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「射精責任」とは、女が「守られるべき妻・母・彼女」でいられる権利(後編)

前編では、ガブリエル・ブレア『射精責任』の出版背景に関して思ったこと、実際に読んだ感想を中心に記述していました。

「男性のコンドーム装着と精管結紮術(パイプカット)による避妊」「男性は女性身体への責任を取って射精すること」「男性の責任ある射精による望まない妊娠と中絶の根絶」というブレアの提言は、本人が主張するようなプロチョイス(中絶権利擁護派)ではなく、限りなくプロライフ(中絶反対、胎児の生命尊重派)に近いものであること。

ブレアが「デザインと母性の交差点」をテーマに運営するサイト「DesignMom.com」の「ハウスワイフ2.0」との親和性。「男並み」に働きキャリアを形成する生き方ではなく、SNSやワークシェアリングと親和性を持ち、ガーデニングや健康的なお菓子作りなど、職人的な技術を持ち、夫という経済的基盤の恩恵を受けつつ子育てと自己実現の両立を目指す「ハウスワイフ2.0」的な価値観を、『射精責任』に導入して読解すると、ブレアの主張の背景を類推することが可能になるのではないかという推察で終了したと思います。

「母親の仕事は子育て」

『射精責任』を読んでいて、はじめは無関係な内容かと思った箇所があります。女性は「子育て」だけで十分に仕事をやっているので、その他のことはそもそも期待されるべきではないという主張です。

母親はこのような仕事をやりながらも(用事、ペーパーワーク、夕食の支度、家事、その他)、子どもの世話をすることが前提になっています。しかし子育てというのは、それだけで立派な仕事ではないでしょうか?女性は、「家事を済ませたうえで」、子育てもやると期待されるべきではないのです。子育てだけで、仕事は充分やっているのです。

『射精責任』:p136

第一に、「責任ある射精」とは一見無関係であり、第二にずいぶんと保守的です。子育ては大変でやりがいのある仕事かもしれませんが、「女性限定」の仕事ではありませんし、厳密にいえば「賃金を稼ぐ」生産労働ではなく再生産労働なので、「子育て一本で食っていく」というようなことはできません。「子育てだけ」で生活していくためには、保有資産を食い潰すか、他の稼ぎ手に経済依存する必要が発生します。第三に、射精も妊娠も望まない妊娠による中絶も、全て男性の責任であるのなら、妊娠の結果生まれてくる子育ての責任だけ母親が担うことはおかしな話です。

そう、『射精責任』は、男女二元論における「女性的な役割」を批判する本ではなく、むしろ徹底的に「(ステレオタイプでなおかつ生物学的な)女性役割」を全うしようとする本なのです。女は徹底的に「女性役割」をするから、男は徹底的に「男性役割(射精責任)」を全うしろ。というところが、ブレアの主張のキモなのです。

「射精責任」とは、女が「守られるべき妻・母・彼女」でいられる権利であり、それは、私のようなフェミニストが毛嫌いする家父長制的男性支配の別の呼び方かもしれません。「男は責任を持って女に射精し、責任を持って女を支配しろ!」というわけです。

欧米の避妊方法のスタンダードとフェミニズムがもたらしたもの

日本では、田中美津をはじめ多くのフェミニスト(「新宿リブセンター」系のウーマン・リブの女性たち)が導入に反対していたピルですが、欧米におけるピルの普及には、第二波フェミニズムや女性のリプロダクティブ・ヘルス&ライツ、女性の性の自己決定権の議論が色濃く関わっています

1970年代の欧米では、女性がピルにより出産のタイミングを自らコントロールできるようになったことで、それまで結婚や妊娠により諦めざるを得なかったキャリアを獲得し、女性の社会進出が本格化しました。
(当時の日本のリブは女性の生殖機能を肯定する姿勢が強く、男性の避妊責任を免罪し女性のみが避妊責任を負わされる薬の構造や、「快楽」のために自らの生殖機能を操作することへの抵抗感からピルに批判的でした。)

