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婚活におけるそれは「妥協」じゃない。「成長」と言わせてよ。

タイトルが「新アラフォー美人女性の婚活」という、ちょっと昔の「ザ・ノンフィクション」がYoutubeにあったので観た(たぶん公式)。

番組は2009年ころの放送で、当時40歳の女性がパーティやネットで婚活に励む内容だった。このころに40歳ということは、いまは51~2歳くらいでいらっしゃるのかなあ、なんて思いながら観てた。

その方もそうだが、ほかに出演してた女性も、結婚できないご自身にたいし、口をそろえて「ずっと妥協できなかった」「でもある程度の妥協はしかたない」とおっしゃる。

この結婚における「妥協」ということば。
わたしはちょっとこのことばを使うのは、もったいないんじゃないかな、といつも思う。もっとステキな言いかたがあるんじゃないかな、と思うのだ。

ここで使う「妥協」は、本人にとっても相手にとってうれしくない。まだ「折り合い」のほうがやわらかくていい。でも「折り合い」だってなにかをあきらめている感じはする。

いずれ「妥協」をした、という表現は、とても自分をさげすんでしまっているように聴こえる。

自分にきびしい人であればあるほど、たいせつな自分の人生に、そんな「手抜き」のようなマネをするのは、とうていゆるしがたいのは非常によくわかる。

でも、実際にはそんなことはなくて。
たとえば「身長は175cm以上、筋肉質で、大卒で、年収がウン百万円以上」の男性を希望している女性がいるとする。

そこで身長は170cmでもいいや、と思うことは「妥協」じゃない。

それは間違いなく「成長」なのだ。

えらそうかもしれないけど、いわせてもらうとすれば、生涯の伴侶をえらぶにあたり、いつまでも相手のステータスに固執しつづけることは、人間としてまだ未成熟だったんだと思うよ。えらそうかな、すみません。

だって、もし超絶イケメンがいたとして。
そのイケメンのストライクゾーンが、縦(年齢)も横(体型)も関係なく、美も醜も関係なく「性格の一致がいちばん大事」と、ほんとうの本気でうそ偽りなく思っているとしたら、そのイケメンって人としてこころから「すげえなあ」「かっこいいなあ」って尊敬できませんか。

「相手に求めるより、自分が変わること」を選んだあなたは、誰がなんといおうと賢いし、この考え方は恋愛でもビジネスでも成功の法則で語られる。これはもう、人間様として確実にレベルアップに成功したのだ。

そしてその成長は、結婚後も自分を大きく支えてくれる。自分どころか、パートナーとの幸せな生活をつづけさせてくれる。

だって、男でも女でも、相手のステータスに固執しながら一生を共にするって、蛇の道、いばらの道というか、だいぶハードルたかいよね。
あえてこのことばを使うなら「妥協」もできない柔軟性のない人間が、ひたすら幸せでいつづけられるとは、どうしても思えないんだよなあ。

もちろん、好き嫌いはあってあたりまえ。
好き嫌いが多いのも、持って生まれた性格だし、これもしかたない。嫌いな人とも、我慢してつきあうことはないよ。

でも子供のころに食べられなかったにんじんを、大人になって食べられるようになることは、妥協じゃないよね。

自分にとって、かけがえのない、たいせつな瞬間だと思いますよ。



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