小説 介護士・柴田涼の日常 78 ロジャー・フェデラーの引退

 翌日はお休み。テニスのロジャー・フェデラーが引退するというニュースが目に飛び込んでくる。とても残念で寂しく思う。復帰戦を楽しみにしていたが、それはもう彼の身体が許さなかったようだ。

 フェデラーが試合に出るというだけでそのずっと前からワクワクしていた。プレーが華麗で美しかった。知的でスマートだった。常に進化を求め、プレースタイルも変化していった。より攻撃的で早い攻めをしていた。どんな事態にも冷静に対処する。コート上でのインタビューも相手を讃え、観客に感謝し、チームをねぎらった。自分を支えるすべての人に対する敬意を欠くことがなかった。すべての選手のお手本となるような立派な選手だった。テニス史に残る数々の偉大な記録を打ち立てたが、それだけがフェデラーの人気の秘密ではない。

 僕がフェデラーを知ったのは、二〇〇九年のウィンブルドンの決勝だった。対戦相手はアンディ・ロディック。ファイナルセットまでもつれ、一進一退の攻防が続いた末、フェデラーが優勝した。この試合を見て僕はフェデラーに惚れてしまった。こんなカッコいい人がいるのか、と思った。0―40の場面になっても焦らず集中力を上げ、サービスエースで切り抜けるその熱情を内に秘めたクールな姿にシビレてしまった。

 やはり思い出深いのは、二〇一七年の全豪オープン決勝だろう。ライバルのラファエル・ナダルとの一戦だ。フェデラーは怪我によりツアーを半年ほど離脱していた。その復帰戦でいきなりグランドスラム決勝まで行ってしまった。それも相手はナダル。運命的な一戦だった。ナダルも怪我によりツアーから離れていた。また戦えるといいね、と二人で話していた矢先の出来事だった。フェデラーは弱点と言われていたバックハンドを強化し、バックハンドウィナーを量産していた。この試合もファイナルセットまでもつれ、ゲームカウント1―3でナダルがリードしていた。なんと僕のテレビの録画はそこで終了していた。もうこれはダメかと思った。おそるおそるインターネットで結果を調べると、なんとフェデラーがファイナルセットを6―3で取り優勝していた。信じられない結果だった。狐につままれたような気分だった。映像を見返すと、確かにフェデラーが逆転勝ちしていた。いったいどうやって勝ったのだろうか。フェデラーは最後まであきらめなかったのだ。この優勝は当時三十五歳のフェデラーにとって大きな自信となったことだろう。まだやっていけるのだと。この年、フェデラーはウィンブルドンでも優勝し、翌年の全豪でも連覇を達成。グランドスラム二十勝という大台に乗った。

 フェデラーのいないテニスはつまらないと感じてしまう。今は喪失感でいっぱいだ。それでもテニスの面白さを教えてくれたフェデラーには心からの感謝と敬意を送りたい。

 テレビの解説の聞きかじりだが、テニスには大事なポイントというものがあって、たとえばこちらがサーバーで30―30のときは、どうしてもポイントを取らないといけない。そうしないと30―40となってしまい、ブレイクポイントを握られてしまうからだ。その大事なポイントで、どのように組み立てを行い、相手を崩してポイントを取るかが見どころであり、プレイヤーにとっては正念場の一つとなる。あとは自分がブレイクポイントを握ったときに、今まで見せていなかった方向に打ち込むとか、勝負どころを見極めてとっておきのショットを打つという戦術もある。こうしたことはテニスの常識だったのかもしれないが、フェデラーはいつもどうしたら相手を崩せるかを考えてプレーしていた。パワーやスピードだけでない、その知的なところに僕はもっとも惹かれたのかもしれない。フェデラーのテニスがもう見られなくなるのかと思うと寂しくてならない。

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