見出し画像

学歴と探究、どちらが安全か

子育てをしているあなたの前には2つの道があります。
Aに行くと、我が子の子育てが大成功する確率は50%!その代わりもう50%は大失敗になります。
Bに行くと、我が子の子育てが大成功する確率はわずか5%。しかし、大失敗する確率もわずか5%しかありません。

さて、あなたが親ならどちらを選びますか?

前提


まず前提の話をします。
第一に、「親ではなく子ども自身が自分の道を選ぶべきである」という考えがあると思います。僕もこの意見には多いに賛成ですが、そうは言っても、どんな教育を受けさせるか、その教育の大まかな方針に親の思考の影響は少なくありません。
第二に、成功の定義についてですが、今回は特に定めません。「お金持ちになる」「自分らしく生きれる」「たくさんの人を幸せにする」など人によって様々でしょう。ここでは、親が我が子に対して願うことが完全に実現する状態が達成できれば大成功、程遠い状態であれば大失敗とします。

我が子の大成功か安定か。

Aの道を選ぶかBの道を選ぶかは、個人の趣向に寄るところでしょう。ただ、世の中の親を大局的に見たとき、大成功(A)を選ぶ親は約2割、安定(B)を選ぶ親は多くても7割でしょうか。(残り1割は子どもに関心がないという最も救いが必要な人たちです。)

これはあくまで予想に過ぎませんが、親が我が子の大成功(A)より安定(B)を願うのは非常に納得できることです。
なぜなら、(兄弟がいたとしても)たった一人の我が子なのですから。教育者の中にも、親に匹敵するほどの愛と唯一感をもって接していらっしゃる方もいるかとは思いますが、それでも我が子として接する親の愛と唯一感は圧倒的なものです。
そして、親として最も苦しいのは、子どもの大失敗の状態を目にすること。これだけは避けたい。少なくとも僕が親ならそう思います。

探求学習か。5科目教育か。


今の教育の構造に目を向けると、以下のようなことが言えるのではないでしょうか。
つまるところ、大成功コース(A)は探求学習のようないわば「好きなことを追求しよう!」という教育。時代の流れに乗って勢いのある教育スタイルです。一方で安定コース(B)は、学校で教えているような5科目教育。受験などの進学・進路に関わる教育です。
そして、「Aのような好きなことを追求する教育の必要性はわかるんだけど、子どもの将来を考えるとやっぱりBに注力させたい。」これが、今の7割の親御さんの考えだと僕は捉えています。(もし認識が実態とずれていれば教えてください…)

「いやいや、そもそも探求学習のような教育は大成功する確率が50%で、しかも大失敗する確率は5%の教育なんだ。逆に、5科目教育は、大成功する確率が5%、大失敗する確率は50%。つまり、大成功する確率も安定する確率も高い探求学習の方がいい!」

この意見は一理あります。僕も探求学習のような教育に出会ったすぐは、「こんな教育あったんだ!これが絶対解だ!」と思っていました。
ただ、現状は。現状はそうは言ってもこの主張は成り立っていないように思えます。もちろん変化はしてきているものの、まだまだ5科目を学び、進学していく方が、選択肢が多くなる結果、大失敗をする確率は、探求学習より低くなっていると考えられます。
(ちなみに、個人的には、数年後、好きなことをやり続けた結果どうにもならなかった子どもたちの存在が社会問題になると予想しています。)
じゃあ、やっぱり5科目を勉強させるのがいいかと言われると、それも違う感じがします。
「じゃあどうすればいいんだあ…!」
ってなりませんか?

