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(20)嘘について

 中に入ると、看護師がいつかのように私を廊下の隅に追いやる。
「前も言ったけど、他の患者さんと深く関わらないようにね」
 はい、と返す。深く関わっているつもりがないので、それ以外の返事ができない。看護師は続ける。
「どうせまた、女優だったころは、とか、ストーカーが、とか言っていたんだろうけど、犬塚さん、ここが地元で、一度も他の土地に出たことなんてないのよ。ずっと引きこもって、趣味が舞台鑑賞だから、でも引きこもりで外に出られないから、映像作品になっているものだけ観ていて。全部、あの人の話は妄想だから。信じる必要もないし、同情する必要もないから。ストーカーになんて遭ってないのよ」
 こんなに話しちゃ本当は駄目なんだけど、あなた、どうも犬塚さんに絡まれやすそうだから。気を付けてね。そう言って私を待合室へ入るよう指示する。

 犬塚さんの話はすべて嘘だった。
 嘘だったけれど、しかし彼女の中でそれは本当だったのだろう。私にはわかる。彼女は、彼女の中で舞台女優だったのだ。そして少しだけ売れて、ストーカーに遭って、地元へ戻ってきて、今こうして心を治している最中なのだ。それが彼女の中では真実で、他人から見える真実とは違うだけの話なのだ。
 それを病と言ってしまうのは簡単で、けれど、だからこそそれを治してしまった時、犬塚さんの嘘の思い出はどこへ行くのだろうか。
 犬塚さんの中に、嘘の抽斗ができて、そこにしまわれるだけなのだろうか。犬塚さんは時々そこを覗いて、ああわたしもおかしなことを言っていたと、壊れていない人みたいに、人の目を見て笑えるようになってしまうのだろうか。

 私はきっと、次に犬塚さんに話しかけられても小さく頭を下げて、すぐに弁当を食べ切って犬塚さんが話している途中で乱暴に、無言で切り上げて一人話し続ける犬塚さんをベンチに置き去りにするだろう。それは私の心を守る手段の一つだ。嘘を吐く人間と深く関わることが、私の心にとって有意義なわけがないことくらい簡単にわかる。でも、犬塚さんの嘘の話を鼻で嗤うことだけは絶対にしたくなかった。それは、巧妙に、私にはわからない一本線で、過去の私と繋がっている。過去の、教師だったころの自分と繋がっている。その線を切ってはいけない。犬塚さんはべらべらと嘘を吐くことで自分を保っている。それは褒められたことではないかもしれない。でも、褒められたことではない、ただ、ただそれだけのことではないじゃないか。彼女の嘘と、私の、平穏を保つためだけに続けられる惰性の丁寧な暮らしと、果たして一体何が違う?


(続)

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