「〈私〉をめぐる遠近法」

1.はじめに

〈私〉とは一体何か。
 
 この問いに答えるのは、一見とんでもなく簡単なように思える。自分で自分を指差して、今ここにいるのが他ならぬ〈私〉である、と言ってしまえばいいのだから。しかし、少し深く考えれば、〈私〉というのは、なかなかどうして厄介な代物であることが分かるだろう。

 例えば朝、出社時間ギリギリに起きた私は、寝ぐせもそのままに、ダッシュで会社に通勤する。この切羽詰まった状況で、〈私〉は一体どこにいるのだろうか。

 我ここにあらず。通常であればこう言われるであろう状況を、吉川宏志は、若山牧水の歌「はつとしてわれに返れば満目の冬草山をわが歩み居り」(『路上』)を引き合いに、「無意識」という言葉で説明している。

近代短歌では〈自我〉が表現されるようになったと言われる。(…)けれども自己というものは、そうした意志的なものだけではない。むしろ、無意識の占める領域のほうがずっと大きいことが、最近では指摘されるようになっている。(…)自己をリアルに歌おうとするなら、無意識の領域を言葉で捉えることが大切になってくる。
「無意識の〈我〉、自然につながる〈我〉」(『短歌研究』2014年11月号)     

吉川はこの論考で、さらに別の例も展開している。それは、例えば、目の前の風景の変化に触発されて、感情が変化していく〈私〉である。

山の陰を流れる水を見るとき、寂しさを感じる。その寂しさは、風景の側にあるとも言えるし、自分の身にあるとも言える。風景と自己が共鳴しながら、感情が生み出されると言ってもいい。(…)自己ではないものを、自己の中に包み込んでいく、たえまない運動。そのように移り変わっていく存在が〈我〉なのだ。そうした〈我〉が言葉で描かれるとき、短歌は生き生きとした奥行きをもつのである。                    「無意識の〈我〉、自然につながる〈我〉」(『短歌研究』2014年11月号)     

〈私〉は決して記号的で固定的なものではない。それはむしろ重層的かつ流動的で、身の回りの環境に触発されながら、その都度生まれ直す。そのため、短歌の〈私性〉について考えるには、まず〈私〉の認識や〈私〉と世界の関係性について考える必要があるだろう。

 本論考はポスト・ニューウェーブから現代短歌に至る世界認識の変遷をもとに、現代短歌の〈私〉について考察するものである。ただ、そこに至るまでに、近代短歌と現代短歌の認識について検討する必要があるだろう。本論考では、主に斎藤茂吉と塚本邦雄の歌論を軸に論を進める。この二人を取り上げるのは、二人がとりもなおさず〈写生〉と〈幻視〉という明確な方法論をもとに作歌活動を行なっているためである。また、本論考では、思考の軸として、主にドイツの批評家であるヴァルター・ベンヤミンの芸術論を取り上げる。ベンヤミンの「アウラ」や「イメージ」といった概念を用いて短歌史を紐解いたとき、短歌史は、これまでと全く違った様相を浮かび上がらせることだろう。
 
2.「観入」と「瞬間性」―斎藤茂吉の〈写生〉
 
 〈写生〉について考えた時、必ずと言ってよいほど引用される一文がある。

実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌の写生である。
                      「短歌に於ける写生の説」

1920年、茂吉は、正岡子規の写生論を更に深めるべく、この「短歌に於ける写生の説」を『アララギ』に掲載する。茂吉は、〈写生〉の極意としての「実相観入」というものを提示している。では、「実相観入」とは一体何か。茂吉は、この語を「実相」と「観入」に分け、次のような説明を施している。

「実相」といふ語は、仏典から出でて、鷗外先生などもリアリズムを実相派と翻せられたほどであり、この語の方は仏典などにあるから誰もさう怪しまない。然るに、「観入」の方は、さうざらには無い。(…)なるほど、私の造つた「観入」の熟語は仏典などにある意味そのままではない。寧ろ独逸の美学や詩論などにある、‟Anschauung‟といふ語の意味も含んでゐるだろう。併し此の独逸語は、観想とか直観とか翻してゐるものだから、そのまま採つて私の歌論に役立たせるのには何か足りないところがある。そして、独逸語には‟Hineinschauen‟といふやうな語もあり、何かさふいふところから暗指を得て、私は『観入』といふ熟語を造つたのであつた。
              「観入といふ語に就いて」(『童馬漫語』)

