#オヤカク #オヤオリ の問題点(3)

#オヤカク #オヤオリ の問題点の3つ目を申し上げます。

3. #シューカツ #就活 で親に相談するな

そもそも,#就活生 は親に相談すべきなのか。親以外の相談相手がいないのか。

これは私の推測ですが,令和6(西暦2024)年3月の時点における #就活生 の親御さんは,概ね50歳代中盤~40歳代中盤くらいの方々と思われます。つまり,#就職氷河期世代 と呼ばれる,厳しい時代に直面させられ続けてきた方々です。「厳しい体験を長らく強いられてきた」という意味で,そこから知見を得るために相談する価値はあるかもしれません。

しかし,根本的な問題として,親はそもそもパーフェクトな存在でなく,実は何も知らない可能性が高いのです。

サラリーマンである親も,自分の会社のことを理解していても,他社又は他組織のことを理解しているとは限りません。寧ろ,わからないことのほうが圧倒的多数のはずです。また,すべてのサラリーマンたる親のみなさんに当てはまるわけではありませんが,礼儀すら弁えない「ならず者」がいることも事実です。自営業者又は法人役員の親であっても,この理はなんら変わりません。

今の #シューカツ #就活 と親世代の人々が #シューカツ生 "就活生 だったころの #シューカツ #就活 とは,全く異なっています。親世代のころと比べて,今は法律上の制度も整っています。また,手に入れることができる情報の質量も大きく異なっています。つまり,今の #シューカツ生 #就活生 と親世代とでは,前提が全く異なるのです。

これは私見ですが,親に相談する価値はないと思います。#就活生 のみなさんの人生は,#就活生 みなさんご自身のものです。#シューカツ に臨むみなさんが自分の自由意思と責任に基づいて決めればいいのです。相談を受ける親の立場にあるみなさんにとっても,判断するための情報がないにもかかわらず,相談を持ち掛けられても困惑してしまうでしょう。そうであるならば,冷たく思われるかもしれませんが,勇気をもって,
「自分には判断するための根拠となる情報がない。だから,情報をより多く持っているあなたが自分で決めなさい。」
と伝えればいいのです。

このようなことを申し上げますと,親世代のみなさんから,
「冷酷すぎるだろ」「子どものことを心配するのは親として当然のつとめだ」
等の反論が寄せられそうです。

しかし,親といえども,人間。限界があるのも事実なのです。知らないことは知らない。これは,厳然たる事実であり,まぎれもない真実なのです。そして,それは,冷酷でも不親切でもないのです。親自身,まずは自分に限界を知ることが必要とされます。「知らないことがある。」「そもそも限界がある。」ということを理解していれば,#就活生 の相談に対しても冷静に対応できるはずです。
念のため付言しますと,私は #就活生 を冷たくあしらえと申し上げているのではありません。あたたかく見守ることは必要ですが,できないことを「できない」と意思表示する勇気も時に必要とされることを申し上げたいのです。

4. 親は黙って見ていろ

また,先ほど申し上げましたが,#就活生 の人生は #就活生 固有のものであり,子どもの人生は子どものものに他ならないのです。親の所有物ではないのです。そのことを理解していないと,不用意に口を出し続ける親で在り続けます。これは,#シューカツ生 #就活生 と親自身との両方にとって明らかなマイナスをもたらします。

一見「口を出し続ける親」はあたたかい存在のように思われますが,結局子どもの成長を妨げてしまいます。最近の言葉で言えば,#モンスターペアレント #毒親 #ヘリコプターペアレント といったところでしょうか。

確かに,就職先選びで失敗するかもしれません。就職先がいわゆる #ブラック企業 だった。#粉飾決算 で国税庁に乗り込まれた。会社説明会の時の話と現実があまりにも違う。etc. しかし,私が思うに,失敗そのものが悪であるということではないのです。失敗に対する受け止め方とその後の対処が問題視されるべきだと思います。失敗しない人はいません。失敗してしまっても,再び立ち上がって,また新たな道を見つけ,又は切り開いていけばいいではありませんか。失敗からのリブート(再スタート),レジリエンス(回復)と失敗後の学びこそが,大切なのではないでしょうか。