キャサリン・ハキムは、著書『エロティック・キャピタル』の中で、欧米では、性革命とピル、フェミニストの要求などにより、女性がいつでも主体的にセックス可能になったこと。それにより、女性にのみ貞淑さを求める性の二重基準は時代遅れになったものの、逆説的に女性のエロティック・キャピタル(この場合は、男性が女性のセックス可能性につけられる値段)が低減したというようなことを書いていました。
(※エロティック・キャピタル=美しさ、セックスアピール、社交スキルや性的能力など、外見の魅力と対人的な魅力を総合したもの。魅力資本。)

女性のセックスの賃上げ交渉

本当に身も蓋もない言い方をすれば、異性愛男性はヤれるかヤれないかわからない、でもヤりたい女性には優しくしたり飯を奢ったりプレゼントを渡したりしてコストをかけるが、いつでも主体的にセックス可能な女性にはぞんざいになりがちというやつが、『射精責任』の背景にあるものなのかもしれません。

つまり、『射精責任』は、ピルをはじめとした女性主体の避妊の普及によって「値下がり」してしまった「女性のセックスの価値」を再獲得する試みなのかもしれないということです。性革命とフェミニズムの浸透で値下がりし男女平等になった女性のセックスを、「妊娠・中絶コスト含む、セックスの責任は全て男性が負担しろ」という恫喝によって値上げする、ということです。

「男性がどんな女性にも優しくしないことが悪い」という理想論や道徳で男性を批判することは簡単ですが、ソシャゲだって、絶対に欲しいSSRレアには課金するかもしれませんが、無課金でよく出るノーマルのためにあえて課金はしないでしょう。「限定品」が最後の1個で残っていたとき、「今買っておかなければ」と物欲が上昇する感覚を持った経験がある人もいるはずです。
人間とは悲しいもので、目の前にある獲得可能そう(でも現状獲得できていない)報酬には躍起になってリソースを投入しますが、簡単に獲得できる、あるいはすでに所有しているものに同じ情熱を傾けることは少ないことが多いのです。

社会構造の理解はできてもメンはへラる

女性の能動性と主体的な避妊とフリーセックス化によって、女性の1セックスの値段が下がる。女性のセックスの値段が相対的に安い男性のセックスの値段に近づくという意味では性の平等化なのですが、これによって女性には、「男性に大切にされていないような気がする」問題が発生するのでしょう。フリーセックスではなく、高潔な愛とか妊娠出産子育てのための神聖な何かとしてセックスを捉えている層には、よりいっそう耐え難いことかもしれません。

男女平等は求めるけれど、「そんなに安くセックスが買い叩かれては困る」という本音を言うのは憚られるから「射精責任」という言葉で男性の倫理観や道徳観に訴える手段に出ているのかもしれません。

ピルは日本で普及しておらず、避妊の中心はコンドーム

ブレアの主張である「コンドーム装着や精管結紮術(パイプカット)など、男性が主体になって避妊すること」に関しては、日本は他先進諸国に対してコンドームによる避妊方法が圧倒的に多いため、すでに「射精責任」を満たしているとみることもできます。

『射精責任』の解説では、そのことはまったく免責事項にならず、日本では中絶が多く女性が主体的に選択できる避妊手段が少ないことが問題であると指摘されていました。しかし、「女性による能動的な避妊」によって女性の1セックスの価値(エロティック・キャピタル)が下がり、「男性に大切にされていないような気がする」女性が産まれてくるのだとすれば、女性が主体的に選択できる避妊手段が少ないことは問題にならないばかりか、避妊手段が増えるほうが困るという逆説が発生してしまいます
(「中絶が多い」ことに関しては、是非がある問題なので今回は言及を控えます。)

フェミニズムや性革命によって、欧米の避妊は女性主体になったが、日本では状況が著しく異なり、避妊は男性によるコンドームが中心である。

この点に関しては、文章を読むよりも実際のデータを見比べなければなんとも言えないような気もします。また、フェミニストがよく日本の引き合いに出す欧米だけでなく、アジアやアフリカの状況も見てみなければ、データに偏りが生じるでしょう。

