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左の内ポケットに国語辞典を入れていた3年間。

いつでも胸に、ことばを抱いて。
高校生のとき、ブレザーではなく学ランだった。
学ランには内ポケットがあって、わたしは3年間そこに「国語辞典」を入れていた。

なので、一行目の文章は別に抽象的に気どってみたわけではなくて、文字通り、左胸の心臓の前に大量の日本語をかかえてわたしは電車に乗ったり、チャリに乗ったりして通学をしていた。

わたしの学生時代は、やっぱりちょっとアンバランスだったというか、まじめと不真面目を自分のなかに共存させようとしていて、それを個性にしようと必死だったというか。

決して勉強をするほうでもなかったし、当時はちょっと短めの学ランに太めのズボンが流行っている時代で。
そこにタバコ、ピアス、香水の三種の神器を装備するのが当たり前。
でも、学ランは周りと合わせていたのに、タバコもピアスも香水にもどれも手を出さなかった。

数学の時間は居眠りをして、理科の時間は稲中卓球部を読んで、いまその頃の先生たちに出会えたらスライディングで土下座したいくらい、まじめに授業を受けていなくて。

そのくせ、なんか分からないことばを分からないままにするのは、やけに嫌だったんですよね。
国語だけにはこだわってたというアンバランス。

そもそも、内ポケットとはいえ国語辞典を入れていたら重くてしゃあないだろう、と思われがちだが、これがまた絶妙なサイズで。

まさに手のひらサイズ。むき出しのiphoneを2枚重ねたくらいの厚さだったので、ちょっとゴツめのスマホケースくらいの大きさだった。
たしか、親とどこか行ったときに寄ったドライブインで売っていたんですよ。姉妹書で「ことわざ辞典」「英語辞典」とかもあったなあ。

ある時、国語で短歌を作ろうみたいな授業があって。
みんな「アホくせ~」「恥ずかし~」とまともにやってなかったけど、わたしは翌日の提出まで夜通し考えていた。

結局できたのは「白妙(しろたえ)の、ぬくもり残るこの布団、そっと抱いてはあなたを想う」という、高校生にしてはいやらしい短歌を会心の出来、と提出。
ソバージュの先生から「マセてるのでダメ」と即却下されたこともありました。

いまは、スマホですぐに調べられる時代になった。なんてセリフを言うのが恥ずかしいくらい、すぐに調べられる。

ネットニュースで「がん寛解」ということばを見て「寛解って全快だっけ?それともまだ油断できない状態だっけ?」と思い、ジャケットの内ポケットからスマホを出した瞬間、ふとそんな学生時代を思いだしたのでした。

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