しばちゅう

しばちゅうは、日本の思念体。主に思念体としての活動を行なっている。

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最近の記事

人間には2種類いる

人間には2種類いる。 初対面のとき、相手が地球人であるという前提で接する人間と、宇宙人であるという前提で接する人間である。 地球人として接する人間は、初対面の相手にも、同じことで笑い、同じことで悲しむことを望む。一方、宇宙人として接する人間は、相手が自分とは異質な存在であると考えるため、過度な共感を求めない。 地球人として接する人間は、この世には地球人しか存在しないと考えており、相手が宇宙人だったときに裏切られた気持ちになる。一方、相手が宇宙人として接する人間は、そもそ

    • シュールがやってきた

      ある日突然、何の前触れもなくやってくる妙な感覚。僕はそれを「シュール」と名付けていた。 シュールはいつも夕立のように“到来”し、しばらく僕の脳みそをハッキングする。短くて2分、長くて30分くらい。 ただ、シュールがやってくるときは、明らかに周りの景色が“シューる”(シュールに脳をハッキングされる)ので、なんとなく分かる。 シュールがやってくると、周りのヒトやモノが少し“大げさ”に感じられる。目の前にあるモノが、形はそのままに音に変化し、互いに響き合うような感覚。あるいは

      • 私が苦手な決断について

        私は決断が苦手だ。 例えば、自動販売機でジュースを選ぶとき。あるいは、自分の進学先を選ぶとき。そして、人生の伴侶を選ぶとき。人生が決断の連続なのだとすれば、私には生きる才能がないんだろうとすら思う。 では、なぜ決断が苦手なのか。それは、決断がとても政治的な行為だからだと思う。 カール・シュミットが(多分)指摘したように、政治とは、私の見方と敵を分ける行為であり、“何もない土地に線を引くこと”だ。思うに、ここで重要なのは、“見方”でも“敵”でもなく、“分ける”ということだ

        • 石蹴り遊び ―石についての断章―

          21.石はあまりにも頑なだ。 3.石は、人間にとっての絶対的な他者である。 107.石とは忘却の謂である。 10.石は、人間の自然言語の対極にある。それは、長い年月のうちで培われた「自然の言語」である。 1.石とは「石」のことである。 22.頑なな人に対して、「あの人は石のような人だ」と言うことがある。 5.物事の流れに対して柔軟な姿勢を向けない人に対して、「石頭」と言うことがある。 35.石には表情がない。 8.石は温もりを持たない。 5.任意の物質を数え

        人間には2種類いる

          「〈私〉をめぐる遠近法」

          1.はじめに 〈私〉とは一体何か。    この問いに答えるのは、一見とんでもなく簡単なように思える。自分で自分を指差して、今ここにいるのが他ならぬ〈私〉である、と言ってしまえばいいのだから。しかし、少し深く考えれば、〈私〉というのは、なかなかどうして厄介な代物であることが分かるだろう。  例えば朝、出社時間ギリギリに起きた私は、寝ぐせもそのままに、ダッシュで会社に通勤する。この切羽詰まった状況で、〈私〉は一体どこにいるのだろうか。  我ここにあらず。通常であればこう言わ

          「〈私〉をめぐる遠近法」