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妻は静かに復讐する『コロリころげた木の根っこ』/ディープ&ダーク短編集②

「ディープ&ダーク短編集」と題して藤子F先生が、1973年9月~1974年9月の1年間に「ビックコミック」に発表した異色短編を紹介するシリーズ。本稿はその第二弾。

第一弾は下記。この記事では藤子F先生の大人向けSF短編を描くきっかけを紹介し、この作品が執筆された1973年当時の社会情勢を踏まえて内容の考察を行った。渾身の内容となっているので、是非お目通しのほど。

『定年退食』同様、本作もまた、ラスト一ページ=一コマで地に堕ちるような衝撃を受ける作品となっている。

『コロリころげた木の根っこ』
「ビックコミック」1974年4月10日号

タイトルは聞き覚えがあるだろう。北原白秋作詞の童謡「待ちぼうけ」の一説から取られている。念のため一番の歌詞だけ引用しておく。

待ちぼうけ、待ちぼうけ
ある日せっせと、野良稼ぎ
そこに兔がとんで出て
ころりころげた 木の根っこ

韓非子の説話「守株待兔(しゅしゅたいと)」を元にした内容で、昔話の類で読んだ人も多いと思う。そこで僕が注目してのは、この歌が1973年に教育テレビの「みんなのうた」で放送された事実である。民謡を得意としていたダークダックスが歌い上げ、僕も再放送で聞き覚えがある。

本作は1974年前半に描かれているので、この歌を耳にしてヒントを得た可能性がある。アイディアも、待っていれば転がってくるということなのかもしれない。


本作の内容は一言でいえば、日頃夫から虐待を受けている妻の復讐劇である。しかしその復讐方法が「待ちぼうけ」作戦であり、妻の心のうちは最後の最後まで明かされない。

作品構成はエピソードの積み重ね型で、話の筋がどこかに進んでいくものではない。暴君の夫と、夫にかしずく妻の異常な日常がどこか淡々と描かれる。

ところが、話を読み進めているとザワザワとした妙な違和感が残る。どこか変という感覚が積み重なっていき、ラスト一頁で物語の全貌が明らかとなると、それまでの違和感や妻の心の内が炙り出されて、驚愕を覚えるのである。


主要人物は3人。

主人公で読者の立場となる役割を担うのが、文芸公論社の新米編集者・西村である。彼は急な異動で雑誌編集者となり、作家の原稿取りにやってきた。この日が結婚記念日ということもあり、不在となることを妻の優子に責められて困っている。

西村が新しく担当する作家が大和である。亭主関白の次元を超えた暴君夫で、日常的に妻に対してDVを行っている。酒を好み、ウイスキーの瓶が空になると妻に当たり散らす。若い愛人を持っているがそれを奥さんに隠さず、むしろ不倫旅行の支度をさせている。作家の才能はあれど、人間としては最低な男である。

本作の影の主人公と言える存在が、大和の妻である。日常的に夫からの暴力を受けるが、大人しく言うことを聞き続ける。徹底的に受け身の姿勢は不気味ですらある。いつも何か新聞の切り抜きをしている。大和は自分を慕っているので20年も付き添っていると思っているが、妻の表情からはそういう様子は一切伺えない。

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物語は、新人編集者の西村から見た、大和家での一晩のお話である。大和がさっぱり原稿を書こうとしないので、西村は大和家に待機し、夜通し待ちぼうけしなくてはならない。その間、異常な夫婦関係を目の当たりにしていく。「家政婦が見た」の作りとなっている。


冒頭、公衆電話で妻に電話をしている西村は、持っていた書類を猿に取られてしまう。追いかけると、猿はある男のもとにすがりつく。この猿の飼い主こそが、作家の大和である。

この猿は、マレーシア産のカニクイ猿という種類で、動物好きの夫に妻がプレゼントしてくれたものらしい。

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西村は大和について家に行くと、大和は猿を逃がしたということで、いきなり妻に平手打ち。猿を逃がしたのは家庭を預かる妻の不行き届きという理不尽な理由である。

すぐに原稿を取って帰りたいのだが、大和はまだ何も書いていないのだという。取り掛かれば仕事は早いと言いながら、ウイスキーを飲もうと西村にも注いでくる。ところが、酒瓶の中身は空っぽのようだ。

するとニコニコしていた大和は豹変し、瓶を廊下に投げ出して、妻に「酒!!」と怒鳴る。そればかりか、酒を持ってきた妻を廊下へ突き飛ばす。

「ボトルが空になる時間くらい見計らえないのかっ。何年女房やってるんだ!!」

と、言っていることが無茶苦茶である。

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西村は長期戦を覚悟して、編集部に一度電話を入れようとする。書斎が二階で電話は一階。階段を降りて行こうとすると、先ほどの酒瓶が転がっていて危ない。廊下の脇に寄せて、電話をしにいく。

