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「あの日」のこと

わざわざ見に行かなくても、近所に梅が咲く季節になった。久しぶりにCanonを持ち出して撮ったら、なんだかピンぼけした写真ばかりになってしまった。

今日は3月11日。4年前に大学生だった私は、「それ」が来たときアカペラサークルの練習に行こうとして姿見の前で化粧をしていた。

揺れがだんだん大きくなり、さすがに怖いと感じて机の下に逃げ込んだ次の瞬間、鏡と本棚が化粧をしていたまさにその場所に倒れて重なった。その直後にものすごい横揺れになり、机の下から投げ出されるかと思った。「死ぬかも」。そう思ったけど、だんだん揺れは収まった。死ななかった。


ルームメイトと共に外に出たら、たくさんの人が外に出てきていた。顔も知らなかった同じアパートの人と初めて話した。大学に避難する。宿舎の食堂にたくさんの学生が集まった。大きなテレビに映し出されたのは「海岸に100人ほどの遺体か」なにか違う世界の出来事のようだった。水道もガスも電気も止まっていたから、その日はライフラインの生きていた友達の家に5人くらいで押しかけて泊めてもらった。大きな余震が来るたびに、みんなで外に逃げる。それの繰り返し。緊迫した眠れない夜を過ごした。
地元が福島の友達はずっと泣いていて、そのとき私は彼女がどうして泣いているのかまだ推し量ることができなかった。

先輩の卒業ライブが中止になった。卒業式が延期になった。友人たちの就職活動が延びた。日本中がストップしたみたいだった。(専攻していた分野の性質上、学部のおよそ半分くらいの友人は留学していて日本にいなかったのだけど)Facebook上では海外にいる友人たちがこぞって「頑張れ日本」と書き込んだ。

いつこの異世界から抜けるんだろうと思ったけど昨日の続きは今日だったし、このまま世界がひっくり返って人生がすべてリセットされるのかなと不謹慎にも期待したけれど、今日の続きは明日だった。


そして4年間が積み重なって今日に至る。

それでも世界は回って行く。

ゆっくりとではなく、いつもの速いスピードで。
あの日は今日みたいに少し寒かったっけ。
こんなに梅が見頃を迎えていた季節だったっけ。
今でもあの揺れを思い出してぞっとするし、
混乱や悲しさを思い出して胸がぎゅっとなる。
地面が割れても誰かが死んでも世界は変わらないし終わらない。
昨日の続きは今日だし、今日の続きは明日だ。

…ただ少しずつ未来を変えていくために、
今日を生きることを許された私は少しでも精一杯今日を生きるしかない。
空に向かって枝を伸ばして咲く梅のように。



2015年の3月11日に書いた記事を発掘したので、少しリライトしてここにも置いてみる。
当時私の住んでいた茨城県南部は、たしか震度6弱を記録したんだったと思う。大学より北を境にライフラインの全てが止まり、南側は無事だった。ヒビの入ったアパートの壁は、翌々年に卒業した時もそのままだった。

これを書いた日からさらに4年が経った今日、この記事を読み返してみて「忘れているな」と感じた。この日記を読んで思い出すことがたくさんあった。できることなら、その日のうちに書いておけばよかった。それでも4年後でも、ちゃんと書き残しておいて良かった。

こうやって折に触れて思い出せるのは、過去になった証拠なんだろう。
まだ5万人が避難生活を余儀なくされていると聞いて心が痛む。当たり前の生活がまだ戻らない人たちがいるんだ。

いつどこでまた災害が起きても不思議ではない。宝くじに当たるよりもずっと、自分も被災する確率の方が高い。
今の生活は永遠ではないし絶対ではないということを、忘れてはいけないなと思った。


どうかまだ震災が終わっていない人たちに、
早く当たり前の日常が訪れますように。


さとう七味のフォトエッセイ|さとう七味|note(ノート) https://note.mu/shichimi310/m/m66829794954d



読んでいただきありがとうございます!何か心に引っかかるものがあれば嬉しいです。