「抱けえっ!!抱けっ!抱けっー!」『ノスタル爺』/藤子Fの残留日本兵②
太平洋戦争では、アジア諸国の戦地で終戦を迎えたが、その報を聞くことなくそのまま現地で潜伏し続けていた人たちがいる。彼らのことを「残留日本兵」と呼ぶ。
前回の記事でもう少し詳しい説明をしているので、宜しければ先にご一読のほど。
「残留日本兵」たちは、たいていは終戦から2~3年くらいの間に発見されて帰国の途についたが、そのまま身を隠し続けて、何と1972年まで一人ジャングルで暮らし続けていた兵士がいた。実に終戦から27年ぶりに、日本が負けたことを知って、戦争の記憶も薄れ平和を謳歌している祖国へと戻ってきたのである。
その人の名は、横井庄一。当時、56歳。
「恥ずかしながら、生きながらえて帰って参りました」
彼の第一声である。日本兵の矜持のようなものを静かに感じさせる言葉だ。横井氏の、グアム島のジャングルでの壮絶な食生活、仲間との別れ、郷愁などは、どうぞ各人で調べて欲しい。とても現実の出来事とは思えない。
また、横井氏は帰国後、大きく変化してしまった日本を見てどう思ったのか。まるで浦島太郎になったかのような光景の中で、第二の人生をどのように過ごしたのか。何せ「よっこいしょういち」が流行語となってしまう国である。横井氏への興味は尽きない。
藤子先生は、この「横井さん帰国」に創作意欲が駆り立てられ、立て続けに2本の関連作を描いている。今回は、その内の一本『ノルタル爺』を詳細に見ていく。
この作品は、「横井さんの帰国」というテーマに、「ダムに沈む村」という藤子先生が好んで使うモチーフを重ねている。さらにそこに円環タイムパラドックスのSFネタを加えて、アイディアの三重奏といった緻密に構成で組み立てられている。藤子F先生がいかに天才かが、わかる大傑作となっている。
『ノスタル爺』
「ビックコミック」増刊オリジナル号1974年2月号/大全集1巻
今回「残留日本兵」の切り口で本作を取り上げたが、実際には複数の有力な藤子F先生が好んで使うモチーフが取り入れられている。まずはそれらをおさらいしておこう。
まず一つ目が、横井庄一さんという帰還兵の存在だ。30年近くも終戦を知らずにジャングルで隠密生活をして、突然平和ボケした日本に帰国した男がいたという事実が、創作意欲に刺激を与えた。
横井さんの存在が明らかでなかった時にも、同様のテーマを描いている。前回の記事で紹介したオバQの『戦争はおわったのに』や、21エモンでも10年間一人で漂流して帰還したパイロットの話『うるさいモンガー』などだ。そこに横井さんの存在が明らかとなったことで、本作と次回の記事で取り上げる「エスパー魔美」の『生きがい』という二つの傑作が生みだされた。
さらに本作の主人公を現代版の浦島太郎として扱っている。名前からして浦島太吉と分かりやすい。また、浦島の故郷で既にダムの底に沈んでしまった村には、立宮村(たつみやむら)という名が付いている。立→竜(たつ)と書き換えると立宮は、竜宮となり、これは浦島が招かれる竜宮城から取られている。水の底、というイメージとも重なる。
またこれも別の記事に改めるが、藤子作品では浦島太郎と桃太郎という二大昔話をベースにした作品が数多くある。特に浦島太郎は、700年後の世界に突如送られてしまうというSF的設定が好みであったらしく、頻繁に登場してくる。
浦島太郎ネタでは、「ドラえもん」『竜宮城の八日間』や、「T・Pぼん」の『浦島太郎即日帰郷』などが代表例である。
次に「ダムの底に沈む村」というモチーフも繰り返しF作品には登場する。こちらも、故郷が戻れぬ場所となる、という郷愁を誘うテーマがF先生の心に響くものがあるのだろう。代表的なものでは「パーマン」の『脱獄囚とおばあさん』、「みきおとミキオ」の『湖の底の村』などがある。