ところが電話を終えて階段を登っていくと、階段を上がり切ったところにまたしても酒瓶が転がっている。さきほど片付けたはずなのだが…。(違和感その①)

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西村はその後トイレを借りる。大和家のトイレはまだ水洗化していない汲み取り式であった。発酵してガスが充満して、ツーンと目に染みる西村。そしてトイレの片隅に、マッチと灰皿が置いてある。こんなところでタバコを吸っているのだろうか?(違和感その②)

西村は暇なので新聞を大和の妻から借りようとする。すると妻は何やら切り抜きをしていて、西村を見て一瞬驚くが、すぐにホッとため息をつく。(違和感その③)

新聞を読みながら階段を登っていく西村。すると登り切ったところで、またしても酒瓶が転がっており、今度はそれを踏んずけてしまい、階段から転落してしまう。大和はこれを見て激高し、「今までも何度も空き瓶はすぐ片付けろと注意したはずだ」と怒り狂う。これまで何度も空き瓶の放置をしているようなのである。(違和感その④)

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大和はテレビを見ていてさっぱり書き出さない。そればかりか、瀬戸内海への取材旅行を思いつき、妻に電話を持ってこさせて、電話を掛けさせて、愛人のルミちゃんを呼び出す。相変わらず大和の横暴はあまりに酷い。

すると今度は大和の家に、西村の妻から電話が入る。番号を調べて電話をしてきたらしい。急に結婚記念日に泊まりとなったので、怒って実家に帰ったことを報告する電話であった。これをニヤニヤと聞いていた大和は、奥さん教育がなってないと言い出す。

ここで大和の暴君論が出てくるので抜粋する。

「女房なんて力づくで押さえるべきものだよ。結局女が従うのは、男の強さ何だから」
「(女房を)あそこまで飼いならしたのは僕だよ。僕が牙を抜き、爪を切ったんだ」
「新婚第一夜!僕が何をやったと思う? ヤツをほったらかして芸者買い!!」
「男ならガーンとやりたまえ、ガーンと!!」

まあ無茶苦茶。ここまでされて、妻は何もしてないのだろうか?なぜ別れようとしないのだろうか?(違和感その⑤)

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愛人ルミちゃんとのすったもんだの後、大和と西村は夕飯を食べることになる。メニューは「今夜も」マグロの刺身にアジのフライだという。それを指摘すると妻は「申し訳ございません」と心無く謝ってくる。

謝っても結局またアジとマグロが出てくると大和は不満だが、「男子厨房に入らず」と言い出して、今の不満は取り消すと妻に告げる。大和はこの件で騒がなかったが、疑問は残る。なぜ妻はアジとマグロを出し続けるのか?(違和感その⑥)

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夕食後、大和は西村に妻についての愛情を語る。

「なんのかの言っても可愛いやつさ。僕は本当はヤツに感謝してるんだよ。愛していると言ってもいい。ヤツにもそれはわかっているはずだよ。だからこそ二十年間も付いてきてくれるんだ。この猿もあいつが買ってくれたのさ」

そして、大和は小説の構想がまとまったと告げる。題名は「コロリころげた木の根っこ」。童謡「待ちぼうけ」から着想を得たお話で、自分は手を下さずにひたすらチャンスを待つ受け身の人間を主人公にするのだという。

大和の酒が切れて、またも奥さんに怒鳴り散らすが、西村が代わりにウイスキーを探しに一階へと降りていく。大和の妻はお風呂に入っているようだ。そして妻の部屋を覗くと、新聞を切り抜いたスクラックブックが目に入る。

これまでの違和感の正体が明らかなる瞬間である。

スクラップされた記事
①「トイレが大爆発」・・・汲み取り式のトイレでタバコを吸ってガスに引火
②「おもちゃで大怪我」・・・階段の上に置き忘れたおもちゃに躓き首の骨を折る
③「ペットから伝染病」・・・東南アジア産の猿が運び屋
④「水銀汚染魚」・・・アジとマグロの安全量 など。

大和の妻は、新聞から得た情報を元に、暴君夫を自然死させる計略であったのだ。全ての違和感は、彼女の計略に繋がる伏線なのである。

スクラップ記事を読んで、真相に気がつく西村。部屋を出ると、階段の上で酒の瓶を転がせている妻の姿が見える。コロリ転げた木の根っこ・・・。

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童謡を元にして、ここまでブラックな作品を作り上げるF氏に驚愕する一本なのである。


SF短編考察やっていますので、目次から是非。


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