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食と共に玄米と共に

食の道への入口


ホーム上の自己紹介文にもありますが、かつて私は食に関する仕事に就いていました。

病院給食に学校給食、複数の飲食店や弁当店。
その大半は調理担当でしたが、ホール係の経験も。

子どもの頃から料理が好きだった事もあるのですが、何よりそのような流れとなる家庭環境が大きかったように思います。

新潟の片田舎、兼業農家に生まれた私。
当時の家族構成は、農業を営む祖父母と会社勤め共働きの両親、そして父の実弟である叔父、後に妹2人が誕生。

仕事に農業にと忙しかった母は、とにかく「(勉強よりも)家の手伝いをしなさい」と口うるさい人でした。

まだ小学校低学年だったある日。
母に米を研ぐよう言われ、見よう見まねで初めてそれを試みたところ、水替えの際に大量の米をこぼし叱られた思い出は今でも忘れられません。

それが心の傷になっている訳でも何でもないのですが、このエピソードを作文に書いていたくらいですから、子ども心に余程悔しかったのでしょう。
お陰さまで次の米研ぎは大成功。
その時母に褒められたかどうかまでは覚えていませんが、この体験・達成感が入り口となり食への道が開かれた気がします。

かくして私は、今度は手伝いの一環でサラダを作るようになったのですが、家族が食べてくれる様を眺めては「料理って楽しいな」と喜びを感じ始めていました。

そのような流れを経て小学校中学年になる頃は料理にもっと関心が沸き、更にはお菓子も作ってみたくなり、両親にせがんで買って貰ったのは子ども向けのクッキングブック。

今思えば無謀でしたが、小学校中学年には難易度が高めなカレー粉から作るカレーにまで挑戦した事も。

何を間違えたか、市販のカレールウで作った時とは比べものにならないほど不味いカレーが出来上がりましたが、それもまた面白い経験でした。

周りの友達が人形だゲームだと楽しく遊んでいる傍らで、私の楽しみはいつしか料理とお菓子作りになっていました(後にゲーム遊びもするようになるのですが)。

小学校4年生になるとクラブ活動が始まるのですが、ここでも私は迷わず料理クラブに入りました。

時間も限られる為、メニューは蒸しパンに始まって大学芋や焼きりんごなど簡単に作れるおやつが主なものでしたが、同じ趣味を持つ同級生や上級生達との交流が本当に楽しかったのをよく覚えています。

そして時同じくして、当時は画期的だった電気オーブンを父に買って貰った私。
これによって料理・お菓子作りの幅が一気に広がりました。

茹で卵をハンバーグだねで包みミートローフを焼いてみたり、クリスマスにローストチキンを焼いてみたり。

初めてロールケーキを作ろうとしたらスポンジ生地が全く膨らまず、ただ堅いだけの板状の固形物になってしまったり、配合を間違えたシュー生地が庫内で溶け出し横に広がって全部繋がってしまったりと失敗の連続でもありましたが、それもまた良い思い出です。


時を経て食の道へ


こうして料理とお菓子作り(食)にすっかり夢中になってしまった私。
小学校、中学校を経て、高校は農業高校の生活科(家政科に準ずるもの)に進学。

更に卒業後は調理師専門学校に進み、1年間の履修後に調理師免許取得。

そして飲食の世界へ……と繋がるのですが、何も考えず突っ走っていた20代終盤。

父の病気が発覚。
病名は胃癌。

胃の4分の3を切除する事とはなったものの、幸いにも予後は良好。

それまで暴飲暴食の限りを尽くしていた父でしたが、やはりそれが響いていたのか……と、この時ようやく我が事のように私の中に落とし込まれた出来事でもありました。

食によって身体を良くも悪くもするのならば……。

今度は身体を治す食という側面からもアプローチする時だ。
ありがたい事に私は病院給食を作っていた身。
これまでに培ったノウハウもある。

これを転換期に、私の中にまたひとつ新たな「食」の概念が生まれたのでした。

当時、実は両親は別居中(※後に離婚)。
私もまた既に生家を離れていた為、仕事の合間を縫っては病院へ赴いたり、父の退院後は食事を作りに足を運んだりと、それはそれは慌ただしい時期でもありましたが、まだまだ体力も気力も旺盛だった20代。
消化の良い物、身体の負担にならない食事で目に見えて快復する父の様に安堵したものでした。


