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人生を語れば、一つの物語となる。感受性豊かな27歳のこれまでの物語。

最近、坪田先生と小林さやかさんにどハマりしてます。ビリギャルの映画を観た後、すぐさま小林さやかさんが書いた『キラッキラの君になるために』という本を購入し、読んでみました。

読んでみて思ったのは。
人生は語れば、誰でも一つの物語が出来上がる。どんな人生を歩んできたか、誰の人生だとしても語ればストーリーになる

そして、このストーリーは一つ一つが大変面白い。この人はこの時どういうことを考えて、どう生きていたのか。どういう出会い、どういう価値観が増えていったのか。

わたしは人の人生を聞くのが好きです。今回小林さやかさんの人生を読み、面白いと思ったのが第一感想ですが、それと同時に自分の人生語ってみようかしら!というのが第二感想でした。

ってことで、自分のこれまでの人生を語ってみようと思います。果たしてストーリーになるのか。

生まれてから〜高校まで

高校生までは言われたら従う、一つ夢中なことを突き詰めるという、とても真面目な人間だった。

学校では宿題と言われたら締め切りまでに提出する(怒られたくなかったから)、テストがあるとなればテスト勉強をする(順位が低いよりは高い方がいいと思ったから)、部活の部長をやれと言われたら責任を持って部をまとめる努力をする(部長とはそういうものだと思ってたから)。

また、一つ夢中なことを突き詰める性格であり、中学生まではピアノを9年間、高校生まではテニスを9年間続けていた。どちらもそれなりに成績がよく、何より周りから「すごいね!カッコいいよ!」と言われることが嬉しかった。もっと褒められたいなー、カッコいいって憧れたいなーという想いで、成績を出そうと練習に望んでいた。

大学を選ぶときは、理系で数学が好きだが博士になりたいわけではない、より身近なところで数字を使う学部がよい。かつ、東京に出たいという想いがなかったため、地元の経済学部のある大学へ進んだ。

大学時代

大学1年の時は、高校の時イケメンやなーって思ってた人と付き合い、ラブラブな遠距離恋愛を繰り広げていた。大学1年生の時は受ける授業がほぼ決まっていて、大学では勉強するよりも友達と楽しむことが多かった。はじめてした一人暮らしを存分に活用し、友達や彼氏が沢山泊まりに来た。

大学2年生からゼミナールが始まった。わたしは真面目でイケメンな先生に惹かれ、その先生のゼミに入った。そのゼミは、いろんな活動を積極的にしていて、毎週黒板で調べてきたことを発表したり、たまに経済インターナルゼミナール大会への出場、ディベート大会への出場など、いろんな経験をさせてもらった。大学2、3年生はゼミナール活動に没頭した。

そんな中。大好きな彼氏に突然振られ、わたしは失恋を経験した。「ごめん!海外に行きたいから。」と言われ、え??行って????お付き合いと何が関係あるん??となった。中々吹っ切ることができず、1年くらいは引きずっていた。そんな様子を見て、周りからはメンヘラやなぁと言われて、なるほど恋愛で悲しむことがメンヘラという扱いになるのかということを覚えた。

大学4年生は、大学3年生の時に受けていた授業の教授のゼミナールへ移動した。イケメン真面目な先生のことを本気で推してたし離れたくなかったが、途中から計量経済学というデータ分析の分野に興味を持ち、悩んだ結果データ分析に強い、少々とっつきづらい、性格に癖がある(最初の授業は怖すぎて、この人には必要以上に関わりたくないと思っていた)教授のゼミナールへ移動した。

その人のゼミナールで、統計やマーケティングリサーチを学んだ。性格は独特だけど、何よりも知見があり、色んなことを熱心に教えてくれた。大学4年生の研究報告は、その先生が経済学部の先生方に声をかけてくださり、わたしの卒業研究を報告する場を設けてくれた。先に結末をお伝えすると、わたしは報告後先生の研究室で1時間泣き続けていた。

大学までのわたしはとにかく自己肯定感が低く、負の感情をエネルギーとする人間だった。研究報告会の際も、質疑応答で回答につまりすぎて、悔しくて悔しくてしょうがなかった。今考えればその分野を専門とする先生達を前に報告しただけでも十分えらいが、その時のわたしは100%できることしか考えていなかったため、出来なかったことがめちゃくちゃ悔しかった。

先生達の報告会も終え、次は就職活動。特に東京へ行きたいという想いがなかったため、地元の金融業界の選考を受けていた。(経済学部でもあり、みんな金融業界を受けていた)会社説明会や短期インターンに行ったが、正直全く興味が湧かなかった。みんなが徐々に就職活動を終え始めたころ、やっぱり私はデジタルマーケティングをやりたい。ということに気づき始めた。しかも支店より本社で企画するところから携わりたいという欲がある。「よしっ!東京行ってくるわ!」と言い残し、履歴書とお泊まり用具を持って東京に住む友達んちに1ヶ月泊まらせてもらうことにした。

