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自分に合わせた話題を振ってくれていると気づいたとき、申し訳ないような、ありがたいような複雑な気分になります。

さいきん、会社でみんなが「疲れましたねえ」と、よく言う。

3月は、1年間でいちばんの繁忙期ということで、エレベーターに乗りあわせた同僚も「疲れましたねえ」。
更衣室で一緒になった後輩も「疲れたっすねえ」。
トイレですれ違った先輩も「いやー疲れたねえ」。

みんな、疲れてるんだなあ、と。

しかし今日、ふと思った。

まてよ。

あれ?

本当にそうか?

もしかして、わたしの顔が疲れているから、みんな共感してくれているだけなのではないか。

わたしは、どちらかというと疲れが顔に出るタイプ。それを隠そうとするとよけいに疲れるので、最近はあんまりそれを隠そうともしていない。

会話のキッカケとして、映画が好きな人には、全米が泣いたという新作映画の話を振るように、ネコ好きの人には、ネコのYouTube動画を観た話を振るように、スイーツが好きな人には、駅前に新しくできたケーキ屋の話を振るように、はじめに相手が興味を持っている話題から振っていくのは、気遣いができる人のコミュニケーションだ。

もしかしたらだけど、わたしの疲れている顔を見て「しばいぬさんとの会話のキッカケはきっと疲れましたねがベストに違いない」と気遣われ、「いやー疲れましたねえ」と、会話を振ってくれているのかもしれない。

むかし、わたしと同年代の同僚と、10歳くらい年下の後輩2〜3人とカラオケに行ったとき、後輩の男子のひとりがやたらと「尾崎豊」や「GLAY」や「長渕剛」などを歌った。

わたしは「へ〜、この子は昔の歌手が好きなんだなあ」とのん気に感心していた。

その日の帰り道、一緒に行った同年代の同僚に「あの子って昔の歌手が好きなんだねえ」と言うと、「なに言ってんの。あれは、おれたちに気を遣ってくれてたんでしょ」と笑ってた。

言われたはじめて分かった。ああ、なるほど、そうだったんだと。
その子は「わたしたち世代が分かる曲」をあえて選んで歌ってくれていたんだ。それはきっと、すこしでもみんなが楽しめるように、という気遣いからだったんだろうな。これには素直に「たいしたもんだなあ」と感服した。

だからきっと、いまもみんなと会うたびに「疲れましたねえ」って口を揃えて言ってくるのは、わたしが気に入りそうな話題をえらび、気遣ってくれているのだと思う。

なんだか、すまない気持ちになった。
疲れているときに、疲れた顔を見ると、なおさら疲れるよね。ごめんなさい。

でもね、疲れてるものは、疲れているし、それを顔に出さずには、いられないんだよおおお。

ということで、せめて後輩とカラオケに行ったときは、後輩の世代に合わせた曲を歌えるように練習しておきます。
(このご時世、なかなか行けませんけどねえ…)


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