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京都の起源は洛陽にあり?中国の有名な古都を巡る旅。
中国の洛陽という都市をご存知だろうか。
長安(現在の西安)にならぶ中国の歴代王朝の都、5000年の歴史を誇るともいわれる有名な古都だ。
実は日本とも関係が深い都市で、唐の時代には遣唐使が学びに来て、洛陽を模して京都を作ったともいわれる。
京都で耳にする、洛中、洛南などの「洛」は洛陽の「洛」。
一条、二条、と東西南北に碁盤の目のように道路を作ったのも、昔の洛陽と同じ作りだそう。
今の洛陽はその後の内乱などによって街の作りが少しずつ変わっていったそうで、
「昔の洛陽を見たければ京都に行こう!」
ともいうらしい。
今日はそんな洛陽の有名な史跡をご紹介したい。
洛陽の基本情報
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・河南省の西部に位置する。
・人口710万人(≒埼玉県)、面積約1万5000㎢(≒日本全国で2番目に大きい岩手県)。(2017年)
・黄河を始め複数の川が流れ、山々にも囲まれている。四季があり、陽当たりも良く、歴代の帝王が都を建てようと考えた土地。
・中国最古といわれる夏王朝(文字資料は出土していない)に相当する二里頭遺跡がある(新石器時代・紀元前1800年-紀元前1500年)。
・紀元前770年頃、殷を滅ぼした周王朝が都を置いたのがはじまり。
①世界遺産の龍門石窟(仏教)
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時代は南北朝時代(420-589年:隋が中国を再統一するまで)。北魏の皇帝が平城(今の大同)から洛陽に遷都した頃より建設開始。
まず洞窟を掘り、その後、周りの石を使って彫刻を施したようだ。
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当時の色も少し残っている。「ふくよか」が当時の美人像。
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昔は地面が高く、上部を作ってから徐々に地下へと掘っていったとの説も。
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左右の壁には数センチほどの小さな仏像が並ぶ。
唐三代皇帝の皇后の指示で建造。女性らしい雰囲気が特徴。
そしてなんと言っても有名なのが、先にも挙げた盧舎那仏。
同じく唐の三代皇帝高宗の時代(675年完成)で、皇后である則天武后の容姿に似せて造ったとされる。
「自らは阿弥陀如来の化身である」とし、則天武后の日常にかかる化粧品代などの全てをこの大仏の建造費に注ぎ込んだそう。
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これを見た遣唐使が、帰国後、奈良に大仏を造ったとされる。
いわれてみれば、どことなく似ている気もする。
実はこの則天武后、女傑というに相応しい女性でして。
というのも、中国史上、女性で皇帝に上り詰めたのは彼女一人のみなのだそう。
<則天武后について>
容姿がとても美しいといわれた才女。
唐の二代皇帝である李世民の妾(めかけ)であったが、皇帝崩御後、李世民の息子である三代皇帝高宗の皇后となる。
高宗は政治に関心が低く、実権は彼女が握った。
高宗崩御後、紆余曲折あるも、690年、自ら帝位に就く。
それまで唐の都は長安(現:西安)であったが、長安では女帝に対する反発も強く、彼女の時代に洛陽へ遷都、神都と改名した。国号も唐から周へ改号。
15年の治世はほぼ平穏な時代であったが、人柄にまつわる色々な逸話や、政治をほしいままにした等で、あまり前向きな評価は受けていないもよう。
龍門石窟は、唐代の高宗&則天武后の治世において最盛期を迎える。
唐代にもてはやされた仏教も、その後の王朝では弾圧(道教がもてはやされた)。
偶像崇拝禁止の時代にほとんどの仏像の顔が潰され、現在もそのままになっている。
②中国最古の仏教寺院:白馬寺
今から2000年ほど前の後漢時代に建てられた、中国最古の仏教寺院。
インドから有名なお坊さんが2人、白馬に経典や仏像を積み、説法のために当時の都である洛陽に来たことが、「白馬寺」の名の由来となっているそう。
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このインドのお坊さん2人は、洛陽に来て、インドの経典を中国語に訳したりと説法に努めたのち、洛陽で没。お墓はこの白馬寺内にある。
唐の時代の鑑真は、奈良時代に日本に来て仏教の布教に努めたのち、奈良で没した人。時代は異なるけれど、当時、海外へ行くことはまさに命がけの片道切符だったのか。両者に通ずるものを感じる。