なお、次回の記事で紹介する「エスパー魔美」の『生きがい』は、なんとこちらも「帰還兵+ダムに沈む村」という本作と全く同じテーマで書き上げている。本作との比較も非常に興味深いポイントである。
そしてF先生の大得意のジャンル、「タイムパラドックス」も本作における重要なテーマだ。本作では特にF先生が好んで使う「存在の輪」と呼ばれるパラドックスを取り入れている。「存在の輪」とは、簡単に言うと、過去と未来が一つの円環で繋がり、どこが始まりかわからなくなる、というSF設定である。もっと詳細を、という方は下の記事を参照ください。
帰還兵・浦島太吉の過去の記憶の中に住む気ぶりじじい。物語が進み、過去の世界に入り込んだ太吉は、気ぶり扱いされて土蔵に閉じ込められ、気ぶりじじいとなる。浦島家の円環が見事に作り上げられている。
主題の部分をまとめてみると、帰還兵・ダムに沈む村・浦島太郎は、全て失われた過去という同様のテーマが含まれている。そこに、過去を取り戻すべく思い出の世界に入り込むというSF的設定を加えたのが本作、ということになるだろう。
「エスパー魔美」の『生きがい』は、タイムトラベルのようなSF設定に向かわずに、人間ドラマとして本作で描き切れなかった部分を主題にしている。
さて、長い前置きは以上として、中身を見ていく。
冒頭、墓参りにくる浦島太吉から始まる。日本に帰還して初めての帰郷だが、すでに生家を含む立宮村はダムの底。墓だけはダムに沈む前に移されたのか、以前から丘の上にあったのかはわからないが、荒れた草むらに残されている。
太吉が手を合わせたのは、里子という、太吉の妻の墓。妻と言っても、学徒動員が決まって、本家の総領が独身のままで戦地に赴けないという対面上の理由で、急きょ許嫁だった里子を、嫁にしたのだった。
同行してくれているおじさんが、太吉の空白の出来事を伝えてくれる。
里子と太吉の間には子供がいなかったし、里子はまだ若かった。太吉の戦死公報も出ていたので、再婚のチャンスがいくつもあった。しかし、里子は頑として首を縦に振らなかった。里子の人生は、太吉が全てだったのだ。
太吉は学徒出陣で戦地に赴きそれから30年だから、今の年齢は50歳程度。里子はほぼ同年代だろうから、40代後半までには亡くなったことになる。太吉も不幸だが、里子も薄幸の人生を送ったのだ。
太吉にとって、もう一人忘れ難い男がいた。それが気ぶりの爺さまだ。太吉が子供の頃から浦島家の土蔵に閉じ込められていた男で、太吉と里子が過ごした最初で最後の晩に、土蔵の格子を挟んで、「抱けえっ!!」と何度も叫び続けた爺さまである。
気ぶりの爺さまは、里子が死んで、後を追うように息を引き取ったのだという。
念のため、気ぶりとは気がふれているといった意味で、差別的ニュアンスも伴うため、一度はこのセリフがカットされたバージョンも作られている。本記事の底本とする藤子・F・不二雄大全集では、このセリフは復活しているので、この記事でも使用していく。
村には「でえだらがし」という樹齢千年にもなる巨木が立っていた。これもダムの底に沈んだが、水の澄んだ日には湖面からてっぺんが見えるという。ダムの底でまだ生きているのだ。
この樫の木が、村の象徴であり、太吉の思い出の中心地であり、過去と未来が繋がる接続面でもある。改めて読み返すと、太吉がでえだらがしに戻ってきた時が、太吉にとっての人生の折り返し地点であるということがわかる。
やや先取りしてしまうと、太吉の最初の半生は失うことの連続であった。戦地に送られて、ジャングルで30年も一人彷徨った。大好きだった里子と別れ、夫婦の思い出は作られなかった。
そしてそこからの半生は、気ぶりとして土蔵で過ごすことになるのだが、実は孤独ではない。土蔵の壁を挟んだ向こうには里子がいた。里子の息遣い、言葉、動きが感じ取っていたに違いない。直接的な交流は無かったにせよ、太吉は里子との思い出を取り戻す日々だったのだ。
