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「射精責任」とは、女が「守られるべき妻・母・彼女」でいられる権利である(前編)

ガブリエル・ブレア著『射精責任』を読んでみた

ガブリエル・ブレア著『射精責任』を読みました。
最初に、ものすごくざっくりした感想を書くと、読んでいて一番疑問に思った点は、なぜ、ここまで男性を憎みつつ、男性に全て責任を取らせようとするのかということでした。

恫喝的に「男が悪い」と強調されたような提言の数々が、これまで女性と胎児の権利のコンフリクトが争点であった中絶問題において不在であった男性を当事者として召喚し、責任を取らせるという意図と構造になっていることは理解できるものの、正直、暴力性を帯びた言葉の数々からは、「最も憎い相手とこれ以上にないほど関わりたい」というような狂気を感じてしまいました。

6児の母であり、モルモン教徒であり、プロチョイス(中絶権利擁護派)である著者のガブリエル・ブレアの主な主張である「コンドーム装着や精管結紮術(パイプカット)など、男性主体の避妊を実施すること」「男性は女性身体への責任を取って射精すること」「責任ある射精により望まない妊娠と中絶を根絶すること」は、限りなくプロライフに近いプロチョイスというか、ブレアの主張が実現すれば、構造的には、母体や胎児の健康状況や事故など不測の事態以外で出産以外の「選択(チョイス)」は発生しなくなるように思います。
でもそれって結局プロチョイスではなくプロライフ(中絶反対、胎児の生命尊重派)なのではないかと思い、プロチョイス派フェミニストとしてはモヤモヤするものが残りました。(後述します)

そして、読んでいてなんとなく、この本は「ハウスワイフ2.0」的な、中産階級中年異性愛女性のモラトリアムと自己実現の世界の延長にあるものなのかな、とも思いました。

発売前に、担当編集とやりとりしてブロックされた本

この本が発売される前、「ヘルジャパンをぶっ壊すために版権取っちゃった」など、担当編集者が炎上商法のような振る舞いをしていたことが気になりました。

『射精責任』は、プロチョイス(中絶権利擁護派)/プロライフ(中絶反対、胎児の生命尊重派)の二派が過激に対立し、人工妊娠中絶に関する問題が大統領選挙の重大なイシューとなるアメリカにおいて、中絶を禁止するモルモン教徒であり、6児の母でプロチョイス(中絶権利擁護派)である著者により書かれた本であり、これらの情報だけでも「ヘルジャパン」とは著しく異なる状況下で生まれたものだとわかります。

さらに、原著では副題に「中絶について考える」と明示されているにも関わらず、その副題を取り払い、タイトルを『射精責任』のみにした上で、販促として「ヘルジャパン(日本)」を含む「男女一般」の問題として編集者が語るのは、作者の伝えたい主張や言葉を奪う横暴なのではと思ったからです。

結局、Twitterでいくつかやりとりをした後に上記の編集者にはブロックされてしまいましたが、発売後の販促においても、新婚さんいらっしゃいの「YES/NO枕」のような、中絶問題を語る場面においてはいささか露悪的なジョークグッズを展開されているようなので、日本における『射精責任』のプロモーションは「炎上商法上等」であることは揺らがないようです。

「新婚さんいらっしゃい」のYES/NO枕のようなグッズ。リンクは貼りません。

『射精責任』とはどのような本なのか?

実際に出版されたガブリエル・ブレア著『射精責任』を購入し、開いてみると、まず、字面が怖いんですよ。

原著のデザインはどうなんだ?とAmazonで原著のサンプルを確認すると、28の提言の部分で赤と黒二色を使った構成は踏襲されているものの、日本語版は原著版と異なりフォントサイズを変更し、本文に部分的に被せる構成がされているため、原著における注意喚起性以上の「圧」が演出されています。


原著と日本語版のAmazonサンプルを並べて見るとわかる字面の圧の違い

実際に中身を読んでみると、

妊娠中絶の99%が望まない妊娠が原因であり、その望まない妊娠のすべての原因が男性にある

『射精責任』:p8

中絶を効果的に減らしたいと考えるのなら(多くの州が決定したように、中絶を完全に禁止するのなら)、女性を議論の中心に置くことは、二つの理由から根本的に間違っています。ひとつめ、妊娠中絶の禁止は効果的ではないという明らかなデータがあるから。そしてふたつめ、先にも述べた通り、すべての望まない妊娠の原因は男性にあるからです。

『射精責任』:p8-9

男性の喜びを最大限にするか、女性の痛みを最小限にするかという選択肢があったとき、社会は予想される通り、男性を選ぶのです。

『射精責任』:p75

と、力強く「男性の責任」を追求していくスタイルです。
これまで女性と胎児の問題とされていた領域に、不在であった男性を当事者として召喚する仕掛けであると、忍耐を伴う流し読みを進めてきましたが、女性は快楽なしで妊娠する可能性が大いにあり、男性が女性の体内に無責任な射精をしない限り、決して望まない妊娠は起きないという主張のあたりで疲れてきます。

