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引越しの多い生涯を送って来ました。(東京編)

2015年、私はフォトグラファー、グラフィックデザイナーとしてフリーランスになりました。とはいえ仕事は知人からポツポツ入ってくる程度。それでも都内を中心に依頼が来るので、埼玉から大荷物を持っての電車移動に疲れ果てていました。(カメラ2台、PC1台とその他機材をリュックに入れて、大体小学1年生と同じくらいの重さです)

そんな愚痴をこぼしたところ、「うちのシェアハウス1部屋空いてるよ!」と当時バイトしていたカフェの先輩が声をかけてくださり、西日暮里駅から徒歩10分、5人暮らし(+2匹)とのシェアハウスに移り住みます。

シェアハウスで憧れの東京暮らし

西日暮里の生活は革命的でした。0時を過ぎても終電がある山手線、バイトまでの移動は自転車で15分。満員電車や遅延に悩まされる日々から解放された私は、もう埼玉へは戻れなくなってしまいました。

はじめてのシェアハウスでわかったことは、私が他人の生活を思ったよりも許容できること、自分の生活態度は人と比べて極めて悪かったこと、夜の仕事は埼玉よりも東京の方が過酷であるということ。

ここに住む前までは、正直全く知らない人と生活するなんて、妹との生活さえ我慢ならなかった私にできるのだろうかと不安に思っていました。ただその心配も杞憂に終わり、むしろ家族との生活よりも他人との生活の方が適度な緊張感を保てたし、自分と他人の生活を比較して客観的に見直すことができました。さらに、シェアハウスにおけるルールはみんなが生活しやすいように整えられていて、それぞれがそのルールを全うしています。なぜ家族になるとそれができないのか?今も実家に帰るたびに不思議に思います。(リビングでゴロゴロしながら)

例によって夜は近所のスナックで働いていたのですが、埼玉と東京では女の子も客層も飲み方も違いました。これは飲み屋さんに限った話ではないと思うのですが、埼玉に住む人と東京に住む人って、そもそも考え方とか生き方が違う気がします。どちらが良い悪いということではないのですが、なんとなくそういう部分で東京の人たちと打ち解けるのが難しく感じてしまって、なかなか苦戦しました。今思えば上京して間も無い私が勝手に線を引いて構えてしまってただけなのかも。

同年代のクリエイターたちとのシェアハウス

当時自分の卵によく名前書いてました。

フォトグラファーとして駆け出しの頃、グループ展などに参加して人脈を少しずつ広げていきました。「クリエイターを集めてシェアハウスしてるんだけど来ない?」と、とあるフォトグラファーに誘われて、まだ西日暮里に越してきて半年ほどにも関わらず、私は二つ返事でのこのことついて行ってしまいます。

ついて行った先は奇想天外な構造のシェアハウスで、1階が古い家屋、その上に新しく増築された2階、さらに上に大家さんの部屋がありました。外から見たら恐ろしく謎めいた家で、ご近所さんからは奇異の目で見られていたことでしょう。

私たちのシェアハウスはその家の2階部分。キッチン、リビング、作業スペース、お風呂、トイレ、洗濯スペース、4人部屋のドミトリーがワンフロアにおさまる間取りで、無垢材を基調にリノベーションされたお洒落な内装のフロアでした。

メンバーは私を含めフォトグラファーが4人、ヘアメイクが2人、イラストレーターが1人の男女7人。まるでテラスハウスじゃん!と思われるでしょうが、現実にはそうラブハプニングは起きないものなのですよ。(と言いつつ何もなかったわけではない。照)

それでも、このシェアハウスは同年代の同じ志を持ったクリエイターが集まっていたので、駆け出しのフォトグラファーだった私にはうってつけの家でした。リビングには一通り撮影機材が置かれていて、その機材は持ち主の許可を得ていればいつでも使ってOK。一緒に住むヘアメイクの子とタッグを組み、自宅にモデルを呼んで気軽に作品撮りやライティングの練習をすることができました。

仕事に関する情報や意見の交換、時にはアシスタントとして手伝ってくれたり、作った料理をみんなで食べたり、色んなことをシェアできるこれぞまさにシェアハウス!という家でした。ここで学んだ技術が今の私の基盤になっていて、暮らした仲間とは今だに仕事でもプライベートでも繋がっています。

しかし男女7人がひとつ屋根の下に住むのはやはり難しいことで、いつまでも清く仲良く美しく、とはいきませんでした。みんなお互いのことが好きだったし居心地は良かったけれど、育った環境や生活習慣の違いは小さなストレスとなり、不満は少しずつ溜まっていきました。

私が住みだして半年を過ぎたあたりから、徐々に歯車が噛み合わなくなり、程なくして私たちは解散することになりました。

フリーランス女子3人のルームシェア

当時の部屋。すごく気に入ってたな。

シェアハウスの解散が決まり、行き場をなくした私はそのシェアハウスで仲の良かった女子2人と新しく家を借りることにしました。1人はひとつ年上のヘアメイクさん、もう1人はひとつ年下のイラストレーターさんです。