注目すべきは、茂吉自身が、「実相」がリアリズムを意味するために仏典から引用した用語であるのに対して、「観入」が茂吉自身の造語であるということ。そして、「観入」という語のモデルとして、「観想」、「直観」などを意味するドイツ語‟Anschauung‟あるいは、‟Hineinschauen‟があるということである。この2つのドイツ語の違いについて大井学は、前者で用いられる語‟An‟が表面的、場所的な関係を表すのに対して、後者で用いられる‟Hinein‟がより内側へ入り込んでいくような、志向性を持った動きを持っていると述べている。

強いていうなら、茂吉は「直観」という語の表面性をさけ、ものごとの内側へと入り込むこと、本質へと到る「観」の動きを「観入」という語で表現したかったといえる。(…)実相観入という語によって表わされる「写生」とは、だから、能動性を伴った認識の様態であり、観照の対象となるものへの、歩み寄り、踏み込み、没入を、主体の側へ要求するものでもある。
        「認識の生まれる瞬間」(『短歌現代』2011年11月号)

 透徹した眼差しで、目の前の対象へ没入していくこと。それは、茂吉の門弟である佐藤佐太郎が「短歌は純粋な形に於いては、現実を空間的には「断片」として限定し、時間的には「瞬間」として限定する形式である」(『純粋短歌』)と述べたように、目の前の対象を空間的・時間的に制限することでもある。例えば有名なこの歌のように。

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり   『赤光』  

藪内亮輔は、茂吉のこの歌の「玄鳥ののどの赤さ」という時間的、空間的な瞬間性に着目し、その一瞬と母が死んだ瞬間、そして死までの長い葛藤の時間という三つの時間の重層性に着目している。藪内は、「瞬間」を局所的に捉え、異化して描写するというこの特性が、近代短歌の軸となっていることに着目する。

短歌という小詩型において、かどうかは分からないけれど、例えば近代以降の短歌は一つの「スタンダード」=軸なしには自立できなかった。(…)つまりは現実世界をベースとした局所化による異化、というプログラムである。(…)認められた「名歌」の全てが、(と私は言いたい、)瞬間・局所化による反転によるポエジーの湧出という事態を利用している。
「短歌にとって瞬間とは何か——「早稲田短歌」42号をめぐって」(『率』3号)

目の前の対象を周りの世界から切り離すこと。それは、時間的・空間的に広がりのある線や面ではなく、微細な点として看取することに他ならない。目の前の対象を、過去―現在―未来といった「コト」ではなく、目の前の対象を一瞬一瞬の積み重ねの中で生起する「モノ」と出会い直すことでもある。このようなスタンスで世界に対峙した時、目の前の対象は「新鮮な不気味さ」を伴って私たちの前に姿を現す。そしてその時〈私〉は、茂吉が言うように「自然・自己一元の生」を生きていると言えるのである。

3.ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」
 
 ドイツの批評家であり哲学者であるヴァルター・ベンヤミンは、自身の芸術論において、「アウラ」という概念について語っている。

いったいアウラとは何か?時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって、どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象である。ある夏の午後、ゆったりと憩いながら、地平に横たわる山脈なり、憩う者に影を投げかけてくる木の枝なりを、目で追うこと―これが、その山脈なり枝なりのアウラを、呼吸することにほかならない。           「複製技術時代の芸術作品」(『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』)

「アウラ」という言葉は元々、ギリシャ語、ラテン語でともに「そよ風」、あるいは「何かの物質からのかすかな発散、または呼気」を示す言葉であり、主体の中に入り込んで、主体と周囲の環境や時間とを絡み合わせるものだという。この説明だけでは「アウラ」が一体なんなのかよく分からないが、具体的な描写から分かるように、それは、ある種の場の空気感であったり、目の前のものが「存在する「空間」で蓄積してきた、唯一無二の「時間」」(「ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について」)であったりを意味する言葉である。有名なところでは、『複製技術時代の芸術作品』において、芸術作品が纏う「権威」として、この「アウラ」を定義している。つまり「アウラ」は、鑑賞者の「まなざし」に関わる。