教育業は保険業だ


このように考えてみると、教育に求められている役割の一つに保険があります。親はわが子に好きなことをやらせてあげたい。ただ、大失敗は避けたい。そこで、教育に保険をお願いすることで、子育ての大失敗の確率を少しでも下げることができれば…
親御さんは、わが子の人生の保険として、教育サービスにお金を払っていると考えることができると思います。

まだ若く、子育ての経験もない教育者は教育を語る権利があるのか。


これは僕がここ数年悩んできたことの1つです。
考え続けた結果ようやく自分の中での結論にたどり着きました。
それは、子育てについては語る権利はないが、教育については語る権利がある。
なぜなら、教育業は保険業であるからです。
保険会社の人は、直接事故にあった訳ではないので、事故の怖さや事故が起こった時の気持ちを語る権利はありません。でも、事故があった時どう対処すればいいかを語る権利はあります。むしろそれが仕事です。
教育も同じ。子育てはしたことがないので、子育ての大変さなどについて語る権利はない。ただ、どうすれば、大失敗を避けることができるのか。どうすれば大成功に近づくのかを語る権利があり、教育者はそれに導く義務があります。
(だから“余計なストレスを少なくする”がテーマの自分に教育がフィットしているんだろうなあ…)

セットプランのご提案


保険の仲介窓口にお客様がやってきました。
探求保険にするか、5科目保険にするか。
店員のあなたはどちらのプランを提案しますか。

ずるい考え方だと思われるかもしれませんが、自分ならセットで提案します。お客様の特性によってバランスを調節して提案します。
好きなことを仕事にしやすい社会に変化してきていることは間違いないし、モチベーションが大いに発揮できる探求学習は現在非常に重要度が高い。
一方で、5科目教育だって、良くも悪くも長年学ばれてきただけあって、どの科目も本質的で、学ぶ価値のあるものばかりです。国語は言わずもがな、世の中の現象や仕組みを理解するための理科や数学、過去の人類の積み上げを学ぶ歴史、表現を学ぶ古典など、これらの学びは社会に出たとき、より深みと奥行きが増した価値を生み出すことに繋がるものだと思います。
探求学習:5科目教育が5:5の子もいれば、2:8の子がいてもいい。10:0でもいい。その結果、大成功の確率が増えて、大失敗の確率が減る最適のラインを考え、提供するのです。

セットプランの弊害を乗り越えて

ただ、そうなると保険仲介窓口に来たお客さんとしては、「お値段高くなるんでしょ?」ってなりますよね。
子どもの時間や脳のキャパシティは限られていますから、探求学習も5科目学習も!と、学ぶ内容を詰め込みすぎるとパンクしてしまいます

だからこそ、商品である“教育”の内容を精査する必要があります。
5科目教育でいうと、社会で役立たない、奥深さの源泉にもならないような、無駄な暗記(歴史の年号暗記のような学ぶ優先度が低い内容)はカットする。今の2/3、もしくは半分くらいにまでカットしていいと思っています。
勉強は学ぶに越したことはありません。学んだ方がいいに決まっているのです。一方で、時間とキャパシティは有限。だからこそ、何を学ぶか以上に、何を学ばないかを決めることが重要なのです。学びの効率化だけでは限度があります。

探求学習でいうと、社会との接続性は常に念頭において、教育サービスを提供する。それこそ研究の思考のフレームを伝えたり、与えられる側から与える側への視点の変化のきっかけを提供することで、社会との接続性を生み出すことができます。
ただ、子どもに好きなことをさせるのであれば、教育の役割は果たしていない。教育者の「今自分は時代に合った、生徒が楽しめる教育を提供している」という自己満足のみが生まれます。
好きなことを教材にして、どのようにしたら他者に価値を提供できるか、社会に貢献できるかを伝えて、初めて探求学習は“学習”として成り立つのです。

GIFTを送ろう

「白か黒で答えろ」という難題を突き付けられ
ぶち当たった壁の前で
僕らはまた迷っている 迷ってるけど
白と黒のその間に 無限の色が広がってる
君に似合う色探して 優しい名前をつけたなら
ほら一番きれいな色 今君に送るよ

僕の大好きなMr.ChildrenのGIFTの歌詞です。
わが子の大成功か安定か。
冒頭で2択の問題のように聞きましたが、2択ではありません。
君に一番合った一番きれいな色を選ぶことこそ、教育に最も求められている役割。これを社会全体で実現していくために、今は様々な立場の教育者が手を取り合い、お互いを肯定しながら、でも最終的には同じ方向を目指していくことが求められているフェーズだと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?