東京で就活を再開したわたしは、デジタルマーケティングをやりたい!という意志はあるが、デジタルマーケティングの広告施策をやりたいのか、データ分析をやりたいのか、何をやりたいかといった知識は皆無だった。

wantedlyで人事の人に連絡を取り、1日3社程度話を聞く&面接する日が始まった。私が興味あることを伝え、どういう会社なのかという説明を聞く。マッチしたら次の面接を受けるかを決める。

東京に来て1番驚いたのは、情報量の圧倒的差だ。東京ってこんなこともあるの!?インターンって大学からみんなしてるの!?こんなにも近くに最新のマーケティングに携わる企業があるの!?地方との差が半端なかった。

そんな大学4年生のここまでこんな世界を知らない就活生の私に、当たりが強い人もいたが、丁寧に説明してくれたりアドバイスをくれる人事担当者が多かった。素敵だなと思う企業がいくつかあったが、自分のマーケティングに関する知識能力不足により、自ら選考を辞退することもあった。そんな中ある会社の社長の理念に魅力を感じ、無事1社の内定を得ることができた。やっぱりその社長もイケメンでキラキラしていた。わたしはイケメンに弱いのかもしれないと、この時悟ってしまった。

無事就職先が決まり、大学時代の幕を閉じた。色んな人と知り合い、やったことのないことを沢山経験できた大学生活だった。

社会人 その1

新卒で入社したあと、わたしはひたすら電話をとり、先輩の行動を真似した。新卒なんぞ知識がなく出来ることがほぼない。だから、知識がなくてもできることを率先してやっていた。

ただ私は少し抜けているところがある。電話応対では加藤は2人いるからどちらを指すか確認するんだよ!と言われ、「(名前)でしょうか?(名前)はただいま外出しており〜」と説明し、先輩から名指しで呼ぶと彼氏感があるから、フルネームで呼んだ方がいいかもね!と注意されたり。とにかく色々抜けていることで、笑ってもらえることは多かった。

徐々に知識をインプット出来てきて、2年目は必死に先輩ぶった。2年目だからできるよね!という雰囲気を大いに感じ取り、わからなくてもわかるフリをした。

3年目は分かることが増え、仕事を任せてもらえることが増えてきた。自分の中で腑に落ちたことはきちんとクライアントへも説明できるし、案を練ることもできる。少しずつ仕事が楽しくなってきた、そんな時に事件は起きた。

わたしはとんでもなく無理なスケジュールの案件に入らされた。1ヶ月90時間残業が3ヶ月続き、さらにコロナウイルスが広まったことで在宅ワークが基本となった。家でそんだけ仕事してたら、身体も心も壊れる。私は仕事をする気が無くなった上に、ご飯を食べれなくなった。気持ち悪く吐いてしまうのだ。

真面目で忠実、責任感が強い人ほど、従ってしまう。従って溜め込んで溜め込んで自分を痛めつけてしまう。自己肯定感が低いわたしは、自分を自分で苦しめ続けていた。

しかし、会社側が優しく、私の状態に真摯に向き合ってくれたのが幸いだった。企業カウンセラーの人との面談をセッティングしてくれた。そのカウンセラーは話を聞き、発散させるのが目的ではなく、企業に雇われて働く人の企業復帰が目的だ。なので、働く上での心理的整理術を教えてもらった。

(具体的な心理整理術はこの記事でまとめている。)

気持ちが動いた時はひたすらそれを活用して、心理と事実を分けて整理する練習を行った。負の感情をエネルギーにする自己肯定感の低い女は、この心理整理術をもとに、少しずつ自分を大切にするようになる。

体と気持ちが少しずつ回復してきたころ、わたしは転職活動を始める。なんとなく環境を変えたかった。あと、将来やりたいことが見えてきた分、他のスキルをつけていきたかった。

わたしは地方のデジタルマーケティングの支援をすることが夢だ。分からない企業に対し、私がわかるようになってサポートしたい。だからこそ、幅広いデジタルマーケティングのスキルを身に付けたいし、コンサルタントのスキルも上げていきたい。

ところが、わたしはシャイな性格である。吸収することや物事を深ぼるよう考えていくことは大好きだ。しかしシャイなのである。よく想像されるガツガツ俺について来い!みたいなキラキラコンサルタントとはほど遠い。

だからこそ、またコンサルタントとして働くかについてすごく悩んだ。企業のマーケティング担当にいくのか、コンサルタントにいくのか。

迷いながらも転職活動を進めていた時のこと。一次面接が社長という不思議で珍しいコンサルティング会社を見つけた。その社長はずっとニコニコしており、質問すると楽しそうに語ってくれた。振り返るとわたしなんか話したかな?というくらい、社長が永遠に話してくれた。そこの面接がスイスイと進み、わたしはその会社に転職することになる。

社会人 その2

その会社では今までの価値観が全て覆されたといっても過言ではない。グローバルな会社で(純日本人で日本語しか話せないわたしがなぜ採用されたかは定かではない)色んな人生を歩む人たちが集まっていた。

