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結婚3日前、たくさんの写真、覚悟。

実家で6時間かけておおよそ2000枚ほどの写真を漁ったときのことを記録しておく。
きっかけは、式の自作ムービーのための素材探し。

ほ小学校低学年あたりまでの細かな記憶が本当にない。非常に断片的。でもその「ほとんどない記憶」を写真が補ってくれる。
たくさんのたくさんの写真。カメラ目線の写真の何十倍も、カメラ目線でない私の写真の方が多く、いちいち「撮るよ」といわずに普通に過ごす私をひたすら写真に収めてくれていたことがわかる。
私こんな小さい頃に馬に乗ったことあったんだ。外国に連れて行ってくれたことがあったんだ。私の脳みそが「経験」をきちんと処理できるほど熟してない年齢に、色んな体験をさせてくれていた。

ただただ、愛されてきたことがわかる。
愛し続けてもらったことがわかる。
生まれた日の私はそれはそれは宝石のように扱われたことは知っていた、でも、ずっと続いていたことをようやく理解した。

私は父のことをいまあまり好きではないけれど、そしていくら素敵な写真を見つけたところでそれはそれ、いまはいまだし、
やはりこれからも父のことを心から愛せる日は来ないんだと思うけど、
小さい頃の写真はそんな将来のことなんて微塵も感じさせないくらい、仲の良い父娘が映っている。
わたしは父のことを愛せそうにないけれど、
父が私のことを愛し続けてくれたことは、
絶対に忘れないようにしようと思う。

そして、自分の写真を見つけたと同時に、私を産む前の母の写真を見つけた。
生まれたばかりの母、小さい頃の母、
女子大生の頃の母。新婚の母。

まだ若くて、今の私よりも若くて、肌がきれいで、「娘さん」だったころ。
写真の中の母は美人で、努力家で、そうして笑っている母を育てた祖母のことを思うと、母に幸せになっていてほしいと思う。
娘さんだった頃、おそらくいま抱えている苦労を知らない母のことを考えると、これから先幸せでいてほしいと思う。
まだ母は人生を折り返した年齢。
母の幸せに、これからの私の生き方は多分に影響しそうだと思うと少し怖くなる。
娘として、すこしでも母を幸せにすることができたらと覚悟がきまった。

そして、母の結婚式の写真を初めて見つけた。バブル期を彷彿とさせる豪華な結婚式。
ドレスを見たら、私が選んだ形とそっくりだった。母娘だなあ。

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