まなざしには、自分が見つめるものから見つめ返されたいという期待が内在する。この期待(…)がみたされるとき、まなざしには充実したアウラの経験が与えられる。(…)見つめられている者、あるいは見つめられていると思っている者は、まなざしを打ちひらく。ある現象のアウラを経験するとは、この現象にまなざしを打ちひらく能力を付与することである。
「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」(『ベンヤミン・コレクション(Ⅰ)』)

ベンヤミンによれば、対象のアウラを感取するには、主体は客体に「まなざしを打ちひらく」必要がある。もし主体が「まなざしを打ちひらく」ことができた場合、客体は主体を「見つめ返す」。この相互作用の中で、〈私〉と対象は一体となるのである。まさにこの「まなざしを打ちひらく」経験こそ、茂吉の「観入」であると言うことができないだろうか。

赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり    『赤光』
沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ      『小園』

一首目は、茂吉の脳裡に過ぎる腐った赤茄子(トマト)の残像を歌っている。腐った赤茄子は、どこか、茂吉の心そのもののようであり、茂吉のすさんだ心が、無意識の内に仕舞いこんだはずの赤茄子の残像を呼び覚ましているかのようである。二首目では、目の前にある葡萄が直接、茂吉自身に「見よ」と語りかける。百房の葡萄に雨がふりそそぐという光景は、実際の光景であるとともに、沈黙(当時の茂吉は、戦争に)している茂吉自身の終戦後の激烈な感情を反映しているようである。
 茂吉の門弟である佐太郎は、茂吉の「主客均衡の観入」という言葉で、茂吉の観入をより深めている。それは、主体から客体への一方的な働きかけではなく、客体から主体にもなされるような作用である。近代短歌に登場する〈私〉は、しばしば作者と作中主体が一致した「実在の〈私〉」であると言われているが、それは、近代短歌が私と世界の相互作用を歌っているからに他ならない。目の前の世界と〈私〉との幸せな出会いがあって、そこに〈私〉の感情が産み落とされる。作者の世界に対する「信」が、作中世界を支えているのである。
 さて、斎藤茂吉ら近代歌人が、〈写生〉という方法論から「アウラ」を観取しようとしたのに対して、「アウラ」を直接まなざそうとした歌人がいる。塚本邦雄である。
 
4.「魂のリアリズム」―塚本邦雄の〈幻視〉
 
 前衛短歌運動の旗手である塚本邦雄は、一般的に写実に反旗を翻し、虚構を操る歌人であるように思われている。しかし、安森敏隆は、塚本が茂吉と釈迢空を認めていた例を挙げ、「塚本邦雄ぐらい「写生」を理解しようとしている歌人も少ないのではないか」と述べている(『幻想の死角—斎藤茂吉と塚本邦雄』)。塚本は茂吉の〈写生〉を、一体どのようなものとして考えていたのだろうか。手がかりとなるのは、塚本が1964年に書いた「短歌考幻学」。「もともと短歌といふ定型短詩に、幻を視る以外の何の使命があらう」という文章で有名な、塚本のマニフェストともいえる評論である。

斎藤茂吉の、こと幻想に視点をすえた場合、その矛盾と韜晦は理解を超える。『赤光』に充満する強烈な幻想世界、フォーヴィズムに触発された奇怪な美学、それゆえにこそ彼のその後の仕事を光輝ただならぬものにした、唯一無二のバック・ボーンである幻視者の希求を、彼自ら「写生の極致」と一言、原因、結果をくるめて放言したのみである。詭弁ではあるまいか。
           塚本邦雄「短歌考幻学」(『定本 夕暮の諧調』)

この文章で塚本は、茂吉を自らと同系統の〈幻視〉の歌人として認め、〈写生〉と言って片づけてしまうことを「詭弁」と喝破している。塚本は、茂吉の歌に一体何を見たのだろうか。そして、塚本が想定する〈幻視〉とは、一体どのようなものなのだろうか。
 塚本の〈幻視〉について考える上で一人、キーマンがいる。「幻視の女王」と呼ばれた葛原妙子である。1950年の『橙黄』を皮切りに反写実的な歌を多数発表してきた葛原は、1955年に発表した論考で、短歌における「リアリズム」について次のように述べている。

