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透明なkosei

「生理を”個性”と捉えれば 私たちはもっと生きやすくなる。」
8月18日に発表された、「花王 ロリエkosei-fulプロジェクト」の謳い文句です。
サイトはこちら。

なるほど!と思いました。

誰かが生理で休んだとき、 「お大事に」って口では言ったけれど、
心のどこかでは「生理で休むなんて…」と
思ってしまうことがあったり。

なるほど!

けれど、その違いを受け入れ合うことができれば。
違いを“個性”ととらえることができれば。

なるほど!

私たちはもっと気持ちよく 助け合えるはずだから。

なるほど!


ところで、すみません、学生なんで大人の職場の現状がはっきりとはわかりませんけれど、
女性同士で助け合いさえすれば、全部解決したんでしたっけ。

プールの授業を休んだ日、男子から向けられた好奇のまなざしも、
ポーチを手にトイレに駆け込むときの後ろめたさも、
男性の体育教師に「生理で…」と言えず口ごもる瞬間の恥ずかしさも、

女性の仲間うちで「つらいよね」「それぞれ個性があるよね」とやさしくやさしく共感し合ってさえいれば、きれいさっぱり忘れられるんでしたっけ。

無理ぽです。

男性諸氏は想像してください。
ひと月のうちのおよそ一週間、透明人間があなたに付きまとい、気まぐれに股間を蹴り上げてきます。その状況に無理解な女性陣は「そんな痛いわけなくね?」「わかんないけど別に平気なんでしょ?」と遠くで囁き合い、神妙な表情で歩み寄って来た同性の友人は「大変だよな・・・わかる!じゃあな!」と肩ポンして去っていく感じ。つらくて動けない時、女性の上司や教員に、「股間を透明人間に蹴られる男の子の日が来ちゃって・・・」としどろもどろに説明しなければなりません。

適切な喩えだったかどうかかなり不安ですが、要するにポイントは異性の無理解と、同性のシンプル同情。
あまりに恥ずかしく、かつ痛みは本人しか知りえないためあまりに孤独な状況だということです。

ここで”個性”という言葉に着目します。

「個性を認める」という一見ポジティブでオープンな理念は、異質なものに対する理解が未だ乏しい日本社会において、「理解をあきらめる」とそのまま表裏一体です。kosei-fulプロジェクトにおいて標榜される”個性”という言葉は、セオリーどおりていよく歪められています。

”個性”という言葉はもともとindividualityの翻訳語です。
これは”個人”を表すindividualの派生語ですが、辞書(『ジーニアス英和大辞典』大修館書店)を引くとこんな説明が載っています。

in・di・vid・u-al
名詞
1(集団・社会に対する)個人;構成員

kosei-fulプロジェクトは、本来、集団・社会に属する一人一人を指していた”個人”という言葉の範疇を、”女性”のみに規定しています。
生理(月経)に対する認識を変えようとうたいながらも、結局は女性でおさめる物事として矮小化されている。
何が言いたいかというと、”個性の認め合い”を標榜するのなら、男性も射程に入れることが必要だったのではないかということです。

ロリエが今回掲げた目標は、女性たちがお互いの生理の症状に抱く思い込みや無理解を解消していくことのようでした。女性同士がより助け合いやすくなれば現状の社会で生きていく際のストレスを軽減できるのもまた確かです。

しかし、現状を乗り切るだけの知恵ならばTwitterにいくらでも転がっています。

ロリエという、女性の声が入ってきやすいブランドだからこそ、間口を広げた意識改革のキャンペーンがこれからやっていけるのではないかと期待しています。


生理用ナプキンにお世話になっている一人の女性より。


最後に一つ。最近耳にする機会の増えたジェンダー・ギャップ指数(GGI)の国別ランキングで日本より13位上の国は韓国です。
韓国と言えば生理用品のCMで話題になったばかりでしたね。
有志の方が日本語字幕をつけてUPしていたものをこちらに貼ります。
https://twitter.com/june71379161/status/1285208075356364801?s=20

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