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「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」 (船越健之助)<読書ノート・その働き方篇>

電通を世界企業にした男、電通四代目社長、通称・広告の鬼、吉田秀雄の伝記、「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」の読書ノートです。

大変内容の充実した本なので、色んな視点別に区切って読書ノートを作成したいと思います。

今回は、吉田秀雄の凄まじいエネルギーに着目して、その働きっぷりに焦点を当ててみたいと思います。

※ちなみに、人材集め、人材教育の視点から構成した、「会社づくり篇」はこちらでございます。

※電通の歴史はそのまま日本の広告の歴史と重なる…という訳で「広告ビジネスの歴史篇」はこちらです。

鬼の朝は早い

皆さんは朝何時に起きていますか?
ご自身のスケジュールと照らし合わせながら見ると興味深いです。

朝は、六時に起床する。目覚ましはお手伝いさんが雨戸を開ける音である。下着から上着まで、自分のことはすべて自分で管理する。これは若いときからの癖のようなものだった。食事をして、自宅の品川区多い鹿島町の自宅を出るのは七時ニ十分、敷地の中に運転手の渡辺善雄の一家が、ガレージの二回に二十七年から住んでいた。車は一九五七年型のキャデラックであった。
 八時前に社に着く。

「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」ポプラ社(船越健之助)p318

また、車の中では、後述する朝の会議の準備として、部下の業務日誌に目を通していたようです。

鬼の朝の習慣

会社に着いてからの習慣が面白いです。

 やがて秘書室が朝の重要な時間としているのがトイレット・タイムである。四階には、エレベーター裏に社員用のトイレットがあるが、吉田は社長室の裏側に専用のトイレットを作らせた。(中略)誰とて声を掛けることが出来ないトイレット・タイム。約三十分間、吉田が座禅にもちかい場として精神を統一するところである。密室のひとりとなって、一日の予定が緻密に計算され、構成される。
 この時間に邪魔が入ると、機嫌が一日中悪いのだ。たとえ重要なことが発生しても、慎重に対応せねば秘書室がお叱りを受ける。だから、この時間は社長室周辺を警戒するほどである。
 吉田は、一般社員よりも一時間以上早く出社していた。彼のまわりの首脳部たちも自然に早い出社となっていた。

「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」ポプラ社(船越健之助)p252-253

朝、その日を設計する時間だったのでしょう。
一年の計は元旦にありと言いますが、一日の計は朝にあるのかもしれません。

「この時間に邪魔が入ると機嫌が悪くなる」というのが、なんかカリスマ経営者っぽいですね(笑)

秘書も相当気を遣ったんでしょうね、、目に浮かびます。

恐怖の朝会議

その後は朝会議です。

吉田はトイレット・タイムを終えて、社長室奥の会議室で最高幹部会議がいつものように、いつものメンバーで開かれる。吉田がコーヒー好きなので、全員がコーヒーを飲むことから始まる。これをモーニング・カップと呼んでいた。
 机の上には、各自が持って来た書類が山積になっている。吉田は中央に座り、ギョロリの目で全員を確認する。すでに吉田は、前日に局長の書いた業務日誌は車の中で目を通しているので、赤エンピツで文字や線が引いてある。それを全員が回覧する。いつもの一日の仕事の始まりである。
 吉田の質問が出る。この指名はドキリとする。当たり前のようなことが答えられないと、たちまち「何年重役をやっているのか」と怒鳴られる。

「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」ポプラ社(船越健之助)p318-319

出社時間といい、コーヒーを飲む文化といい、社長の影響が相当大きかったことがわかります。

いまの時代にはそぐわないと思いますが・・・ただ、吉田は単に恐れられていたのではなく、大変慕われていたことが本書全体を通して感じられます。
また吉田自身も、叱りすぎてしまった部下へ手紙を書いたり、自分のスーツをプレゼントしたり、とにかく愛情の厚い人だったようです。

帰宅後も、たくさん手紙を書いた。言葉で人の心を動かすプロ。

吉田の仕事は、午前八時から午後八時が平均的な勤務時間だが、彼は帰宅してからの日常業務があった。風呂に入って、妻の給仕で食事をすると、新聞とテレビを休息程度に見る。
 それから、自宅宛に数十通の手紙が毎日届くので、これを整理して返事を一枚一枚書く。決して翌日まで持ち越さないという信念がある。手紙の多くは私信だが、社員二千四百人の数人もいる。
 返事以外に、指針の便箋で、転勤した者へ、今日の会議で怒鳴りつけた者へ、病気で休職している者へなど、友達に手紙を書くように出す。
 就寝は一時から二時になる。

「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」ポプラ社(船越健之助)p317-318

吉田は、筆まめだったようです。
手紙を書くことはもちろん、社内に檄文を書いて配布していました。

やはり広告のプロらしく、人の心を動かす文章、言葉を作るのが好きで、うまかったのでしょう。

電通鬼十則も、普段から言葉の力を信じていた、吉田の信念の結果の一つなのだと思います。

このことは、吉田が幹部になるための資格として作った十の法則、「第二の鬼十則」からも窺えます。

第五に、表現能力を持たねばならない。
 広告活動というものが常に言葉なり文章なりその他の手段によって、自分の意志を表現することを必要とするものであるが故に、文章を書くとか、しゃべるとかいうことに優れた能力を持たなければ、広告代理業の幹部たる資格はない。