今までのわたしは人とコミュニケーションをする時、相手の経歴を把握して、そこからネタを探していた。しかし、この会社ではそれが通用しなかった。

出身どこですか?
あー!ぼくは小学校までは(海外の学校)で、高校の時日本にいて、大学は(海外の学校)で、社会人になって日本へまた戻ってきたんだー♪

無理だ。覚えようとしても覚えられない。海外の学校名なんて言われてもわからないし、転々と居住地を変える人が多く、それを全て把握するのは不可能だった。

その結果、わたしはだいぶ適当になった。へぇ〜!(国名)って寒いイメージあるわ!とか。超限られた知っている知識を振り絞って、適当に反応する。海外の人って、楽観的な人が多い気がする。そうなんだ〜♪それは大変だったね〜♪とか、どうにかなるんじゃない〜?♪とか。

そして、この多様性という環境がわたしにはマッチしていた。比べられる環境はほんと苦でしかないし、競争心があまりない。だから、この多様性溢れるのびのびとした環境がとても過ごしやすかった。比べようとしても、母国や暮らしが違いすぎて比べられないのだ。

そんな自由な会社で大丈夫かと思うが、試用期間内に4つの資格を取り終えよという厳しい条件もあった。忠誠心の高いわたしは、はじめはビクビクと試験を受けていたが、何個も受けているうちに、自分の勉強方法が分かってきたり、今まで偏っていた、不足している分野の知識を知ることが出来、ウキウキして資格取得に望んでいた。

無事資格を取り終え、色んな人とチームで仕事を進めることになる。この会社の人達は、不思議な人達が多い。転職するまでの有給休暇は、バイクで北海道回ってましたー!とか、ゲストハウス繋がりで知り合いが47都道府県にいるという人とか。とにかく、旅をしたり、色んな新しい経験をすることが好きな人が多かった。1番驚いたのは、上司と部下という関係性が薄いことだ。感覚的には「知人」が近い気がする。20歳近く離れているコンサルタントと話していても、上司というより、私よりも経験の多いお姉さんという感じだ。

そういう人達に囲まれて過ごしていたところ、わたしの価値観は大きく変わっていった。変わっていった結果、6年間お付き合いした人とお別れをする決断をした。私にとっては大きな決断をしたつもりで、職場の人たちにも、ネガティブな感じで「最近長年お付き合いしてた人とお別れしたんです。」と伝えた。

周りの反応は思っていた以上に、軽い反応だった。「まぁ合わなかったならいんじゃない〜?」「若いんだしまだまだ出会いあるっしょ〜♪」。こんな人達に囲まれていたからこそ、深刻に考えずに済んだ。そして、お付き合いしてた人と別れる、離婚する、って全然ネガティブなことじゃないんだということを知った。「そうなんだ〜♪また良い人と出会えるといいね♪」と軽やかに言える人になろうと思った。

彼氏と別れて悲しんでたと思いきや、わたしの切り替えは早かった。2ヶ月後には、別の人とお付き合いしていたのだ。今、お付き合いが続いている人だ。

わたしはこの人の価値観に存分に影響を受けた。ストーリーをかっ飛ばすと、ミニマリストになり、よりオープンマインドになり、フレンドリーになった。何より、パートナーとの関係構築について、多くを学んでいる。

付き合いたての時期、彼がその時気に入っていた鍋のことを夢中に調べており、寂しくなった時があった。寂しいから、思いっきり拗ねた。それに対する彼の反応にマジでビビった。「俺も含め、人間ってさ、人の感情を察することって出来ないと思うんだよね。だから、今度から言葉にして伝えてもらえない?」「・・・はい。すみませんでした。」なんだこの人、ごもっともなことを普通に言いやがる。

あとわたしはモヤっとしたことを相手に伝えず、自分の中に溜め込み、仲の良い友達に吐き出す傾向にある。彼はそれにも厳しい。「パートナーとしてさ、関係を築きたいのであれば、友達に言っても根本的な解決はできないと思うんだよね。友達に言う前に、俺にモヤっとしたことを伝えてくれない?改善できるか、2人で話そうよ。」その通りすぎる。パートナーとの関係構築ってこうやってしていくのかと、学ぶことが多い。

楽観的で多様性のある職場と、オープンで合理的だけど優しい素敵な彼氏に囲まれ、わたしの夢もちょっと変わってきた。

前までは地方企業のマーケティングを支援したいと思っていた。今は、まず自分の見ている世界を広げていきたい。もっと色んな国の人と、文化と出会って、今まで見てきた世界はほんの一部にしか過ぎないってことを十分に感じたい。それから、地方に限らず、個性的なモノやサービスを広げるお仕事をしたい。変わっているモノやサービスが大好きだ。こんなに素敵なサービスがあるんだよ、と全力で広めたい。広められるマーケティングコンサルタントになりたい。

ここまでが、27歳になるわたしの物語である。

さいごに

断言できる。
誰でも人生を語れば、それは素敵な一つの物語になる。

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