国連「世界の避妊具使用状況調査(2021年)」

そこで、国連の出している「世界の避妊具使用状況調査(2021年)」からいくつかの国を抜粋し、グラフ化してみることにしました。
性に関する国際比較データは、そもそも日本語に訳されてなかったり、チェリーピッキングされて資料化されていたりすることが多くあります。私の作成したグラフも、世界の全ての国を網羅しているわけではないので(労力的に無理で申し訳ない)、特定個人により選別されたデータであることを念頭において見ていただければと思います。

まず、グラフを作る元となった資料、「World Contraceptive Use 2021」について、簡単に説明します。

「World Contraceptive Use 2021」は、国連経済社会局人口部が1950年から2020年までの世界の196の国または地域に関して、生殖年齢(15歳から49歳)の女性の家族計画指標を比較したものです。今回はそこから特定の国における避妊法別の避妊普及率を抜き出しグラフ化してみました。できる限り最新のデータを元に作成していますが、最新版のデータに欠如が多い国に関しては、1つ古いデータを使用し作成しています。
※注釈:調査からわかるのは女性の家族計画指標なので、例えば男性同性愛者の感染症対策としての避妊具使用状況などは反映されていないと考えられます。

この調査で避妊法別として設けられている区分は「女性避妊手術」「男性避妊手術」「IUD」「避妊インプラント」「避妊注射薬」「ピル」「男性コンドーム」「女性コンドーム」「膣バリア法」「乳汁性無月経法」「緊急避妊薬」「その他の現代的な方法」「伝統的な方法」「リズム法」「膣外射精」「その他の伝統的な方法」です。
(ちなみに、「伝統的な避妊法」ってなんだよ?と思い詳細を確認したところ、「禁欲」「リズム法」「膣外射精」「民間療法」「膣洗浄」「乳汁性無月経(LAM)」「母乳育児」「標準日数法」「休薬」その他の不特定多数のメソッドを含む。とのことでした。)

次に、ピックアップした国とその理由に関しても簡単に記載していきます。まずは「日本」、日本のフェミニズムが強く影響を受ける「アメリカ」「イギリス」。日本のフェミニストが性の問題でよく参照する「スウェーデン」、英米のフェミニズムとは異なる傾向を持ちカトリックの割合が高い「フランス」、EUを代表する工業国であり移民も多い「ドイツ」、近隣の国であり女性ファッションなど流行・文化面でも強い影響を与え合う「中国」「韓国」、伝統的階級制度が根強く残る「インド」、アジアの中で乳児死亡率は最も高く、識字率が最も低い「アフガニスタン」、世界でHIV感染者が最も多い「南アフリカ」。

『射精責任』が産まれたアメリカのお隣である「カナダ」と「メキシコ」、日本人の留学先として人気の「オーストラリア」、フランス同様カトリックの割合が高い「イタリア」、反同性愛や対米政策の影響も気になる「ロシア」、中国韓国に次いで日本への結婚移住女性が多い「フィリピン」、政治や宗教の状況が日本人からは想像しにくい「イスラエル」「パレスチナ」「イラン」、アラブ及びアフリカにおける穏健な地域大国として台頭したが近年は情勢が不安定な「エジプト」。ダイヤモンドにより経済が急激に発展し、一人当たりのGDPが高く政情も安定している「ボツワナ」、アフリカ諸国の中でジェンダーギャップ指数ランキング上位の「ルワンダ」です。

国ごとに、各避妊方法の割合を全体避妊普及率で割って算出しています。ヒートマップをつけたので、濃い緑色が各国のメジャーな避妊法ということになります。

もう少しわかりやすく、国ごとに避妊法とその割合を積立棒グラフにしてみます。

日本、アメリカ、イギリス、スウェーデン、フランス、ドイツ、中国、韓国、インド、アフガニスタン、南アフリカ
  • コンドームと膣外射精でなんとかしようとする、女性の主体的な避妊は少ない日本。