先ほど,子どもの #シューカツ #就活 に不用意に口を出し続ける親のことを申し上げましたが,そのような親たちは結局冷酷で無責任な存在でしかありません。子どもの #シューカツ #就活不必要に(過剰に)介入する親たちは「子どものことを心配している」「子どもには自分よりもいい人生を送ってほしい」と口々に言いますが,結局その人たちのほとんどは自分の見栄,外聞又は保身のみを考えているのです。つまり,口先とは裏腹に,子どもの人生のことなんか少しも考えていないのです。しかも,口を出したこととそれによって生じた結果に対する責任を全くとりません。#就活生 #シューカツ生 である子どもにとっては,たまらなくツラい体験だと思います。
(2024.03.18追記) #教育虐待 という言葉がありますが,#シューカツ生 #就活生 の親たちがその子弟に対して #シューカツ #就活 #就職活動 に不必要に(過剰に)口をさしはさむこと・横車を押すことは, #就活虐待 と言えると思います。

子どもの #シューカツ #就活 に口を出すならば,口出しとその結果に対して全面的に責任を取れ!
責任を取れないならば,一切口をさしはさむな!

なし

これが,私が #シューカツ生 #就活生 の親たちに申し上げたいことです。結局,ある時は口を出して,ある時は知らんぷりする。口を出すにもかかわらず,口出しとその結果に対して責任を取ろうとしない。このような「中途半端」な姿勢は,害悪でしかありません。#就活生 #シューカツ生 本人の決断を尊重するならば,一切口を出さない。口を出すのであれば,結果責任を踏まえて結果に対しても全責任を負う。そのどちらかを徹頭徹尾通す必要があります。特に,#就活生 #シューカツ生#就活 #シューカツ に親が口を出す場合,親が就職先を見つけてきてそこに就職こと以外の選択肢を認めないくらいの腹積もりが必要とされます。しかし,#就活生 #シューカツ生 は成人ですから,少々難しいかもしれませんね。

  1. #就活生 #シューカツ生 は,親に相談するな。

  2.  親は,子どもの #就活 #シューカツ に口を出すな。口を出すならば,結果責任までとことん責任を負え。

5. #オヤオリ #オヤカク は人を不幸にする

このように考えますと,#求人者 が #就活生 #シューカツ生 の親を巻き込むことは,邪道です。なぜならば,#オヤカク #オヤオリ は,不必要かつ過剰に親子間に介入するだけでなく,親の #シューカツ #就活 への口出しを容易にさせるからです。その結果,子どもの生きる力を殺ぎ,子どもの自立を阻むからです。
#求人者側 も「 #内定辞退 」を避けたいと思うでしょう。私はそのこと自体に異を唱えませんが,#求人活動 も #ビジネス の一部であることから,その可能性を常に含み置いたうえで #求人活動 に勤しむ必要があるのです。言い換えますと,断られる可能性があることを踏まえた #求人活動 を展開すべきなのです。言い換えますと, #内定辞退 の予防のために求人者が親子関係に介入することそのものが,エゴでしかないということです。
また,#シューカツ生 #就活生 とその親御さんとの間のことは各当事者が決めるべきことであって,求人者が介入すべき問題ではないのです。さらに申し上げれば,#一人暮らし #ひとり暮らし の可否等は #就活 #シューカツ 前に #シューカツ生 #就活生 とその親御さんとが話し合っておくべき問題です。少なくとも,#求人者 には無関係なのです。 

求人者が #就活生 #シューカツ生 の親子関係に土足で踏み込んだがために,親子関係の悪化が生じた。これは,まさに本末転倒でしょう。#求人者 のエゴが #就活虐待 を生んでいるとすれば,これは大変に忌々しき問題です。

ご清読ありがとうございます。

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