!」とはしゃぎまくった。由梨からはまた「落ち着いて」と言われた。
隣の壁では絵本『100かいだてのいえ』の原画が展示されていて、それを見ながら由梨が「懐かしい! 『100かいだてのいえ』はこういうのがいっぱい載っている本なんだよ」と興奮していた。場内は撮影OKだったのでぼくも由梨も写真を撮ったけど、ここにそれを掲載するのは自粛しておきます。というのも、他の来場者さんたちの顔とか洋服がガラスのケースにがっつり写り込んでしまっているので。ぼくと由梨の顔は写らずに済んだけどね。つまり、会場内はそれほど混んでいたってことです。
この『光と動きの100かいだてのいえ』展では、いわいとしおの『100かいだてのいえ』シリーズに関する作品が展示されているだけではない。この展覧会はあくまで「人類の映像装置の歴史をたどる」という展覧会なので、東京都写真美術館が収蔵している昔の映像装置もたくさん展示されてあった。なんか去年の『「覗き見る」まなざしの系譜』展と企画が被ってるし、実際に展示物も同じような気がするけど、改めて紹介しておきます。
まず、ピーター・M・ロジェというひとがちょうど200年前に作った「車輪のイリュージョン」という装置。光を当てながら走らせた車輪を柵越しに見ると、車輪がゆがんでいるように見える……っていう、ただそれだけのことを表現した装置なのだが、これが世界のアニメーションの原点なのかもしれない。まあ、この原理に気付いて装置まで開発しちゃったロジェってひとはすごいよね。
続いて、ジョン・プラトーというひとが1829年に作った「アノーソスコープ」という装置。これはロジェの「車輪のイリュージョン」に影響を受けて作ったやつらしくて、やはり、光を当ててハンドルを動かすと映像みたいなものが浮き出てくるみたいな装置である。今回の展覧会では実際に来場者がハンドルを握って動かしてみることができるようになっていたので、ぼくと由梨もそこら辺の子どもたちに交じって動かしてみた。由梨は「見えるよ、見える。絵が見える」とか言っていたけど、ぶっちゃけ、ぼくは何が何だかよく分かりませんでした。ぼくにアノーソスコープのセンスなし……
お次は、ウィリアム・G・ホーナーというひとが1834年に作った「ゾートロープ」という装置です。これは円筒を動かしながらその中を覗き見ると、中で絵が動いているように見えるっていうやつである。一種のパラパラマンガで、ここまでくるともう明らかに「アニメーションの原型」だなって感じがする。去年の『覗き見る』展にも展示されていたと思うけど、一年ぶりの再会はうれしかった。……いや、もしかしたら違う機種かもしれないけど。
さあ、どんどんいきましょう。19世紀後半に突入です。エミール・レイノーというひとが1877年に作った「プラクシノスコープ」という装置は、「ゾートロープ」に似ているけど、「ゾートロープ」の欠点(像がゆがみがち)を改良したものである。サイズもコンパクトだし、強い光を当てなくてもパラパラアニメを楽しめるようにできているし、あと、円筒の中のイラストがカラフルできれい。なんでもこのイラストはレイノー自身が描いたものだそうで(レイノーは画家でもあったらしい)、大学の放送研究会でアニメを作ってきた由梨もそのイラストの出来のよさには息を巻いていた(少なくとも「これまでの装置とはイラストの性質が違うね」とは言っていた)。
リュミエール兄弟が1895年に作った「シネマトグラフ」になると、もはや完全に現代の映画のカメラって感じ。まあそう感じるのは、ぼくがサイレント映画に馴染みがあって、「昔の映画」と「いまの映画」の区別が曖昧だからかもしれないけど。ぼくがチャップリンを好き(と言ってもオタクってほどじゃないが)だと知っている由梨から「チャップリンもこれで映画を撮ってたの?」と聞かれて、「さすがにもっと進化したカメラを使ってたんじゃないかな? チャップリンが映画界に入ったのって1910年代とかだし」と答えたけど、えーと……この答えで合ってますよね?