しかし駆け出しのフリーランス女子3人がルームシェアで家を借りるのは簡単ではありません。収入は安定していないし、ましてや年収も高くない。ただでさえルームシェアは敷居が高いのに、そんな3人が審査に通るはずもなく、この歳で情けない話ですが親の力を借りてようやく3人で住めることができたのです。

新居はどの駅からも15分弱歩くとはいえ、副都心線、有楽町線、東武東上線の3路線が使える便のよい好立地。3LDK風呂トイレ別(しかも独立洗面台)で、家賃は13万ちょっとのファミリー向けの綺麗なマンションでした。

部屋の広さは6畳の部屋が2つ、4.5畳の部屋が1つと1部屋だけが狭かったのですが、揉めることなくすんなりと部屋割りは決まり、部屋の広さを考慮して家賃の配分は6万、6万、5万の計17万をそれぞれ共有口座に入れることにしました。そこから家賃、光熱費、インターネット代などが引かれ、余ったお金は次の引越しのために貯金をするという抜かりなきルールも制定されました。だてに多く引越しを経験してきたわけではございません。

シェアハウスである程度お互いの生活リズムやルールも確立できていたし、仲は良すぎず悪すぎずの程よい距離感を保てた3人でしたが、もちろんそれぞれ結婚したり別々の未来があることを想定していたので、この生活が長く続くことはないだろうとわかっていました。以前のシェアハウスではそのあたりの想定も甘く、結局家を出る時にはお金の話でももめてしまい、悲しい結末になりました。そうならないために事前に「出て行くときのルール」をきちんと決めて、なるべく仲違いしないように努めました。実際に家を出るころには引っ越しのための貯金は36万ほどになっていて、我ながら感心したものです。

この生活は本当にちょうどよい塩梅で、このままずっとこの生活が続いたらいいのにな〜なんてのほほんとしていたのも束の間、半年足らずで解散の話が持ち上がりました。理由は、メンバーの1人が海外勤務で移住を余儀なくされてしまったこと。

「1人の都合で出て行かなければならなくなった場合、あとの2人はそれに従おう」というルールも決めていたので、名残惜しい気持ちはありましたがこの生活も1年ほどで幕を閉じました。

はじめての同棲

よくカメラ片手に家中追い回しています。彼はだいたい歯を磨いているので洗面所での写真が多めです。

ルームシェアが解散する頃、ちょうど恋人が転職で上京してくるタイミングと重なり、これを機に一緒に住むことを決心しました。毎日好きな人に会えるのやばい!同じ家に帰ってくるのすごい!と開始当初は今まで感じたことのない幸福感と、この幸せが突然奪われてしまうかもしれないという恐怖でどうにかなってしまいそうでした。

今現在も彼との生活を続けてちょうど1年になりますが、その間にも1度引越しをしています。相手の都合なので理由については省略しますが、違う環境で育った人同士が生活するのって問題が山積みなんですよね。自分の当たり前が相手の当たり前とは限らない。シェアハウスを経てわかったつもりでいたけれど、まだまだ考えさせられることばかりです。彼とは知り合って十数年経ちますが、知らないことがまだこんなにもあったなんて!と驚かされました。

先日私がインフルエンザにかかったことを引き金に大きな喧嘩に発展したのですが、その間妹の家に数日お世話になりました。妹夫婦の生活を見て思ったのですが、うちの喧嘩ってほんとは大したことじゃなかったのかも?どこの家だって同じなのかも。

家庭や育った環境の違いで思いやりの仕方や優しさも違ってくる。「私はこう思った」「でも俺はこう思った」、考え方も捉え方も違っていて、それがぶつかる度に喧嘩して話し合って、そうしていくうちにだんだん擦り合わさってひとつの「家庭」になっていくのでしょう。

そう思うと「そんな考え方もあるかあ」と割り切れるようになって、喧嘩も愛しいような。でもやっぱり、ムカつくけどね。

東京に来てからの引越しは環境の変化を楽しめて、色んな人との生活は私の心を大きく広くしてくれました。どこかで誰かとぶつかってしまっても、まあこういう人もいるか、と腹は立てど割り切れるようになったし、相手も自分も過ごしやすくするためにはどうしたらいいだろう、と考えられるようになりました。

それでも、他人より自分の考えが大事だし、やっぱり優先してしまう。それは「自分を幸せにすることを第一に考えるべき」という母の教えを守って、信じているから。私は私が幸せになる選択しかしない。でも、それは誰もがそうだと思います。みんな自分を幸せにするために生きていいと思うんです。誰かの幸せを願えることもまた、自分の幸せだと思います。

今の私は、そばにいる大事な人の幸せも選択できる。それを幸福だと知ることができたのは、11回の引越しがあったからだと思います。


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