新たなる気付き


そして私も30代に突入。

ここでまた、私自身の概念を揺るがす出来事が幾つも起こりました。

職場の同僚、そして幼馴染み(いずれも同年代女性)が相次いで病死。
奇しくも、共通して大腸がんを患っていました。

更には、今度は母に糖尿病が発覚。
それも既に合併症が現れた重篤な状態での診断、緊急入院。
母もまた、父と同様に暴飲暴食の限りを尽くして来た人でした。

そして事実、ここに至るまで私自身もまた仕事に忙殺され、それを言い訳に暴飲暴食を繰り返した結果、体調を崩した時期がありました。

これもまた何かのメッセージなのだろう。
食に関して、もっと学びを深めよという事なのではないか……。

全ての病がそうとは言えないが、食によって罹らなくても良い病に罹る事はやはりある。
そして、西洋医学をもってしても治らない病は治らない。

……これまで以上に強くそう感じた私。
今度は土台となる料理と共に本格的に食養生、更に東洋医学や自然療法の側面からも学んでみようと思い立ったのでした。


玄米生活の始まりと美味しい出会い


長くなりそうなので、学びの材料となったものなどに関しては別の機会で触れようと思いますが、こうしてまた新たな「気付き」を得た私。

先ず手始めに、自身の体調を整えるべく、主食に身体に良いと言われていた玄米を取り入れてみようと考えました。

それも、白米と混ぜるでもなければ分づきにするでもなく、何故か最初から玄米100%で炊いてみた私。

その時は軽い気持ちで何となく……というところもあり、堅い、不味い、匂いが気になるなどのネガティブなイメージのあった玄米だけに、続かなかったらそれもまぁ仕方ないだろう程度に考えていたのですが……。

初めて味わった玄米の、なんと美味しかったこと!!

プチプチとした食感と噛み応え、甘み滋味。

糠の匂いも特に気にならず、また元々堅い物が好きな私には、むしろ玄米のこの堅さが病み付きになりそうな程でもありました。

そして、そんな矢先、とある場所で有機栽培玄米の試食販売に遭遇。
土壌づくりから拘った自信作との事なので、物は試しと味わってみたところ、これが本当に美味しい!!

また、何と驚いた事に主人まで「白米よりも玄米の方が良い」と言うではありませんか。

さぁ、そのような訳で本格的に私の玄米生活が始まりました。

豊富に含まれる食物繊維にビタミン、ミネラル。
化学物質や重金属に対する解毒作用を持ち、完全食とも言われる玄米。

しかしながら私は、そんな理屈も抜きで玄米の虜となってしまったのでした。

以後、もう15年ほど玄米を常食していますが、折角身体に取り入れる物だから無農薬自然栽培又は有機栽培の玄米を選び、その時々の気分に応じて銘柄や炊き方を変えて楽しんでいます。

基本的にはコシヒカリ(原種)、ササニシキ、トドロキワセ、ササシグレ、亀の尾のいずれかを炊飯器又は圧力鍋で。
本当は、あれば昔ながらのガス釜で炊きたいところなのですが……。


玄米ご飯のおかずはシンプルに


さて。
かくして玄米生活が定着する事となった訳ですが、玄米ご飯の何が良いかといえば、不思議なほど満足感があり、思うほどおかずを欲しなくなった事。

副菜に梅干し、納豆、味噌汁があれば充分で、これに鰯の生姜煮(我が家は圧力鍋で調理)が加われば立派な御馳走です。

鰯の生姜煮を加えて。


お味噌汁には、お気に入り『マルカワみそ』さんの味噌を使っています。

一番よく使用している「日本」。
そのまま味わっても美味しい生味噌󠄀。
マルカワみそさんの味噌󠄀を使った具沢山味噌汁。


安心・安全、無農薬無添加の生味噌は、味噌汁のみならずそのまま生野菜に付けて食べたり、味噌味の料理に大活躍!!


又、玄米には小豆を加えて炊く事も。
小豆は北海道産きたろまん(無農薬)を使います。

艶めきから違うきたろまん。
自然栽培玄米に加えて。
小豆玄米ご飯に小梅干し。

↑↑
これはちょっと品数が多かった日の写真ですが、自宅で私ひとりの時は一汁一菜が基本。

ちなみに今日の昼食は小豆玄米ご飯に、マルカワみそさんの味噌と無添加キムチを併せてキムチ味噌汁に。


今回は私自身の食のあゆみ、そして後半は玄米に触れましたが、今後もこれらをテーマとした記事を綴って行こうと思います。

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございますm(_ _)m

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