真夜中に聴きたい井上陽水・10選
真夜中。
それは、現実と夢の境界が溶けて混ざり合い、曖昧になる妖しい時間。
頭の中に空想が広がり、未来と過去と現在がごちゃまぜになり、時間感覚すらもおぼろげな時間。
そんな真夜中にこそ、井上陽水のシュールな世界に浸りたくなる。
という訳で、真夜中に聴きたい井上陽水の曲10選を勝手にセレクトしたい。
なお、甲乙つけがたいことは自明の理であり、10選に入らなかった曲があることをご容赦願いたい。
1、「東へ西へ」
唄い出しはこうだ。
ご飯を食べるとお腹がいっぱいになるのはどういう訳だ?
お金を使うと減るのはどういう訳だ?
みたいな、当たり前の理屈が分からないと言っているあたりに狂気というか、とぼけというか、洒落というか、なんだか不気味さがある。
電車に押し込まれ身体的な自由を奪われる。
そういう非人間的で不当な扱いを受ける。
殺伐とした情景とは対照的に、「床に倒れた老婆が笑う。」
気がふれそうな、あるいはふれてしまっているような異常性が感じられる。
モックン(本木雅弘)が歌ったヴァージョンもまた中毒性がある。
というかモックンカッコ良い。
2、「Make-up Shadow」
「はじめてのぉ、くちべにのぉ、くちびるぬぅん いるぅんにぃ」
と、井上陽水特有の歌い方がなんとも真似したくなる。
一言一句、余すところなくすべてが神がかり的な歌詞なのだが、特にこの歌詞を見て頂きたい。
「に、にひきのヒョウとサファイアルビー???」
なんでヒョウ?なんで二匹なんだ?そこに加えて、サファイアルビー?
と疑問符だらけだが、何故かどこか神秘的な美しさとして成立している。
これは、絵画みたいな歌詞なんじゃないか?
メロディに乗るとこれがまたなんとも流麗にきちんと仕上がるのだから、やはり天才だと思わされる。
3、「リバーサイドホテル」
この、「メタル」がなんなのか未だに分からない。
金属のメタルって。
井上陽水は名曲「少年時代」の中で「風あざみ」という造語を自身で作ることもあるくらいだから、これも新しい表現として作ったのかもしれない。
分からないけれど、なんか分かる。
「金属のメタルで」以外に表現が無かったような気さえしてくる。
そういう不思議な魅力がある。
「チェックインなら寝顔を見せるだけ」も見落とすことができない。
「野暮の真逆」と言える。
楽曲全体を通して、「欧州のとある水上都市でランデブーする若い恋人たち」をイメージさせる。勝手なイメージはヴェネツィアだ。
4、「氷の世界」
リンゴ売りなんて現代っぽくないし、日本っぽくない。
そういう遠い世界にいる錯覚を起こさせる。
しかし、
テレビという現代的なアイテムが登場することでやっぱり現代だと引き戻される。
そしてテレビはすぐに消えた。消したのではなく、消えた。
暗い部屋の中で「ジジー、ジジ―、ブゥーン」という音とともに、勝手にテレビが消えたシーンが想像される。
なんとも不気味でシュールな感覚に陥る。
とりあえず誰かを傷つけたいという無軌道で、破滅的な衝動。
しかも、あたかも「何か食べたい」、とか「お風呂に入りたい」というくらいの軽い調子で言ってのける。
しかしそんなことができない理由は、「やっぱり自分が怖いだけなんだな」と自分を見くびって突き放して嘲笑う。
ノーベル賞という固有名詞を登場させつつ、権威を求める人を馬鹿にするような鋭いフレーズ。
原曲も最高だが、下記のライブヴァージョンが超圧巻!
バックコーラス、演出、井上陽水の身振り手振りを交えたパフォーマンス。
すべてが最上級で交じり合ったど迫力ライブだ。
※ユニバーサルミュージックの公式チャンネルなので引用も問題無さそうだ。
5、「コーヒー・ルンバ」
最近までずっと井上陽水の作詞・作曲だと思っていたが、なんとそうではないらしい!と知ってびっくりした。
歌詞もメロディーもあまりにも井上陽水的だからだ。
歌い出しから引き付けられる。
そう来たか!
「偉いお坊さんが」という昔話のようなゆるい語り口がいい。
中東だったり南米だったり色んな地域が思い浮かぶ。
メロウなメロディと相まって、異国情緒たっぷりな曲だ。
6、「青空、ひとりきり」
タイトルこそ、青空という言葉が入っているが、これは真夜中にこそ聞きたい雰囲気をまとっている。
まず、イントロのエレキギターのキュイーンという音が空気を中断する。
その後に続く階段を上っていくようなメロディライン。
なんだか足が地についていない享楽的な人間を揶揄しているような歌詞。
楽曲が発表されたのは1999年だが、私はそれより10年以上前のバブル時代の浮かれた人々をイメージする。
私が衝撃を受けたのは下記の歌詞だ。
こんな体言止めを味わったことがあるだろうか?
井上陽水にしか書けない歌詞だ。
曲が終わったら立て続けに繰り返して、何回かかけることで一つの楽曲になるような、まるで円柱に描かれた絵画のような楽曲だ。
7、「夢の中へ」
「ねえねえ、くよくよ悩む気持ちも分かるけどさ、そんなことより踊ろうよ!」と無邪気な笑顔で肩に手を乗せてくる友人が想起される。
仕事をしていてたまに思う、自分は何をやっているんだろう?という虚無感。なんだかそんな心境に響く言葉だ。
思い悩んでいたことについて、ある時、急に答えが見つかったような気がする時がある。
なんだかモヤモヤしている時、進むべき道に迷っている時、そんな夜に聴きたい曲だ。
8、「飾りじゃないのよ涙は」
中森明菜の「カッコ良いオンナ」だけど「ちょっと不良っぽい」、そして「ちょっとミステリアスな」イメージを的確に表している。
急にスピンをかけられても、「助手席で涼しい顔ですましている中森明菜」が映像として浮かぶ。もちろん、朝ではない。ミッドナイト・ドライブだ。
「涙は飾りじゃない」ではなく、「飾りじゃないのよ涙は」という倒置法のお手本のようだ。
HAHAとHOHOも、なかなか井上陽水じゃないと思いつかないフレーズだ。
9、「人生が二度あれば」
年老いた親の姿を見た時に感じるやりきれなさを、誰しも一度は感じたことがあるかと思う。
1948年生まれの井上陽水の親世代と言えば、戦争も経験してきているはずだ。
国や時代といった抗いようもない、大きなうねりの中で、自身の意志に自由は無く、与えられた宿命を背負いながらひたすらに汗を流してきたはずだ。
もちろん、母も同様だ。
サビでは号泣しているような、うなっているような、吠えているような、叫ぶような歌声で歌われている。
思わず手を止めて聴きいってしまう引力を持っている。
10、「断絶」
「よっ、なっ、かっ、にぃ~デイットしったぁ~!」の強烈に歌の世界に引き込む歌い出し。まるで、夏目漱石が書いた近代小説のような歌詞だ。
続きが読みたくなる、否、聴きたくなる。
若者の純粋な愛と、旧態依然とした時代の空気に対する疑問と反発。
それにしても、タイトルがまたいいなぁ。
おわりに
一度入ったら出られない。井上陽水の世界。
今後も私はどっぷりつかりたいと思う。
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