複数のパートナーと挿入を含むセックスをして、一日中、夜通しオーガズムを感じていたとしても、男性が女性の体内に無責任な射精をしない限り、決して望まない妊娠は起きません。

『射精責任』:p86

女性が世界でトップクラスにふしだらなビッチであっても、妊娠の責任は全て男性にあるとしてしまうあたりには、さすがにちょっと不公平では?とツッコミをいれたくなります。
女性が射精を「許可」することと、男性が射精を「実行」することに差異があるのはそのとおりですが、例えば、あおり運転をされすぎた結果、あおられた車があおり運転をしている車にぶつかってしまった場合、「あおり運転をした車は無罪」とはならないでしょう。

ブレアはまた、世界でトップクラスにふしだらなビッチと超絶受け身女性を同列に扱います。

合意に基づくセックスであっても、完全に受け身のときさえあります。そこにただ横たわり、積極的でもなく、喜びも感じず、参加していない状態です。それでも、男性は女性を妊娠させることができます。女性が非常に強い痛みを感じているときでさえ、男性が女性を妊娠させることは可能なのです。女性のオーガズムやセックス中に快感を得る事は妊娠とは一切関係がありません。

『射精責任』:p85-86

今度の女性はあまりにも受動的です。ただ横たわり不快な時間が過ぎ去ることを耐え忍ぶセックスをその女性がどのような体験として位置づけるのかは不明ですが、不快な時間をただ耐えるセックスと無責任な射精を伴うセックスとはレイヤーが異なるのではないかと思います。

男性は精子を集結させ、体から外に出るよう指令を与えることができます。それが射精なのです。精子に体から出るよう指示を出し、精子の行き先を決めるのは男性なのです。

『射精責任』:p92

さらに、「許可」と「実行」の差異、許可には強制性がないことを理由に射精の能動性がことさら強調され、「13.望まない妊娠は、すべて男性に責任がある」と断言されると、(セックスにおける)女性の能動性などはじめから存在しないものであるかのような、女性と胎児の問題として扱われていた問題に男性が当事者として召喚されたことで、屈強な男女二元論に揺り戻されるような気分になります(ビッチはいくら能動的に振る舞っても精子を受容する側でしかないという徹底ぶりなのですから)。

子どもをたくさん産みたいとは思っていたけれど、彼女の夫は「コンドームが嫌い」だったそうで、5年間で4人の子供を出産したそうです。それは彼女が望んだよりも早急で、彼女の体に深刻な、長期間にわたるダメージを残しました。繰り返しますが、しっかりとした愛にあふれる結婚生活を、良き夫、良き父になろうと努力している男性と送っている女性たちの話です。

『射精責任』:p105

このあたりになると、身体の深刻なダメージがパートナーに無視されている状態であるにも関わらず「しっかりとした愛にあふれる結婚生活」と認識している認知のほうに問題を見出してしまいます。
「射精責任」を男性に問う前に、身体の深刻なダメージを無視する理由をパートナーに問うた方が建設的ではないかと思うのです。

①男性は自分以外の男性に恐怖を感じていることを簡単に認めます。反発を恐れて、別の男性に対峙したり、彼らを公然と批判したりはしません。男性が他の男性に対峙したり、批判したりするのを恐れているというのに、どうやって女性ができるというのでしょう?
②男性は、自分が女性よりも肉体的に2倍の力があることに気づいているでしょうか?
③セックスを拒絶された男性が暴力的になるのは誰もが知っていることです。
この3点に気づいていながら、多くの男性は、女性が男性にコンドームの使用を主張すること、そしてコンドームを使用しなければセックスを拒絶することが、簡単なことのように考えているのです。

『射精責任』:p119

これは「17.男女間の力の差は、簡単に暴力に繋がる」という提言の具体内容ですが、①男同士が対立する関係と、男女の恋愛関係が安易に同列に位置づけられるのはおかしなことです。多くの男女のセックスは、敵対するかもしれない相手と無選別に行われるものではないからです。
問題なのは、③拒絶したら暴力的になる相手とのセックスであり、「無責任な射精」はその副産物です。コンドームなしのセックスを拒絶することの大変さをブレアは主張しますが、根本的に問題なのは、「拒絶したら暴力的になる相手」とのセックスに応じ、「No」と言うこともできないことにあります。問題は「射精」よりもはるかに前の段階にあるのに、男性の「射精」にのみ責任を追求することは、素朴に問題解決に繋がらないと思うのです。

