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私は私でない何かになりたいのかもしれない

 どれほど面倒くさかろうが何だろうが自分とは一生付き合っていかなくてはならない。それは以前の記事にも書いた通りだ。
 しかしそれでも自分という存在を持て余してしまい、どうすればいいかわからなくなることがある。noteで知り合った方と実際に会ったりして交流を深め、友人になったという記事を見ると微笑ましい気持ちになると同時に、どうしようもなく羨ましくなる。もっと早くnoteというものがあることに気付けていたらとか、一歩踏み出してnote酒場などに参加していればとか、そんなことを考えてしまう。

 自分を構成するもののひとつに肉体がある。『鋼の錬金術師』(荒川弘)では人間は肉体・魂・精神のみっつから成り立っているとされ、『西の魔女が死んだ』(梨木香歩)では「死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になること」とおばあちゃんが語っている。
 幽体離脱やエクトプラズムではないが、肉体から離れ、魂だけの存在になれたらどれほど自由だろうと思う。
 例えば魂としてその辺に置いてあるティッシュペーパーの箱に宿るとする。そこからはどんな景色が見えるだろう。あるいは魂のみとしてふよふよとあちこちを回るのもいい。肉体があると調子が悪くなれば心も暗くなってしまうし、暑さや寒さ――主に後者でやる気が削がれてしまうこともある。だが魂だけの存在であれば、そういった煩わしさからは解放される。
 食べる楽しみなどはなくなってしまうかもしれないが、幸か不幸か、私は飲食に対してさほど執着がないためそこまで苦にはならないと思う。魂だけで移動する際に肉体を隠して持っていければ(人目につくとぎょっとされるかもしれないので)、目的地で肉体と融合し、お洒落なバーでカクテルなどを飲んだりといったこともやってみたいものだが。

 非現実的なのはわかっているが、もし可能性があるのならば、一時的にでもそういう状態になれる未来が来たらと思う。そうなることで、心の平穏を取り戻せる人もいるかもしれないから。

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