「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」ポプラ社(船越健之助)p317-318

東京と大阪を夜行寝台列車で往復。

吉田が大阪での仕事を重点的にしていた時の働き方もまた凄まじいです。
東京で深夜に仕事を終えると、そのまま夜行列車で大阪へ行ったと言います。

吉田はこの頃、社の最高政策として大阪重点主義をとっていた。そのため、月初めの約十日間は関西駐在であった。
 その交通は夜行寝台急行列車「銀河」が好きで、ほとんどこれを使った。東京を午後十時四十分に乗ると、大阪には午前九時十五分に着く。仕事を終えて、そのまま「銀河」に乗れば寝ていけるのが気に入っていた。

「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」ポプラ社(船越健之助)p317-318

鬼の休日

そんな猛烈な働き方をしていた「鬼」ですが、休日はあったのでしょうか?

吉田は、日曜日にはゴルフに熱中していたようです。

吉田は旧制高校時代から野球が大好きで、自ら監督兼選手として野球チームを組織するほどでした。

しかし50を過ぎると、「野球は少し過激すぎる」と思ったようで、ゴルフに目覚めました。

日曜日の吉田のスケジュールにはかならずゴルフ通いが入っていた。吉田は、会う人たびに、ゴルフのすばらしさを説いて、「酒んばかり飲んで健康によくない。ゴルフは健康によい。若い人もやるべきだ」という。吉田の談話は、広告代理業界にゴルフ熱を起こさせてしまった。戦後十年の昭和三十年はまだ日本は豊ではなかった。そんな考えの中のにあって、ゴルフは贅沢品であり、別世界のゲームに見えたものである。新聞社広告局。スポーツ紙広告局などが盛んにゴルフを始めたのは、三十四、五十年頃から。業界の若い人たちにもゴルフが行き渡り、マイ・カーで出かけるようになったのは四十年に入ってからであった。
(中略)
「人間だけが財産のわが社では、人材保存の意味で無駄ではない」と、吉田は宣言したほどであった。

「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」ポプラ社(船越健之助)p309

単なるリフレッシュとしての休息ではなくて、広告業界、メディア業界を巻き込んでゴルフブームを先導し、人材交流の場にしてしまうあたりが、なんとも鬼らしいです。

また、吉田は仕事の合間の気分転換には、銀座の街でショッピングをしていました。そのショッピングというのも、自分のものを買うだけではなくて、部下たちへのプレゼントを買っていたのでした。

すべてが仕事に繋がっていたのだなぁと思います。

鬼の檄

吉田のスケジュールを切り口としてみてきましたが、最後に、仕事の姿勢をみてみたいと思います。

吉田がことあるごとに「檄文」を書いて社内に配布し、意識の統制を図っていたことは上述の通りです。

その中から興味深いものをご紹介します。
売り上げ30億円を突破した際に発した檄文です。

一、常に勉学し、思考し、研究すること。
二、仕事の性質、大商、公峡に応じて直ちに社内の諸才能を糾合編成し、常に有機的な組織活動を行うこと。個人プレーは百害あって一利なし。
(中略)
四、職場の空気を常に豪放闊達、活気横溢したものに高揚しておくこと、そのために(五つの項)、
イ、職場を仕事の溶鉱炉とせよ。その中では一切が灼熱した仕事の火によって溶け合ってしまうであろう。
ロ、職場においては常に大声で叱咤し合え。コソコソ話は陰鬱姑息である。
ハ、職場においては私事を非難するな。私事をあげつらうは卑猥、卑怯である。それは、そもそも近代人のエチケットに反する。
二、職場においては常に早足で歩くこと。漫歩は弛緩を導く。
ホ、職場においては一切の敬称敬語は用いぬこと。巧言令色鮮し仁。
(後略)

「われ広告の鬼とならん 電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯」ポプラ社(船越健之助)p407

はじめに見た時、「武家諸法度」かと思いました。
「ホ、」に「巧言令色鮮し仁」とある通り、やはり吉田は漢文を好んだようです。敢えて漢文調にしたのではないでしょうか。
そのせいか、全体的に四角い感じの言い回しで、歯切れがよくて説得力があります。

吉田は広告マンは常に研究を続けなければならない、というような思想を持っていたとみえるのですが、そのことが「一、」に表れています。

また、「二、」では広告代理店の組織論が語られています。
案件に応じて、最適な人材を組み合わせて組織を編成すべし、という意図かと思います。これは今日でも重要な組織論かと思いますが、吉田は既に組織編制の本質を見抜いていたのかもしれません。

なかでも特に興味深いのが、「四、」です。
「ゆっくり歩くな!」というのが当時の前のめりな雰囲気をよく表しているように思います。背筋が伸びる感じですね。

意外だったのは、「敬語を使うな」というものです。
かなり体育会的に見えるのですが、タメ口なんか使って大丈夫だったのでしょうか・・・?「(上司が部下に対しては)敬語を使うな」という括弧付きだったのかもしれません。

おわりに

圧倒的なバイタリティ、無尽蔵とも思えるエネルギーを垣間見ることができました。
再三になりますが、時代にそぐわない部分はあるかもしれません。
しかし、当時の時代の雰囲気を知ることができたり、エネルギーをもらえる気がします。
また別の切り口からこの本の読書ノートを作成したいと思っています。



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