現実直視の作品とは、直ちに現象(事実)を写し取った作品ではない筈である。すべての芸術作品の意味は、現象を通じてその中の「真実なるもの」を取り出す事にあるのであり、それが真のリアリズムの精神であると云へよう。(…)反写実的な「方法」は、単に象徴のみならず他に種々の形をもつものである。幻想・虚構などの一切がこの中に含まれる。いづれも人間生活の中から「真実」を取り出す方法である。
     「再び女人の歌を閉塞するもの」(角川『短歌』1955年3月号)

目の前にある単なる「事実」ではなく、その裏にある「真実」を的確に摘出すること。それが葛原にとっての「真のリアリズム」であった。そして、「真実」を捉えるために、葛原は現実に反する「幻」を必要としたのである。
 こうした葛原のスタンスが、後に塚本の短歌観にも大きな影響を与えた。塚本は、『短歌研究』誌上で展開された論争において、自身の方法を「魂のリアリズム」と述べている。

僕逹を「アンチ・リアリズム」と呼ぶ彼らの殆どは、明に自然主義以下、それ以外の何物でもない手法を固執しながら、それをリアリズムと詐稱して来ているのだ。(…)眞のリアリズムとは、「眞實に近づき、人間の魂に迫ること、内的感覺、精神的實在についての認識を傳逹すること」であり、同時にそれは詩の目的でもあろう。彼らの迷信への抗議として「内的實在についてのリアリスチックな表現」という意味の「魂のリアリズム」を自分の立場の假の名稱としたまでである。
                 「遺言について」(『定型幻視論』)

「視る」ために目を閉ざす。かつて塚本がそう記したように、「真実」を眼差すには、まず自分自身の「内的實在」を表現する必要がある。そのためには、目の前の「現実」や「真実」から、目を背ける必要があったのである。では、ここで塚本が言う「真実」とは、一体なんなのだろうか。それは、「事実」や「現実」とどのように異なっているのであろうか。
 私たちは、前章でベンヤミンの「アウラ」をもとに、〈写生〉について検討した。ベンヤミンによれば、「アウラ」とは「どれほど近くにであれ、ある遠さが一回的に現われているもの」であった。とすれば、塚本の「真実」とは、この「遠さ」と密接に関わっているのではないか。私たちはここでもう一度、ベンヤミンを召喚しなければならない。     

5.ヴァルター・ベンヤミンの「イメージ」
  
 1931年、南仏の保養地サナリーを訪れたベンヤミンは、自らの思考を日記に書き留めた。それは2年後に推敲され、「遠さとイメージ」というタイトルで新聞に掲載されることになる。

海が何十億、何百億という波となってうねり、森は根から葉先の一枚にいたるまで新たな瞬間ごとに打ち震え、廃墟の城の石では絶えまない崩壊と侵食が支配し、空ではガスが、雲となるまえに眼に見えぬ闘争を繰り広げていること—これらすべてのことを、夢想家は忘れなければならない。イメージに没頭するために。イメージのうちに夢想家は安らぎと永遠を得る。掠め飛ぶ鳥の翼、身震いするような突風、突き当たってくるそれぞれの近さが、ことごとく夢想家の偽りを非難する。けれども彼の夢を再び築き上げるのが個々の遠さである。(…)自然を色褪せたイメージの枠のなかに静止させること、それが夢想家の悦びである。
        「遠さとイメージ」(『ケルン新聞』1933年2月25日付)

ここに描かれているのは、海や森、空といった近くの細かな事象から目を背け、ひたすら「遠さ」の中に静止した「イメージ」を追い求める夢想家の姿である。
 ここで言う「イメージ」は、「静止した視覚像」とでも言い換えることができるだろう。ベンヤミンが引き合いに出すのは、例えばふとした瞬間に脳裡をよぎる過去の記憶の断片である。

イメージの中でこそ、かつてあったものはこの今と閃光の如く、ひとつの布置へと結びつく。言い換えれば、イメージとは静止状態の弁証法である。今あるものが過ぎ去ったものに対して持つ関係は、純粋に時間的・連続的なものであるが、かつてあったものがこの今に対して持つ関係は弁証法的であり、その関係はなりゆきなどではなく、イメージであり、飛躍的なものであるからだ。
                          『パサージュ論』