さて、光と動きの装置の展示はこれにて終了で、展覧会はここでまたいわいとしおの世界に戻る。さっき正面の入口に設置されてあった「100かいだてのいえ」ボックスのミニチュア版みたいなやつとか、絵本「100かいだてのいえ」シリーズの原画とか……。ぼく的にはもっと昔の映像装置を見物したかったけど、まあ、さっきも書いたようにいわいとしおのイラストもぼくの好みだったので楽しく鑑賞した。
展示室の出口のほうでは、いわいとしおが子どもの頃に使っていたという学習ノート(?)や単語帳(?)も展示されていた。ぶっちゃけ「光と動き」とは関係ねえじゃんと思ったが、他人のこんなものなんて見る機会はまずないので、やはりこれも楽しく鑑賞させていただいた。余談ですが、由梨はこういう小学校時代のプリント類を自宅にほぼ全部保管しているらしい。由梨自身というより由梨のお母さんが保管したいから保管しているらしい。さすがは、親が子どもを愛していて、収納スペースに余裕がある家庭にふさわしいエピソードだ。
はい、これにて『いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ』展はおしまい。展示室を退場します。こちらの展覧会も思ったよりは鑑賞時間短めで終わったな。時間を確認してもまだ夕方になりかけている時間だったので、このあとのタイムスケジュール的にちょうどいい感じだ。コインロッカーの奥のトイレに行って(最初はぼくだけ行く感じだったが「由梨も行っときなよ」と促したら「じゃあそうする」と言って由梨も行った)、100円入れないといけないけどあとで100円返ってくるロッカーから荷物を取り出して、東京都写真美術館を退館する。ありがとう東京都写真美術館。今年の都民の日も入場無料で楽しませてもらいました。
そのあとは、由梨が場所を事前に調べてくれていたサイゼリヤ恵比寿駅東口店へ。混んでいたから入店するまで少し待たされる。「さっきの『100かいだてのいえ』展の入場待ちより待たされるね」「たしかに」という話をした瞬間に「お待たせしました」と案内されたのは、ぼくらの会話をお店が盗聴していたからか?
席に着いて、ぼくは半熟卵のカルボナーラ、由梨は地中海ピラフを注文する(ぼくの記憶が正しければ)。「毎年10月1日に東京都写真美術館に行くのがぼくらのルーティンになっている」という話をしていた時、由梨から「入館無料だからねえ。来年も一緒に行く?……あ、でも平日だったら無理なのかなあ」と言われた。ぼくが「なんで?」と聞いたら、「平日だったらお互い仕事があるでしょ」と返された。……あっ、そうだよな。言われて初めて気が付いたけど、ぼくらは来年4月から社会人になるのだった。だからこそぼくは今日、内定式帰りでスーツ姿なのだった。意識低い系新社会人候補生ですみません……
ぼくと彼女は『光と動きの100かいだてのいえ』展へ行く。去年の『何が見える? 「覗き見る」まなざしの系譜』展と絵本『100かいだてのいえ』を混ぜたような展覧会で、映像装置の歴史を振り返る展覧会としては去年より内容が薄くて、絵本『100かいだてのいえ』の美術展としてはいまいち物足りないという、「帯に短し襷に長し」的な展覧会だったけど、まあ、無料でこれだけのものを見せてもらったのだからぼくとしては満足です。入場待ちの時間もほとんどなかったしね。
来年、社会人になったら、平日の都民の日に東京都写真美術館に行くのはどう考えても難しくなるので(東京都写真美術館は18時閉館、入館は17時半までなので)、東京都写真美術館の展覧会に行くとしたら、土日祝日にお金を払って行くしかなくなるだろうな。なんだか切ない。お金を払わなきゃいけなくなることというより、「由梨と一緒に都民の日に東京都写真美術館へ行く」というお決まりの行事を二度とできなくなってしまうことが切ない。まあ、来年の都民の日も東京都写真美術館が入館無料になるのかは不明ですが……。あと、そもそもぼくと由梨が来年の都民の日まで付き合っているのかも不明ですが……。未来のことは分からないので、とりあえずぼくはいまを生きることにします。それがぼくのいま考えていること。
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