「24.精子は危険である」のあたりまで読むと、もう、逆に、なぜ、女性がそこまで凶悪で憎悪すべき対象ですらある男性と性関係を持ちたいのかさっぱりわかりません

精子は危険な体液だと考えるべきでしょう。女性に痛みを与え、生涯続く混乱を招き、死をももたらすことさえあります。精子は人間を作り出すことができます。精子は人間を殺すことができます。精子は妊娠を引き起こし、妊娠と出産は女性に身体的、心理的問題を引き起こし、社会的、そして経済的地位にネガティブな影響を与えます。
射精し、精子を女性の体内に放出しようとする男性は、 精子が彼女に与える影響をしっかりと考え、行動すべきです。つまりそれは、責任を取るということです。セックスをする度に。結果があまりにも大きいからです。

『射精責任』:p153

ブレアは精子の詰まったペニスを拳銃に例え、排便排尿をコントロールすることと同様に、男性に性的欲求を管理すること、体液に責任を持つこと、責任ある射精をすることを求めます。
(「精子は危険」であると主張するのに、拳銃のように危険なものを持った相手と裸でベッドに入ってしまうことそのものは咎めない。一般的な防衛意識から鑑みると大いに謎ですよね)

一通り読んだ後で疑問に思うのは、主に男性のコンドーム装着と精管結紮術(パイプカット)によって避妊し、男性は女性身体への責任を取って射精することによって望まない妊娠と中絶を根絶するというブレアの発想は、果たして本人が主張するようにプロチョイスなのかということです。
個人的には、限りなくプロライフに近いプロチョイスというか、ブレアの主張が実現すれば、実質、母体や胎児の健康状況や事故など不測の事態以外では、妊娠した女性に出産以外の「選択(チョイス)」が発生しなくなるという点で、プロライフなのではないかと思います。

プロチョイス(中絶権利擁護派)としてリプロダクティブヘルス&ライツを考える場合、中絶そのものをもっとカジュアルなものと位置づける思考も可能です。
初期流産は統計的には約8~15%前後、6~7人に1人は流産を経験するのですから、女性身体に負荷のない方法での中絶技術の進歩と、初期流産同様中絶そのものを「よくある、仕方ないこと」ととらえ、「中絶」のスティグマ化をなくし、女性の心理的負荷を軽減することだって可能なはずです。
(一部の人がめちゃくちゃ怒るやつだってことはわかっていますよ。私は人間の受精卵を情緒的に扱うという感情が発達していないのでお叱りはご容赦願いたい限りですが)

中産階級中年異性愛女性のモラトリアム

読みながら、この本は誰のために書かれ、どのように受容されているのかを考えました。

著者であるガブリエル・ブレアは、「デザインと母性の交差点」をテーマに、お洒落でていねいな暮らしをするママのライフスタイルを提案するサイト
「DesignMom.com」の創始者。6児の母であり、モルモン教徒で、プロチョイス。『射精責任』は、2018年、ドナルド・トランプ前大統領が連邦最高裁判所の新判事に保守派のブレット・カバノーを任命したことを契機に、宗教右派を含むより多くの人に自分の主張を届けるために投稿された63件のツイートが元となり作られた本です。

「DesignMom.com」のサイトにアクセスすると、専業主婦ないし、家事育児に比較的時間を取れる仕事を持った女性。オーガニック食材で健康と彩りを考えた料理を作り、季節のフルーツのパイを家族のために焼くことを誇る、あるいは憧れの対象にするような女性向けのサイトであることがわかりました。『ハウスワイフ2.0』に通底する価値観です。


https://designmom.com/ 

ハウスワイフ2.0とは、「男なみ」に働きキャリアを形成する生き方ではなく、SNSやワークシェアリングと親和性を持ち、ガーデニングや健康的なお菓子作りなど職人的な技術を持ち、夫という経済的基盤の恩恵を受けつつ子育てと自己実現の両立を目指すライフスタイルです。


DESIGN MOMのサイト紹介(Chromeの日本語表示)
DESIGN MOMのサイト紹介ページにあるガブリエル・ブレア近影

有給の産休・育休もない中、華やかなキャリアと貴重なポストを維持するために、シェリル・サンドバーグのごとく出産翌日にノートパソコンを開いて仕事するのはキツい……。という、「男なみに働く」という男女平等モデルに対する揺り戻しの感情が生まれてくるのは仕方ないことかとは思います。
そもそも「身体も精神も健康で常に適切な判断ができる主体」で居続けることは、どのような性別セクシュアリティにとっても無理ゲーかと、個人的には思います。時に弱ったり怠けたり逃避したり、自信を持ったり失ったり病気になるのが人間で、無理に「健康で健全で有能」なふりをし続ければ、多くの人は破綻するでしょう。

そして興味深いことに、この『ハウスワイフ2.0』的な世界観を『射精責任』に導入すると、主張の背景を類推することが可能になったのです。

長くなったので、後編に続きます。
後編は『射精責任』が書かれる背景にある近年のフェミニズムと世界の避妊状況についてを中心に書いていこうと思います。
(国連の国別避妊方法別普及率のデータをグラフ化してみたら、えげつないものがでてきたので乞うご期待!)
後編公開しました。


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