「イメージ」は断片的で、時間・空間を超越したものである。それは、なんの脈絡もなく雷鳴のようにやってきて、現在に決定的な影響を与える。ベンヤミンは、「イメージ」同士が静止していながらも強い緊張関係に置かれている状況を「静止状態の弁証法」と呼び、過去−現在−未来という歴史観とは異なった、「イメージ」の反復に彩られた歴史観について思考した。
 ここで思い出していただきたいのは、とりわけ初期の塚本の歌が、鮮烈な視覚的喩や連続性を断ち切るような区切れ・句またがりに満ちているということである。

革命歌作詞家に凭れかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ『水葬物語』
桃太郞の眞紅の繪本ころがれる夜の疊、そこに時閒の斷涯 『日本人靈歌』

一首目については、シュルレアリスティックな視覚的喩と句またがりを巧みに用いて、「戦争への予感」をどこか強く、ぎこちなく詠んでいる。二首目は、絵本が畳の上に転がっているという、ごくありふれた日常の風景を読んでいるように思わせながら、そこに鮮烈な赤を挟んでくる。それは、まさに「時閒の斷涯」としての非連続な「イメージ」であり、日常の中に潜む「遠いイメージ」ではないだろうか。

今日の定型詩人のもつ使命と愉悦は、魂の、すなわち言葉の美と秩序を喪失した、現代人間社會のいたましい精神像のなかで、しかもなほ、定型詩が原初的にもつ美と秩序を信じ、これを極限までととのへ且つ高めようとする絶えざる緊張と努力にあるだろう。この作品集で、僕は短歌といふもつとも古典的な定型詩の内蔵する、重要な機能の一つである暗示力をつよく喚起して、一首の黙示録的世界を形成し、その時間と空間をこえたリアリティをもつて今日の現實の世界に参加しようと試みた。
                         『日本人靈歌』跋文

 前衛短歌は、作者と作中主体が一致しない「虚構の〈私〉」を導入したといわれている。ある面では、まさにその通りである。しかし、前衛短歌が目指したのは、むしろ「虚構」ではなく、「時間と空間をこえたリアリティ」であり、「イメージ」ではなかったか。そしてこうした視点から前衛短歌を見直した時、作中主体は作者と地続きになり、「イメージ」を発見する〈私〉となる。

五月祭の汗の靑年 病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる 『装飾樂句』
 われは繭を夕陽に透かす騎兵らのうつくしきイギリスは見えねど                                                                                                                   『驟雨修辭學』

 近代短歌と前衛短歌、これらの方法論を踏まえた上で、現代短歌の〈私〉の特徴について考えてみたい。内容を先に言うと、筆者は、現代短歌の〈私〉には、「アウラ」の喪失が大きく関係していると考える。

6.スクリーンとしての〈私〉

 ベンヤミンは、『複製技術時代の芸術作品』において、写真や映画といった複製技術の登場によって芸術のパラダイムが大きく変化したと述べている。具体的には、芸術作品は複製されることでオリジナルとしての権威、すなわち「アウラ」を失ったのである。
 しかしベンヤミンは、この事態を単なる堕落とは捉えてはいない。芸術作品は「アウラ」を失うことで、むしろ新たな時代を迎えるのである。ベンヤミンが考えるのは、「イメージ」が遠さを失い、現実が完全に「イメージ」で埋め尽くされた、「遊戯空間」の開闢である。

対象からその蔽いを剥ぎ取り、アウラを崩解させることは、「世界における平等への感覚」を大いに発達させた現代の知覚の特徴であって、この知覚は複製を手段として、一回限りのものからも平等のものを奪い取るのだ。(…)芸術の諸作品において仮象が衰微し、アウラが凋落するにともなって、巨大な遊戯空間が獲得される。
「複製技術時代の芸術作品」(『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』)

全てが「イメージ」で構成される「遊戯空間」では、虚構や現実問わず、あらゆる要素があたかもGoogleの画像検索のように平等に並んでいる。筆者は、この世界の「遊戯空間」に伴って、短歌に二つの特徴的な変化が起こったと考えている。一つ目は、「イメージ」を作者の卓越した詩的感性によって「配置」した歌の登場であり、二つ目は、「目の前のふつうをイメージとして扱う」歌の登場である。一つ目は比較的分かりやすいだろう。それは例えば、次のような歌である。

卵産む海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば 朝焼け                                                                              穂村弘『シンジケート』
この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい 
                                                                           笹井宏之『ひとさらい』
プールから飛び出す癖がなおらない イルカを辞めて5年経つのに
                                            木下龍也『つむじ風、ここにあります』

