見出し画像

大学生の冬 とある日

こんしばわん、しばみかんです🍊

昨日は中学、高校の時の出来事を書きました。
結局、周りを信じなくなった当時の私。
その後、大学に進学してとあることが起きます。
さて、何が起きたのでしょうか・・・?

冬のある日


推薦試験で合格を手に入れた大学に入学した。

通学は電車とバスであった。
時間がかかるものの、これを機に一人暮らしをしたかったが
父親からNGが出たので、実家から通った。

母親からの虐待が続くなか、大学2年の冬にある事件が起きた。

それは、母親が体調を崩したのだ。
風邪を引いたが、めまいが治らないというのだ。
起きることも難しく、3日間ほど寝込んでいた。

幸いにも私は期末試験の時期であり、早めに帰宅することができた。
食事などの家事はしていた(はず)。

そして期末試験が終わったその日、母親から
「病院に行ったほうがいいかなぁ」
と相談を受けた。

ここ2、3日ずっと寝込んでいた母親。
しかもある方向を向くと、めまいが起こるという。
当時の私はめまいとは無縁だったので、想像ができなかった。
しかし体を向きたい方向に向けない苦しさ。
なんとか解放させたい。

「じゃあ、明日の午前中に病院へ行くか」
そう結論が出て、次の日に近所のクリニックへ行くことにした。

次の日。
母親は起きるものの、歩くことも辛そうであった。
クリニックに行くのは時間がかかるし、母親もつらそうだったのでタクシーを呼んで、クリニックへ向かった。

そしてクリニックに着き、診察の結果。
「紹介状を書くので、近くの大学病院に行ってください」

クリニックではわからず、ちゃんと検査をした方がよいと判断された。

幸いにもその日の午後に予約を取れたので、紹介状を持って大学病院へ向かうことにした。

私がタクシーを手配しようとしたところ、クリニックのおばちゃんがタクシーを手配してくれた。感謝。

そしてきたタクシーに乗って、大学病院へ向かった。

母親はつらいのであろう。
この日は、いつもの怖い姿はなく、優しかった。
お金を支払うなど、母親がやろうとしたので
「おかん、あたしがやるからええよ」
とパパッとお金を払ったり、あらゆることを私が行った。

私のモットーのひとつ。
「病人はこれ以上、無理するのではない。
動ける人が諸々とやった方が良い。」
一番辛いのは病人なので、無理せず休んでもらいたい。と思っている。

クリニックから30分もかからずに、大学病院に着いた。
歩くのもつらそうな母親。ゆっくりと病院へ入る。

まずは受付。
母親には受付近くに座ってもらい、私が受付であらゆる手続きを行なった。

次に受診する診療科、耳鼻咽喉科の場所へ移動した。
移動するにもふらふら。
母親はめまいがしているので、歩くのも大変なのだ。

おまけに大学病院なので、病院内も広め。
歩くのにも苦労する場所に耳鼻咽喉科があった。
少しずつゆっくり歩いて、やっと耳鼻咽喉科に着いた。

私が耳鼻咽喉科で受付の手続きをしている間、
母親は「ふぇ〜」と疲れのため息をついていた。

手続き後、まずは検査をすることになった。
ふらふら歩くのも大変な母親が、検査する部屋に移動した。
私と看護師の肩を借りて歩くのがやっとだった。

そして検査が終わった後、看護師さんから提案があった。

「車いすを持ってきますか?」

お、その手があったのかと思い知らされ、持ってきてもらうことにした。
母親は「大丈夫だよー」と言うのだが、大丈夫には見えない。
歩くことができていても、肩を借りるほどフラフラ歩いているのだから、大丈夫とは言えない。

おまけにここは病院。
使える物は使った方が私自身も負担軽減になる。

母親に車いすに座ってもらって、検査室から移動。
待合室で少し待っていたら、診察で呼ばれた。

診察室でも検査を行った。
「うげー」という母親の呟きを聞きながら見守った。

診察の結果、ウイルスからきためまいであった。
風邪をひいて、ウイルスが何らかの原因で耳に入ったらしい。

先生から薬を処方してもらい、飲んでもらった。
すると、少しずつ治っていった。
ようやく、普通の生活を送れるまでになった。

見返すほど優しい母だったが
その時だけだった。

いつのまにか
相変わらず、厳しい母に戻った。

あのときの優しさはどこへいったんだ…

・・・
今日はここまで。
次は社会人になったしばみかん。
一人で葛藤する日々を過ごします。

ではでは。

🍊🍊🍊🍊🍊

心療内科へ行くのも躊躇した私が行った話が
ここにあります。
ぜひ読んでみてくださいね。