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色川武大『怪しい来客簿』引き写し

死体もああ数が多いと物質的になって怪も妖も感じない。
当時私は左のような戒律を自分に課していた。
一か所に淀まないこと。
あせって一足飛びに変化しようとしないこと。
他人とちがうバランスのとりかたをすること。
軽蔑されているうちは、なんとかそれを逆手にとってこちらも生きのびることができる。
山というものが、怖い。どうしてああなのか、納得がいかない。どの山であろうがいずれも異常であり、凶相に見える。
不気味なものというものはやはりこの世にあるのであり、それどころか、人間が本当に生きようとすると、恰好が整わなくなって化け物のようにならざるを得ない。
見舞いに行くべきだったと思いだしたときは後の祭りだった。毎日でも行って、叔父の在りようを眺め、私の在りようも見せ、完璧にはいかないにしても、それが''在る''ということなのであって、心の中でなにを思おうとそんなものは存在のかけらでもないのである。
父にとって眼のあたり眺めて知悉しているはずの祖父の全人生の、ほんの一部の小さな行為であったも、そこの部分が欠落したということであり、そうなると着物のほころびのように欠落が他へ伝播する可能性を生ずる。存在感というものは存外にもろいもので、そう思いはじめるのがまことに不快だ。
あの闘志がどこから出たか。信じられないことだが、私なりの解答を用意すれば、彼が皇軍だったからである。神を、自分の内側においたのである。
駄目な日は早くやめる以外にバランスをとる手段はない。
この笑いは不遜であろう。ここを笑われては誰も生きていけない。だから誰も笑わない。それはよくわかっているけれど、今でも思い出すと笑いがこみあげてくる。そうして、笑いがこみあげてくるようなことは、例外なくもっとも怖ろしいことなのである。
自分の軌跡はひとつしかない。年月がたつにつれて澱のようなものが心身にたまり、もう何も選ぶこともできず、昨日の自分をはてしなく続けていくよりほかにない。そう、はてしなくだ。助けて賜べやおん僧、である。そうして僧の存在も信じていない。助けてくれるものもなく、助かろうとも思っていない。この世は自然の定理のみ。だから、そのことを思いだしてはいけない。思いだすきっかけを造ってもいけない。注意深く何も考えず、その地点をすり抜けて転がるように生き終わってしまわなければならない。
心の外に裁判官をおけば、ミスった代償として罰がくだされ、量刑を得て、罪が帳消しになる。
私たちは生活のしくみの変化で、自分以外の権威を信じなくなり、信じすぎるという愚はおかさなくなったが、同時に裁判官もなくしてしまった。一度でもおかしたミスは永遠に自分の心の中に、かたのつかないものとして残るのである。私たちはお互いに、助け合うことはできない。許し合うことができるだけだ。そこで生きている以上、お互いにどれほど寛大になってもなりすぎることはないのである。
こういうときは吹く風に抵抗を示さず、ヤケになってどこまでも流れていくに限るので
おかしみがこみあげるようなときは大概この世に密着しているときである。

色川武大、雀聖阿佐田哲也としても知られる。むしろそちらの方が有名か。色川武大名義は純文学。むかし読んだ『狂人日記』はいまでも胸に突き刺さったまま抜けない。その透徹した筆致、諦観、しかし仄暗いものが後ろでかすかに揺らめく様、業、絡めとられること、他者との隔絶、真の無頼とはこの人と足穂のことだとわたしは思っている。『百』も読んだがどんなことが書かれていたか忘れてしまった。記録をつけるのは大事だ。しかし忘れてしまってもかまわない。顕在する記憶とは別に、潜在する記憶というものがある。通り過ぎた人生はすべてここに記録されている。無意識でかまわないのだ。わたしはなにが言いたいのか。わからない。言いたいことの周りをぐるぐると熊のようにうろつくだけだ。

しかしこうして引き写せば己の身となる。書くことは、打つことは身体を使うから。体得、という言葉があるように。体で得る。

現実と記憶が入り混じるその汽水域のような境界では、なにもかもが混沌としたまどろみの中で一つになる。そういう場の中では、どんな妖が立ち現れようと不思議ではない。

すべて酒とレコードと本に使わせていただきます。