これらの歌は、確かに作者のある種の実感がはっきりと伝わっては来るが、歌われている要素は言葉の「イメージ」でしかない。例えば「海亀」は「海亀」でしかなく、「軍手」も「イルカ」も「軍手」、「イルカ」でしかない。それがどんな「海亀」だったか、どんな「軍手」「イルカ」だったかというのはここではあまり問われないし、彼らにとって「海亀」や「軍手」、「イルカ」が現実のものをモデルにしているのかそれとも完全な虚構なのか、それもどうでも良い。虚構とも現実ともつかないバラバラな言葉があって、作者はそれを卓越した詩的な感性に従って、あたかも星座のように「配置」していくのである。大辻隆弘は、これらの歌を「刹那読み」と呼び、21世紀以降の短歌の特徴と位置付けている。

これらの歌を読むとき、読者は「作中主体」の奇矯な発言や特異な行動に心奪われる。彼らにとっては、一首の歌を読んだ刹那に感じる衝撃力だけが重要であり、「私像」や「作者」には興味を持たない。「私①」(※一種の背後に感じられる〈私〉)だけが突出し、「私②」(※連作や歌集の背後に感じられる〈私〉)「私③」(※現実の生身の〈私〉)にはほとんど興味を示さないのである。
              「三つの「私」」(『短歌研究』2014年11月号)

 それでは、2つ目の「目の前のふつうをイメージとして扱う」歌というのは、一体どのようなものなのだろうか。ヒントとなるのは、宇都宮敦の次の歌である。

牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ

斉藤斎藤は「生きるは人生と違う」(『短歌ヴァ―サス』第11号)において宇都宮のこの歌とインタビューを引用し、「ポストニューウエーブのわかものうたをつらぬく特徴」であると述べている。

「ふつう」・・・・。むずかしいんですけど、「ふつう」の反対語って「特別」とかじゃないですか。で、なんていうのかな、「特別」っていうことを声高に叫んでも、特別にならないような気がしてて。(…)世界との対峙の仕方とかでも、自分の存在を、もちろん自分の存在を特別だって思いたいんだけど、そういう風な特別さっていう感じじゃ特別にならないと思うんです。ふつうに存在してるっていうことの特別さっていう。自分のいる空間に他の人は立てないわけじゃないですか、ぜったい。っていう風な意味での特別さっていうものを書いてるんで。異常であるとか天才であるっていうのとかでは、個人の特別さにはたどりつけないと思ってるから。  
                                            「宇都宮敦ロングインタビュー」(永井祐HP)

ポストニューウェーブ世代の歌人たちは、〈私〉の個体としての特別さを排除し、〈私〉がいま・ここにいるというその事実にかけがえのなさを見出だした。斉藤によればその結果、フレームとしての〈私〉は歌から排除され、ただ単に「〈私〉の生きるが残った」という。

もちあげたりもどされたりするふとももがみえる
せんぷうき
強でまわってる                  今橋愛『O脚の膝』
本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある                                                                                                        中田有里「今日」

 斉藤は、この二つの短歌の「そのまんま加減」について言及している。例えば一首目はセックスの様子を歌った歌であるが、作中主体の視点は決して〈私〉の「ここ」の視点を離れることがない。作中主体の視点は決して自身を対象化したりせず、横を向くとただ扇風機が回っている。ただそれだけの描写を歌っている。「読者は、今橋抜きに、今橋の見る風景を見る」。 二首目では、視点は〈私〉の「今」の視点を徹底している。この歌では、本を持つ「今」、帰る「今」、返そうとする「今」、行く「今」と、時間の異なる「今」がただ連なっている。私はその様子を受動的に受け止めるだけである。
 目の前の現象をそのまま受け止めるとは一体どういうことだろうか。この謎に対してまず重要な示唆を与えてくれるのは、映画研究者の福尾匠である。福尾が書いた『眼がスクリーンになるとき』は、フランスの哲学者であるジル・ドゥルーズの『シネマ』という浩瀚な映画研究書に捧げられた本だが、その根底には、私たちの視覚に対する問いがある。福尾は本書で、「眼がスクリーンになる」という事態について検討している。

眼がスクリーンになるとき、イメージがそれ以上でもそれ以下でもなく見たままで表れる。
   『眼がスクリーンになるとき―ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』

