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もはや映画!『竹光一刀流』/藤子F初期作品をぜーんぶ紹介⑪

1953年に『UTOPIA 最後の世界大戦』で単行本デビューを果たし、1954年に上京・トキワ荘へ入居、順調に仕事を増やしていったが、1955年にさっそく原稿の締め切りを守らない事件をやらかし、仕事数が急減。再起を果たすべく小さい仕事からコツコツと仕事に注力していくのが1956年となります。

デビュー作から今読める藤子F作品を片っ端から紹介していく「藤子F初期作品をぜーんぶ紹介」シリーズは本稿で11本目。現在1956年を絶賛紹介中である。


今回見ていく作品は、56~57年頃に「漫画王」という雑誌で発表された、少年剣士もののオリジナル作品。

「漫画王」は、秋田書店の「冒険王」から、対象読者層を下げた形でスピンオフした漫画専門月刊誌。「漫画王」「冒険王」といえば、「まんが道」などでもおなじみの雑誌で、藤子不二雄コンビでの初めての少年誌掲載作品『西部のどこかで』や、初の連載『四万年漂流』を掲載したことでも有名である。

デビューでお世話になり、再デビューともいえる1956年でも、藤子不二雄先生へのアプローチはあったようだ。主に「漫画王」の付録として、かなりのボリュームがある少年剣士ものやSF作品を次々と発表している。

今回見ていく『竹光一刀流』は48ページの分量である。このボリュームのオリジナルものを依頼してくるあたり、「漫画王」からの絶大な信頼を得ていることが伺える。

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『竹光一刀流』「冒険王」1956年6月号別冊付録

本作は大きく4章仕立てとなっている。

御前試合(10ページ)
月日は流れて・・・(13ページ)
風太郎なやむ(15ページ)
決斗(9ページ)

まずは、物語冒頭「御前試合」を簡単に紹介しておく。

主人公は、少年剣士・原陽介。タイトルからわかる通り、常に竹光を持ち歩く剣士で、真剣勝負はある理由から絶対にしないと心に誓っている。一級の剣の腕前を持ち、殿様からの信頼も絶大である。「るろうに剣心」を彷彿とさせるキャラ設定である。

そんな原陽介が、別の殿様の家来・鬼羽祖堂(おにわそどう)とどちらの剣術が上か、御前試合をすることになる。鬼羽も相当な腕前らしいが、原はあっと言う間にやり込めてしまう。

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悔しい鬼羽は、真剣での勝負を申し出るが、それを断る原。原は臆病者扱いされ、殿様からも真剣勝負を命じられるが「訳あってやれない」と受け入れない。命令を聞かない原に対して、殿様は「貴様のような臆病者はもう家来ではない」と城から追い出してしまう。

この一連の流れを見ていた、原の小さい頃からの友人・坂田風太郎が、間を取りなし、今からでも謝って真剣勝負をするように説得するが、原はやはり聞き入れない。坂田は絶交だと告げて、怒って行ってしまう。

そこに、もう一人の剣士が現れる。頭巾を被った浪人風情で、名は名乗らない。原の剣術の噂を聞いて、是非会ってみたいと尋ねてきたのだ。強い相手を見ると腕がムズムズするということで、さっそく勝負を申し出るが、原はここでもそれを無視。「僕は弱いよ」と言って、どこかへと去って行ってしまう。

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ここまでのを登場人物は以下となる。彼らはこの後どのように動いていくのか。

①原陽介
②鬼羽祖堂
③坂田風太郎
④無名剣士

①原陽介は凄腕の剣士だが、真剣をある理由から使わない。主君の命令でも動かないほどに信念は強い。城を追い出され、浪人としてどこかへと旅立つ

②鬼羽祖堂は、原に御前試合で敗れたことを恨みに思い、原を斬り捨てるべく一門を引き連れて、原の後を追う

③坂田風太郎は、自分の命令が聞けなかったことに怒りが静まらない殿様から原の討伐を命じられる。幼馴染相手は嫌だと抵抗するが、武士道のためだと説得され、嫌々ながら原の後を追う

④無名剣士は、やはり原との勝負がしたくて、原の後を追う

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第二章以降では、原陽介がどこかへと旅立ち、それを残りの3人が追うというストーリーとなっている。登場人物たちが、四つ巴で戦うという複雑なプロットであるが、読み進めてみると、これが見事に整理されている。


主人公は原陽介ではあるが、二章「月日は流れて…」からは実質的には風太郎の目線で物語が動いていく。この風太郎が原を探し出し、自らの使命に疑問を覚え、やがて自分も真剣を捨てるという展開に進む。

命を懸けた真剣勝負が本作のテーマではあるが、狂言回しの風太郎が愛嬌たっぷりで、まだ完成されていない人間の魅力も感じさせる。少年読者たちを物語の世界に入り込ませる重要な働きのキャラクターである。

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本作を読み進めて、まるで昔のプログラムピクチャーのようだと感じる。プログラムピクチャーとは、まだ映画が大衆娯楽の王さまだった頃、邦画5社(松竹・東宝・東映・日活・大映)が競い合って、毎週のように二本立て・三本立ての作品を公開していた時に量産された作品群のこと。

時代劇は、今のような大作だけではなく、小品規模で、娯楽に徹した作品が相当数作られていた。撮影所が抱えていた俳優やセットを使い回しながら、磨き上げた脚本と気鋭の監督が、ひたすら時代劇を製作していたのである。

僕はそうしたプログラムピクチャーの時代劇が好きで、かなりの本数を見ているのだが、『竹光一刀流』にはそうした軽さと脚本の妙みたいなものを強く感じさせるのである。

この当時はマンガを映画化するなどという発想はおそらく無かったに違いない。けれど、本作を読んでいると、主人公の年齢設定を上げるだけで立派な映画原作となりうる。今は猫も杓子もコミックからの映像化の流れだが、まだこの当時は、マンガの立場が相当に弱かったのだ。


さて物語は、鬼羽祖堂一味が悪役となり、竹光VS大勢の真剣という殺陣(たて)がクライマックスとなる。竹光が斬られ、残るさやだけで戦う様は、手に汗握るアクションとなっている。

原が真剣を嫌う理由や、無名剣士が何者であるかは、あえて今回は書かないので、是非興味ある方は「藤子・F・不二雄大全集」の「山びこ剣士」の巻を読んで頂きたい。先ほど述べたプログラムピクチャーのような娯楽作品が並ぶ素晴らしい一冊である。

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