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性格が変わったきっかけ

世の中には色んな人がいるんだな〜
と思えるようになったのは高校の時でした。

中学卒業後、高校は県外に行きました。
父の単身赴任先へ引っ越して二人暮らしをしました。
(切もいいし住める場所があるのなら色んなところに住みたいという昔からの好奇心で引っ越しました)
父は出張が多く帰宅時間が遅いのでほぼ一人でした。もともと一人は好きなので不満は全くありませんでした。


県外なので知り合いもいません。
学校ではお弁当を一緒に食べてくれる友達ができました。とても親切で放課後も遊んでくれました。すぐにそんな友達かできて恵まれていると今でも思っています。

でもお弁当を一緒に食べるだけの仲に留まりました。 いつも一緒に行動したりというような友達は半年間できませんでした。それは休憩時間やちょっとした時間におしゃべりする友達がいないということです。(もともと人見知りで口数も少ないのであたりまえです)

一人でぼーっとしていると休憩時間などは他の子の会話が聞こえてきます。その会話はいつも愚痴や悪口でした。
気に入らない子が自分と同じお菓子を持っていたことに対して真似された、などという本当にどうでもいいような会話でした。自分のことではないですが愚痴が多くて気分が悪かったです。

思い返せば私の黒歴史は中学生のときです。
愚痴が多くて人生で最も性格が悪かった時期だと思います。
でもそれは話す友達がいたからできたことです。
どんな愚痴を言っていたか具体的に一つも思い出せませんが
仲のいい友達に「裏表がある」と言われたことがあります。その時は少しショックを受けたのを覚えています。
記憶に残らないほどの愚痴を友達に言っていたのだと思います。私の話を聞いてくれる友達がいたから流れていけたということでしょう。

友達がいないということは愚痴を言うことさえできません。
そのため高校の時の私は、「お菓子が一緒だったことに対して真似されたと愚痴を言う子がいる」というどうでもいい愚痴を言いたくても誰にも言うことができませんでした。
流れていくところがないのです。
そうするとどうなったかというと、人の会話について自分の意見を心のなかで考えるようになりました。

・その子のほうがお菓子を買ったのがあとかもしれない
・良いものは被ることもある
・被ることで嫌味を言う子もいる
・悪口を言いたいだけかもしれない
・人のことをいじって優位に立った気分になりたいのかな

こんな感じです。
否定的な意見というか、いろんな可能性を考えるようになり
自然と愚痴では無くなり「こんな考えを持ってる人なのかな」に変わりました。

半年後には新たに友達ができて孤独感はなくなりました。
友達がいない独りの時間が一定期間あったことで、考え方が変わって性格が変わりました。
その後から仲良くなった友達にふとした時に性格がいいと言われることがありとても嬉しかったです。

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