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コロナ後の世界で失われる大切なもの

フェンリル株式会社のプランナーの柴田です。普段はアプリ開発の企画などを担当しています。今回は『コロナの時代の僕ら』を読んだことをきっかけに考えた、コロナ後の世界で忘れて欲しくないものについて書きたいと思います。


『コロナの時代の僕ら』で提示された忘れたくないもの

https://www.hayakawabooks.com/n/nd9d1b7bd09a7

『コロナの時代の僕ら』の著者パオロ・ジョルダーノ氏は、本書のあとがきにおいて「忘れたくない」と何度も繰り返しています。著者はすべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうかと問いかけます。コロナに対して人々や政府や自分がどれだけ無知で無力で、いかに多くの悲劇と混乱をもたらしたか。忘れたくない。忘れるべきではない。次はどう変えるかを、今考えるべきだと警鐘を鳴らしています。

著者が目の当たりにした光景や意識の変化については本書の方で紹介されています。彼が住むイタリアは日本以上に壮絶な死者や社会混乱が発生した地域です。比較的軽微なまま推移した日本以上に強い意識変化があったのだと思います。我々日本人も強い意識を持ってコロナ以後の世界に臨む必要があると感じさせられました。

しかし、同じぐらい忘れたくないものがあります。コロナ前の世界で大切にしていた何かです。それは価値観かもしれませんし当時だからできた体験かもしれません。あの愚かで未完成な世界だったから成立した大切な何かを、失ってから思い出すことはしたくないのです。


コロナによって終わる「小さな世界」

奇しくもこの変化の大きな部分を担っているのはデジタルです。ソーシャルディスタンスはデジタルと相性がよく、ある種の強制力をもってECやデリバリー、リモートや電子決済が広がっています。

これらの現象から、多くの人がコロナを契機に進化論やIT革命レベルのパラダイムシフト(社会の価値観の大変革)が起きることを予見しています。IT革命後もハンコや書類を手放さなかった大企業が電子決済とSlackを導入し、窓口や教室にこだわる公共・教育機関がリモートやオンラインに対応しました。これらの変化はコロナ後も元に戻るものではないでしょう。

この変化は世界的なものになるでしょう。このブログで紹介されているイギリスNESTA(科学技術芸術国家基金)の記事は、社会全体でどのような変化が予想されるかが網羅されています。繰り返し言及されているのは「この変化は元に戻らない」という点です。

やや大袈裟ですが、ある意味で世界は終ろうとしているのだと思います。それは人類が滅亡するとか、地球が終わるといった大層な話ではなく、パラダイムシフトによって違うステージの世界に向かおうとしているのです。


紅茶にミルクを入れる前に考えたいこと

私が好きな漫画に『パンプキン・シザーズ』という架空の近代ヨーロッパが舞台の漫画があります。跳躍的な技術革新と戦争によって生まれた歪みがテーマで、SFとしてもドラマとしても面白い作品です。その物語の中に「ジャンガンナート - 電信世界」という架空の小説が登場します。ジャンガンナート、あるいはジャガーノートとはヒンドゥー教の神のことで、抗うことが許されない巨大な力を表す時に使われ、作中では「世界の滅びを描いた物語」として紹介されます。大まかな内容としては次のようなものです。

(要約)識字率がまだ低い世界で、町の代筆屋は言葉に拙い依頼者の思いを手紙にする仕事についていた。そこに電信技術が開発され、代筆屋の仕事は失われるかに思えが、手紙はその価値を上げて別の立ち位置を確立、露頭に迷うことはなかった。
しかし、価値が上がるも下がるも価値が変わったことには違いがない。手紙が当たり前の世界から、手紙が厳格さや趣き深さなどをの意味を持つ「あえて手紙で伝える世界」に変わってしまった。代筆屋は自分が愛した「手紙しかなかった世界」が滅んでしまったことに、静かに絶望する。

