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適応障害になった話

私は社会人2年目の終わりに適応障害、自律神経失調症になった。
今は休職中だ。

負担が増えることがわかっていたため、2年目の目標は「休職に至るほど体調を崩さないこと」が目標だった。

正直自分がそうなると思っていなかった。自分に負けたことが悔しくてたまらなかった。
自分のやるせなさを整理し、いつかこの記録が誰かの役に立つことを祈って文章を書く。

ストレスの原因

今思うストレスの原因は①タスク過多②メンター(後輩育成担当)になったことだ。

未経験業務の開始、顧客対応、5つ程度のプロジェクトに同時に参画、資格勉強とやることが盛沢山だった。もうここまでで業務過多。

ここに手のかかるヤバめの後輩が配属されてきた。

・そもそも「やる気ない」と私に言ってきた
・教えたことを聞いていないと言い張る(責任転嫁
・後輩の「やります」は大体嘘
・進捗状況報告も大体嘘
・先輩のアドバイスに「言われた」と言う
・本人に自覚、改善する意識なし
・敬語、マナー、タスク管理ができない
・会議中に関係ない質問をしてくる

書きたいことは山々だが、これくらいにしておく。

結果、何度も教えた。このまま顧客の前に出すには不安がある。
信頼できないので任せた仕事も再度確認(修正)する必要があり、仕事は膨れ上がっていった。

上司に「このままだと部署の業務が破綻するため、人材を投入してほしい」と伝えたが、他部署から未経験の人を連れてきただけで何もしない。結局彼らの人材育成、業務調整も追加された。

休日出勤、残業60時間以上だった。
後輩とマネジメントについて、上司と人事に相談し続けたが改善されず、仕方ないねと。

業務過多のため調整して欲しいと願い出た後も、上司は調整はせずまた仕事を頼んでくる。残業が多いからと、部署の業務改善まで私の仕事に。

もう今後が良くなっていく展望が見えなかった。

適応障害と診断されるまで

微熱、寒気、頭痛、不眠、食欲不振などの症状がでたが、1か月たっても改善しなかった。この時の口癖は「死にたい」か「消えたい」だった。夢の中でも仕事をしてるほど追い詰められていて、プライベートの予定も延期した。

社内保健師に勧められ内科、脳神経外科を受診したが異常なしのため、精神科を受診。

適応障害と診断され、業務のピークを過ぎ去ったタイミングで産業医と面談し、休職に入った。

休職が始まった

社内調整と精神科の受診で最初の2週間は療養どころではなかった
必要書類を会社へ送り、人事と面談をして社内規定(休職の最大期間、復職について)説明があった。くたくたなのに一番しんどい時に一番労力のいる作業だったように思う。

それらが落ち着いてからは、死んだように眠り、食事をとってと、インフルエンザ患者みたいな生活をして少しずつ気力が戻ってきた。食欲が戻り、体重が増えた。

余談だが、私傷病で休職の場合、傷病手当金がもらえるのだが、2-3か月くらいかかるようで、一番お金がほしい時期にお金は入ってこない

休職をするための診断書は1枚5,000円程度(保険適用外)だ。休職の間は通院と服薬のため、毎月2万円~3万ほど費用が掛かっている。生活費も踏まえ、生活防衛費は一定額必要と思う。

今の体調

友人と食事をする気力が戻り始め、少しずつ体力も取り戻そうと頑張っていた。

しかし、悪いニュースが飛び込んできた。
社内で頼りにしていた人の退職、所属部署の環境悪化、復職時に体調悪化の原因を上司へプレゼンする必要があるなど。

メンタルが再度落ち込んだ。体調も休職前に近いほど悪化した。
復職以外の方法も調べながら、自分を追い込みすぎないようにしようと思っている。

今後について

私に残された道は以下3つ。休職期間はまだ残っているため、体調の回復に努めながら検討する。

①復職
知人のいる職場へ戻る。問題は、上司へのプレゼン実施と所属部署の環境悪化でそのままの部署に戻されると厳しい。

②転職
今のキャリアを生かした転職をする。問題は、治りきっていない体調で活動は厳しいことだ。人材不足の業界のため、転職しても同じ環境を引いてしまう可能性もある。

③修行
別の業界へ転職するため、退職し学ぶ時間を取る。問題は、金銭面と時間だろうか。

さいごに

体調回復の道半ばで、参考になりづらい内容もあったと思うが、一例として見てもらえればと思う。
今言えることは、体調を崩すと中々治らないことを胸に刻んで、皆さん健康に生きていてほしいということだ。

同じく苦しんでいる人がいたら、一緒に頑張ろう。
いいニュースを書けるよう頑張りたいと思う。またね。


【お知らせ】休職中のリハビリも兼ねて、
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