福尾によれば、カメラとしての眼が身体をもって世界に対峙しているのに対して、スクリーンは身体を持たない。スクリーンの上にはただべったりと世界の「イメージ」が張り付いている。それは、〈私〉が世界という映画の「鑑賞者」になるということでもある。

 そして思想家の東浩紀は、『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』において、インターネット時代の心性と絡める形で、スクリーンについて論じている。東は、精神分析家のシェリー・タークルが『接続された心』において1990年代のコンピューター文化を特徴づけるために用いた「at interface value」という言葉について論じている。タークルによれば、グラフィカル・ユーザー・インターフェイス(GUI)が登場して以降、多くのユーザーが背後でスクリーンを操作する主体を意識することがなくなり、スクリーンに映るものを「額面通りに(at face value)」受け取るようになったという。東は、このようなスクリーンの背後を認めない主体を「インターフェイス的主体」と呼ぶ。インターフェイス的主体は、イメージとシンボルが共にスクリーン上で戯れる中で、逆照射的に見出される。

かつてはイメージは見え、シンボルは見えなかった。つまりそこでは、見えるものはあくまでも表象の世界(見せかけ)にすぎず、その背後に信憑された見えない象徴秩序(真理)が主体間のコミュニケーションを保証していた。対していまや、イメージとシンボルはともにスクリーンの上に「見えて」いる。二〇世紀後半のポストモダンの主体は、(…)その全面的表層性(すべてはスクリーンの上にある)の中でこそ主体性を設立しなければならない。                                                         『スクリーンはなぜそう呼ばれるか』

 『複製技術時代の芸術作品』においてベンヤミンは、とりわけ映画の誕生を寿いでいる。それは、映画が「意識によって浸透された空間に代わって、無意識に浸透された空間」を人間にもたらしたからであり、人間を世界の「鑑賞者」に仕立て上げたからである。ベンヤミンは、画家と撮影技師を対比させ、映画がもたらした知覚の変化について述べている。

画家は仕事をするとき、対象との自然な距離に注意を払う。これに反して撮影技師は、事象の織り成す構造の奥深くまで分け入ってゆく。両者が取りだしてくる映像は、いちじるしく異なっている。画家による映像が総体的だとすれば、撮影技師による映像はばらばらであって、その諸部分は新しい法則に従って寄せ集められ、ひとつの構造体となる。だからこそ映画による現実の描写は、現代人にとって、比類なく重要なのである。
「複製技術時代の芸術作品」(『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』)

全てが「イメージ」となり、虚構と現実が溶け合った世界では、先に挙げた笹井宏之や木下龍也の歌のように、「新しい法則」に従って編集可能になる。この「新しい法則」こそ、他ならぬ〈私〉である。

ヴォリュームをちょうどよくなるまで上げる 草にふる雨音のヴォリューム
                        土岐友浩『Bootleg』
ひとりでに落ちてくる水 れん びん れん びん たぶんひとりでほろんでゆくの                   蒼井杏『瀬戸際レモン』
寝ころんであなたと話す夢をみた 夏で畳で夕暮れだった 
                  藤宮若菜『まばたきで消えていく』

書肆侃侃房の「新鋭短歌シリーズ」から何首か引いた。雨の音を聞きたい気分なのか、目の前で繰り広げられている会話を消したいのか。あるいは単にテレビの中の雨音について述べているのかもしれないが、一首目の土岐の歌は、目の前の現実を「イメージ」として捉え操作しようと試みている。二首目の蒼井の歌は、落ちてくる音に自分の主観的な「イメージ」を重ね合わせている。ただ、これが蒼井自身の憐憫の感情の反映だとするのは、少し言い過ぎている感じがある。このファンタジックな軽さがこの歌の魅力になっている。三首目の藤宮の歌は、夢の「鑑賞者」としての〈私〉を端的に記している。夏「で」畳「で」という並列が、夢の中のイメージをそのまま等価に表している。
  
 スクリーンとしての〈私〉。それは、現実、虚構問わず全てのものが「イメージ」となり、等価になった世界において、私の見ている世界の「鑑賞者」となった〈私〉である。この〈私〉は、「鑑賞者」である以上、世界から疎外されている。しかし現代短歌は、その疎外から、改めて検討されなければならないだろう。

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