*なおパンプキン・シザーズは超名作なのでおすすめ

これは古い物がよくて新しい物が悪いという話ではありません。技術革新によって価値観が変容する社会では、取り戻せない変化は常に起きていることを忘れるべきではないという寓話として登場します。この小説を紹介するキャラクターは、物語をミルクティーに例えます。

「紅茶(ストレート)もミルクティーもどちらも等しく尊い。しかし、紅茶にミルクを注げばストレートティーは2度と味わうことができなくなる。」

今この世界にミルクが注がれているのだと思います。それは必ずしも悲観することではなく、新しい世界の幕開けであり、美味しいミルクティーを楽しむチャンスなのです。しかし2度と紅茶を楽しめなくなるとしたらどうでしょうか?紅茶が持つ独特の味や香りを必死に記憶に留め、可能であればいつか再現できないかと試みるのではないでしょうか。しかし、忘れてしまってからでは遅いのです。

「次の世界に移る前に、この世界にやり残したことはないのだろうか?この世界だからこそ生まれるハズだった多くの文化や思想を切り捨てることになるのではないか?」「電信のない不器用な世界だからこそ共和国と結べる 新しい和平の道があったのではないだろうか」


コロナ前の世界で大切にしていた何か

コロナは多くのことを強制的に変えています。デジタル化、データベース化、クラウド化、リモート化、O2O、O2D、IoT...全ての情報はデータ化されオンラインで連携され、AIが御膳立てし、スマホで簡単に扱える、便利で賢く効率的な社会になることでしょう。

それはまさに我々デジタル業界が推進してきた世界です。多くのクライアントにその価値を語り、アプリで、ウェブで、モバイルで、業務システムで、それらの価値を体現してきました。我々は、この変化を歓迎するべきなのかもしれません。

しかし、アナログだから、手間がかかるから、その場所や人だから提供できていた価値や体験があったのではないでしょうか?


はじめて父に連れていってもらった野球スタジアムの高揚感。

大学での服装について親切にアドバイスしてくれた服屋で感じた安心感。

みんなが一つになって大合唱したライブの興奮。

居合わせた旅人たちと一緒に食べたソムヤム屋台の楽しさ。

エスプレッソの香りに包まれ、時間がゆっくり流れるカフェの心地よさ。


しかし、こういったアナログでローカルな価値を提供していた店やサービスは、コロナ後の世界で生き残れるのでしょうか?

AmazonやUber Eatsの星やレビューでその価値は伝わるのでしょうか。ストリーミングやVRでは味わえないのではないでしょうか。

店やサービスで提供されていたのは商品だけではなく体験です。それは「UX」などという言葉ができる遥か前からそれは当たり前のことでした。人と人との触れ合いが、地域との関わり合いが、折り重なった歴史や価値観が、そこでしか得られない体験を生み出していたのです。しかし、こういった体験はもしかしたらコロナ以前の世界だから味わえたものだったのかもしれません。


ミルクが注がれたこれからの世界で

この世界にミルクは注がれました。我々はこれからミルクティーを楽しむことでしょう。いつか飲んでいた紅茶のほろ苦さを、今思えばよかったねと、郷愁をもって思い出すのでしょう。それもまた味わい深いのだと思います。

しかし、紅茶の味を鮮明に思い出せるのは今しかありません。デジタルという名のミルクを注ぐ前に、大切にしていた紅茶の味を思い出してください。この急速なデジタル化において最も重要なことは技術や機能ではなく、大切にしている価値を定義することだと思います。

世界の変化に合わせて変わる前に、まずは大切なことはなんだったのか。思い出せるのは今しかありません。変革の時代だからこそ、基本的な部分に立ち戻るべきなのではないでしょうか。


オンラインセミナーを6/25日から開催します

フェンリルではコロナをきっかけに今後のUXやサービスのあり方を考えるオンラインセミナーを6/25日 14:00から開催します。無料で閲覧できるセミナーで自宅や職場から気軽にご参加ください。

フェンリル自身も大切なものはなんなのかを見直している時期にあります。このセミナーがみなさんと一緒に大切なものについて考えるきっかけになればと思っています。


長文お付き合いいただきありがとうございました。

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