太吉はひとりおじから離れて、ダムの水際まで降りることにする。里子との別れのシーンが頭に去来する。山道を下りながら、里子の言葉が思い出される。
「帰ってね。きっとよ! 死んじゃいや!! 待ってます。いつまでも。 きっときっと帰ってね」
いつしか、巨木の前に佇む太吉。もうこの辺は水没しているハズなのだが。懐かしい樫の木を見るとそんな疑問も消えて、根本に座り込む太吉。
里子の太吉に帰ってきて欲しいという強い念が引き寄せたのか、思い出の世界と現実世界の境界線が曖昧となる。里子の思いと巨木が、タイムパラドックスの起点なのだ。SF(すこしふしぎ)へのトリガーとも言える。
樫の木に腰掛け、太吉は里子との思い出を巡らす。村を離れて中学(今の高校)に入学することとなり、里子との一時の別れを惜しんだときのこと。二人の幸せな距離感が、眩しく、胸を締め付けられる。互いに思い合っていることが、互いに分かっている、あの気持ち。
そんな二人の前に駐在が現われ、二人を正気に戻す。土蔵から気ぶりの爺さんが逃げ出して、それを探していたのである。爺さまは大人しく害の無い男だが、人目を気にして放っておけないのだ。
駐在が去った後、二人の前に気ぶりの爺さんが姿を現わす。何かを言いたげで、何かを懐かしむような表情。爺さんは里子を見ていたのか、自分を見ていたのかは分からない。
けれど、思い出を通じて太吉と爺さんの視線が交錯した瞬間、太吉は何かを直感する。そして、太吉は走り出す。想い出の世界へと。
「予感があった。漠然とした予感は次第に形を成し、膨れ上がって確信となった」
「息苦しい期待と恐怖に駆り立てられ、走った。あの角を、あの角を曲がれば、曲がればそれがそこに・・・。」
「それはそこにあった」
「夢か、それとも気が狂ったのか。詮索する気など既にない。失われたはずのものが再びここにある!!」
「夢ならばさめるな!! 狂気よ去るな!!」
太吉は失ったものを取り戻すため、狂気の道を進むことを決意する。
過去の立宮村に辿り着き、まだ幼子だった里子を見つけて思わず抱きしめる。怪しいよそ者が現れたと、村人に捕まり袋叩きにされてしまう。太吉は、自ら浦島家の縁戚であると主張したため、浦島家に連れていかれる。
浦島家で、父親と対面する。自分の素性を説明し、父親は全てではないが太吉の話を理解する。少なくとも、太吉の顔は浦島一族のものだと認識する。その上で、気ぶり者が浦島家を名乗ることは、家名を汚すということで、村を去るよう、太吉に金を渡そうとする。
太吉はその申し出を断る。
「お言葉ですが、僕は一度失ったものを二度も失いたくありません。この村に留まります」
「土蔵に閉じ込めるぞ」と父親は脅すが、これに対しても
「是非とも土蔵に」
と手をついてお願いする太吉なのであった。
残りの人生を土蔵で暮らすことになった太吉。彼の人生は、ジャングルから土蔵へと、常に一人だけの世界で満たされ続けることになる。しかし後者は、自ら選んだ道だ。
土蔵の外では、幼い太吉と里子が、自分を話題に会話をしている。お化け扱いされているが、「俺が里子を守ってやる」という幼かった自分の勇ましい言葉を聞いて、太吉は幸せな表情を浮かべる。
里子を見守る日々の始まりである。
太吉はそれから何十年という日々を土蔵で暮らし、里子の最期を看取って、自分もその生涯を終えるのであった。
ところで本作は、「抱けぇ!」というあまりにインパクトの強いシーンが印象的だが、何故彼はこの時そのようなことを叫んだのだろうか。結局抱くこともなく終わってしまった二人への強い思いが発せられたのだろうか。抱かずに戦地に赴いたことへの後悔から出た言葉だろうか。このあたりは謎である。
余韻に包まれつつ、本作の解説を終えたい。