日本のお坊さんについて詳しい訳ではないが、少し裕福なイメージがあるのは、私だけではないだろう。
しかし、中国の僧侶の生活は厳しいものだそう。
僧侶になると結婚できない、食事制限も厳しい(肉食禁止、お酒禁止、ニラやニンニクなどの臭い食べ物も禁止)。
地方政府の構造として、市政の下に宗教局というものが存在し、その下層組織に寺院がある。つまり、僧侶は中国では公務員の扱い。だが給与はなく、トイレットペーパーなどの生活に必要なものの支援を受けているのみ。朝夕のお経を読み、住み込みで暮らしている。
「そんな厳しい環境で僧侶を志す人がいるのかな…」
と思ったが、いろいろな事情を抱えている方や、大学で宗教を真剣に学んだ者など、様々な人がいる模様。
そして「朝锺暮鼓」は僧侶の生活を表す言葉。朝は鐘の音、夕刻は太鼓の音で時間を知らせていた。
その鼓楼、鐘楼は今も綺麗に保存されている。
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仏教には、中央世界、東の世界、西の世界があるようで。白馬寺もそれに因んで建てられているようだ。
例えば、引殿と呼ばれる西の世界では、阿弥陀如来様が極楽浄土の世界に迎え入れる仏像があったり。
中央にある大仏殿では、説法をする仏様の姿がある。
当時、遣唐使であった空海も、この白馬寺を訪れていたようで。日中平和友好25周年の時に建てられたという像があった。
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また皇帝の避暑地としても重要だった白馬寺。
「清涼台」と呼ばれる建物は、皇帝が教典を学んだ場所として残っている。
その左右には、上途のインド僧侶2名の仏像があり、皇帝から慕われていたことを物語っている。(風貌は書物の記載を参考に造ったらしい)
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現在、白馬寺は国際的なお寺を目指していて、タイ式やインド式の寺院も新たに建設中。(20年前から建設開始しているが、まだ完成していない)
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全般的に綺麗だったが、トイレのドアが閉まらずニーハオトイレ状態だったのは少し堪えた…
③関林廟(三国志の武将、関羽のお墓)
関林廟とは、三国志の一人、関羽を祀るお墓。
お墓にもランクがあり、林(=聖人)がつく人物は、中国史上二人だけ。
一人は武士の聖人である関羽、もう一人は文人の聖人である孔子。
関羽って孔子と並ぶくらい立派な方だったのか…!と驚き。
義に厚かった関羽の評価は、亡くなってからぐんぐん上がり、それこそ劉備(同じく三国志の一人)を超えているそう。
現在は商売の神様として祀られている。
関羽のお墓は4つ存在する。
当時の都であった洛陽に関羽の首を、それから魂、衣服、体は別の土地に埋葬されている。洛陽にあるのが本家。
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関羽は春秋をよく読んだ、と言われているそうで。
これだけは毎日の日課だったと。
その為、建物の一つに春秋殿がある。
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関羽が埋葬されているお墓には、コインを投げ入れるところがある。
そこで、関羽に聞こえるように音を立ててコインを投げ入れると、関羽の魂が目覚めてお守りしてくださるとの言い伝えがある。
おまけ:洛陽のB級グルメ
今回、春節(1月)の激混みなタイミングで旅行してしまったこともあり、予定していたレストランに入れない等のトラブルもあった。
でも一つだけ紹介したいグルメがある。それは…
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塩ネギ味。
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こんな豪快にスープにパン浸して食べるのってなかなかない気がする。
米が育ちにくい土地であるので、主食は粉ものがメインの洛陽。郷土料理としては汁ものが多くあるそう。
まとめ
洛陽を模して作ったとされる京都は、中国人からは「1500年前の洛陽」と評されている人気の地。
だから中国からの観光客も多いのか、と今回妙に納得した次第です。
その後の度重なる戦乱により昔のままの姿を見ることは出来ないけれど、一つ一つの史跡の規模には驚かされっぱなし。歴史好きにはたまらない土地です。
京都の起源は洛陽にあり。
興味があれば、一度洛陽に訪れてみてはいかがでしょうか🌷
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