  • コンドームによる避妊は13.9%と少なく、女性避妊手術による避妊が一番多いアメリカ。

  • コンドームとピルによる避妊が中心のイギリス。

  • IUDが最もポピュラーなスウェーデン。

  • コンドームによる避妊は少なくピルによる避妊が中心のフランス、ドイツ。

  • IUD、女性避妊手術、コンドームの順に利用されており、日本とは大きく傾向が異なる中国。コンドーム、男性避妊手術(パイプカット)と、男性避妊が中心の韓国。女性避妊手術が圧倒的に多いインド。

  • ピルと女性避妊注射が中心のアフガニスタン。

  • 女性避妊注射が最もポピュラーな南アフリカ。

カナダ、メキシコ、オーストラリア、イタリア、ロシア、フィリピン、イスラエル、パレスチナ、イラン、エジプト、ボツワナ、ルワンダ
  • アメリカとは傾向が大きく異なり、コンドーム、ピルが主要な避妊方法であるカナダ。

  • アメリカ同様コンドームによる避妊は少なく、女性避妊手術による避妊が一番多いメキシコ。

  • 避妊の中心はコンドームとピル、続いて男性避妊手術(パイプカット)が多いオーストラリア。

  • フランス、ドイツに比べると女性主体の避妊が少なく、コンドームによる避妊が一番多いイタリア。

  • コンドーム、ピル、IUDが主な避妊方法であり、ヨーロッパ・アメリカでは少ない膣外射精が多いロシア。

  • 女性主体の避妊と膣外射精が多く、コンドームによる避妊は少ないフィリピン。

  • イスラエル、パレスチナはIUD中心で膣外射精も多め。

  • ピックアップした国の中で最も膣外射精の割合が高いイラン。

  • 女性主体の避妊圧倒的な割合であり、コンドームによる避妊の普及率がピックアップした国の中では最低のエジプト。

  • 日本同様コンドームによる避妊割合が極めて高いボツワナ。

  • 女性主体の避妊が中心で、中でも女性避妊注射が多いルワンダ。

ピックアップした国の中では、アメリカ、イギリス、スウェーデン、フランス、ドイツ、中国、インド、アフガニスタン、南アフリカ、メキシコ、フィリピン、エジプト、ルワンダなどは、女性による避妊が中心です。
ピックアップした国においては、中東・アジアはヨーロッパに対して「膣外射精」が多めです。

断片的なデータなので、言及できることは少ないですが、傾向としては女性による避妊が行われている国が多く、「先進国だから」「女性の地位が高いから」女性が主体的に選択できる避妊手段が多くアクセスが容易というわけではなさそうです。

中産階級中年異性愛女性のモラトリアム(日本編)

なぜ、日本でも一部の女性に『射精責任』が受けたのか、ここまで読んでくださった方は、もうおわかりだと思います。

問題は、避妊の方法や中絶ではなく、「値下がり」してしまった「女性のセックスの価値」を再獲得し、「男性に大切にされたい」ということなのです。拳銃のように危険な精子を持つ男性に、「女は徹底的に「女性役割」をするから、男は徹底的に「男性役割(射精責任)」を全うしろ」と恫喝的にすがるのです。
『射精責任』は、シスジェンダー異性愛者の視点から、シスジェンダー「異性愛者の性的関係を維持する」ことを目的に書かれています。

最終的に、シスジェンダーで異性愛者の提言を、シスジェンダーで異性愛者の性的関係を維持する人たちのために展開することにしました。

『射精責任』:p11

「射精責任」とは、女が「守られるべき妻・母・彼女」でいられる権利であり、男性の倫理観や保守的な道徳観に恫喝的に訴えることで、男に愛やケアや責任(金銭的な支払い含む)を取る義務を要求するものなのです。

まったく、異性愛者の道化芝居(ファルス)には、付き合っていられませんね。



最後まで読んでくださりどうもありがとうございます。
頂いたサポートは、参考文献や資料購入にあてたいと思います。

今回、Excelでのグラフ作成がかなり大変だったので、ねぎらってもらえると喜びます。


よろしくおねがいします!