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はじめて「うらぎり」を知り、学校をサボっていた小学生時代の追憶。

小学生のころ、親にないしょで何日か学校をサボっていたことがある。

なんでそんな登校拒否めいたことをしていたのかというと、ある出来事で学校がとてもつまらない場所になったからだ。

ある日、よく遊んでいたトモダチBと、クラスのガキ大将Aの悪口を言いあって下校していた。「遊ぶときいつもあいつがなにで遊ぶか決めるよな」「オレらが決めようとするとすごいイヤな顔して聞かないよな」とか、他愛もない話だったけど、人生で人の悪口を言いあう経験ははじめてで、2人でおおいに盛りあがった。

しかし次の日登校すると、別のクラスメイトから「Aがおまえに怒ってるらしいよ」と伝えられた。どうやら、いっしょに悪口を言いあったトモダチBが、まるでわたしだけが言ったかのように「告げ口」をしたのだった。

「オレのもんく言ってるらしいな」とAからは目の敵にされ、Aの一派たちや、トモダチだと思っていたBとも疎遠になり、その日からトタンに学校はつまらない場所になった。

悪口を言ったのはたしかだから、無実の罪ではないのかもしれないけど、わたしだけ「嵌められた」ように立場が悪くなってしまったのは、納得もいかなかった。

だが「オレだけじゃない、Bも言った」と申し開きをしたところで、なにか事態が好転するわけもないと思い、ひたすら時が経ってみんながこの出来事を忘れる日がくることを待つことにした。

***

実家は海の近くの街にあったので、学校に行くふりをして、そのまま海へ向かった。海から少しはなれた高台の芝生で体育座りをして午前中を過ごす。

とある日は、先客に高校生の2人がいた。2人は楽しそうにおしゃべりをしていたが、ランドセルを背負ったわたしを見つけて「お、なんださぼりか?」と聞いてきた。

わたしがだまってうなづくと「まだ小学生だべ?やるー」と笑いながら、そのまま高校生の2人は気に留めるでもなくおしゃべりを続けていた。さらさらと吹く海風にあたりながら、ずっとその背中を眺めていた。

とある日は、自転車を押していた50代くらいの女性から「どうしたの」と声をかけられ、「学校に行きたくないから」と答えると「そうなの」と、となりに座ってきた。

なにを話したか覚えていないけど、なにかしら説教くさいことを言われると思っていたのに、なんかフツーの世間話をしてくれたのは覚えている。「わたしもあなたくらいのころ、学校に行きたくない日なんてやまほどあったよ」とか、こちらに気を遣って話してくれていたと思う。

何時間か話して、そろそろ行こうか、と女性が自転車を押しながら海をはなれようとしたので、わたしもそれに並んで歩き、そのまま友達のように交差点で別れを告げてさよならをした。

***

小学生なのに、なぜ学校をサボっても親にバレなかったのかというと、通っていた小学校では初日に欠席の連絡をすれば、そこから体調が回復するまで数日間欠席する場合でも、まいにち連絡をする必要がなかった。

なので、初日に正当な理由で欠席したらあとは2日目以降、ランドセルを背負って自宅を出て、そのまま学校には行かずプラプラして下校時間が近づいたら帰宅しておけば、すぐに親にバレることはなかった。

しかし、海で1日中時間をつぶすわけにもいかないので、お昼になると「◯◯商店」で100円くらいのパンを買い、家のちかくの誰もつかっていない草に埋もれた「パイプ車庫」の裏側に、ひとりひそんで時間が過すぎるのを待った。

ただただ、草むらのなかで待つだけだった。時間がつぶせるアイテムがあるとしたら、ランドセルに入っている教科書だけだったから、けっきょく教科書を隅々まで読んだりした。

***

何日かサボっていたが、教師からの連絡であたり前のように親にバレ、親父からはビンタをされて「くそ、ほんとになんにもいいことがねえ」と、世界を憎みながら登校することになった。

しかし、おそるおそる登校するやいなや「しばいぬって学校サボってたってホント?」と、他のクラスメイトたちが目をキラキラさせながら「不良みたい!」とプチもてはやした。

それを見たガキ大将A一派や、トモダチBは、まるで何事もなかったようにわたしに接してきて、けっきょくその日の放課後からなにも変わらずまた遊んだ。

はじめて「うらぎり」を知り、人の悪口はうかつに言うもんじゃないなあと知った、小学生5年生のとある思い出でした。




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