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とにかく可愛い!富裕層向けマンガ『ゆりかちゃん』/藤子F初期作品をぜーんぶ紹介!!②

藤子F先生の富山~上京~トキワ荘時代に描かれた作品は、ファン垂涎の貴重なものばかり。これを読むのは長年の夢だったわけだが、藤子・F・不二雄大全集のおかげで、かなりの数の初期作品を読むことができるようになった。

改めてこの頃の作品を読んでいくと、後のF作品に出てくる重要なモチーフだったり、テーマが既にびっしりと詰まっていたりする。そのあたりを、「初期作品をぜーんぶ紹介!!」シリーズと題して、少しずつ、丁寧に初期作品を検証していく企画。原則、発表順で取り上げていく。

ちなみに前回の記事はこちら。短編5本を紹介した。

今回は、1954年の年末から連載が始まった『ゆりかちゃん』を取り上げる。

『ゆりかちゃん』
「少女」1954年12月~1955年10月号/初期少女・幼年作品

上京後初めての連載、かつ初めて少女向け雑誌に掲載された作品。光文社から出版されていた少女向け月刊誌「少女」で連載された。新年増刊号も含めて、全部で10作が描かれた。各話のタイトルは以下のようになる。。

「帰らないで!」1954年12月号 2P
「おそるべき子ネコ」1955年1月号 3P
「時は金なり」1955年新年増刊号 4P
「ダマちゃん来襲」1955年2月号 3P
「シネマ・スコープさん」1955年3月号 3P
「エイプリルフール」1955年4月号 2P
「魔法使い」1955年5月号 2P
「カメラマン」1955年6月号 2P
「お留守番」1955年9月号 2P
「てんらん会」1955年10月号 2P

7月号と8月号が未掲載となっているが、これはおそらく1955年初頭の原稿大量落っことし事件の余波ではないかと想像される。55年の春あたりは執筆をしていないはずなので、「ゆりかちゃん」はその前に何本かまとめて原稿を渡しておいたのではないだろうか。原稿が途絶えて中断し、その後連載を再開したのではないかと思われるが、事実はどうだったのだろうか。

「少女」では、本作の連載終了後、続けて11月号から短編や連載などの掲載が続いており、「まんが道」で一時完全に業界から干されたように描かれていたが、関係が継続できている編集部もあったのではないかと推察されるのである。

ちなみに本作は、女の子を主人公とした連載マンガだが、他には「エスパー魔美」と「チンプイ」しかない。その意味でも貴重な作品となっている。


では中身を検証していこう。
まず初回の「帰らないで!」。
「連載スタート」といった煽りも何もなくすっと始まった。ゆりかちゃんがおばさんの家を訪ねると、子供たち3人だけで留守番をしており、暇を持て余していた子供たちに、あの手この手で引き止められる、という非常に他愛のないエピソードとなっている。ゆりかちゃんは、頭の大きなリボンが特徴的で、衣装が毎回凝っていて、少し高そうな服をいつも着ている。

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次に「おそるべき子ネコ」
ゆりかちゃんのお兄さんが初登場。正月号ということで、お兄さんがお年玉をあげようと言い出すのだが、それはお金ではなく、友達から貰ってきたネコのシロだった。このシロが賢く、ゆりかとお兄さんを翻弄していく…。藤子F先生の生活マンガ路線では、時節柄を取り入れたエピソードが多く、さっそく本作でもお正月をお話のきっかけにしている。ゆりかのお兄さんはテストで0点を取っており、のび太に連なるデキの悪い少年の系譜は本作から既に始まっているようだ。

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お正月増刊号に掲載された「時は金なり」。
2色カラーの4P作品で、最も読み応えのある一本。「時は金なり」ということで、何においても効率的に行動するとお兄さんが言い出し、騒動を巻き起こしていく。布団の上げ下ろしを短縮するために押し入れで寝たり、ご飯とおかずとお茶を全部混ぜて食べたり、年賀状にクリスマスや暑中見舞いの文言も書き込んだり、と非常識な能率アイディアが続出。ユリカちゃんというよりは、お兄さんが主人公の作品である。

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「ダマちゃん来襲」
わからず屋のダマちゃんといういたずらっ子の男の子がやってきて、その扱いに困るゆりかちゃんとお兄さん。困った人が家にやってくる、というモチーフは「ドラえもん」「オバケのQ太郎」などでも見受けられる。ラストのコマで初めて「つづく」という表記が入っている。ダマちゃんのインパクトは強く、この後も数度登場する準レギュラーメンバーとなる。

「シネマ・スコープさん」
ぽっちゃりとした女の子が転校してくるのだが、シネマ・スコープというあだ名を付けていじる子供たち。でも堂々としているシネマ・スコープさんは、いじってくる男の子を逆に先生から庇ってあげたり、重いものを運んだりする力強さを見せて、クラスの子たちに一目置かれる存在となる。

シネマ・スコープ(シネスコ)の説明をしておくと、横長の映画のスクリーンサイズのことを指す。映画は戦前からスタンダードという1:1.33の、見ためとしては正方形に近いサイズが主流だったが、昭和30年頃からシネスコが導入され始めた。縦横比率は映画会社によって微差はあるが、大体1:2.35で、見ための印象ではスタンダードの倍くらいの横幅となっている。本作が描かれた1955年は、洋画でシネスコ映画がチラホラ現れ始めたが、邦画はまだ開発途上という段階だった。少女向け雑誌で、シネマ・スコープというあだ名を付ける話が成立するほど、この時代は映画が生活の主流であったのだ。なお、現在の主流はビスタビジョンサイズとなっている。

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4月号掲載の「エイプリルフール」
藤子F先生は、エイプリルフール(四月バカ)のネタが大得意。数えきれないほどの作品を描いていて、おそらく本作がその最初であったと思われる。お兄さんがエイプリルフールをよいことに、ゆりかに「映画に連れていく、靴も買ってやる…」などと大盤振る舞いの約束をする。喜ぶゆりかに対して、エイプリルフールのネタバラシをすると、日めくりカレンダーをめくるのを忘れていたので、実は今日は4月2日だったというオチ。

似たようなストーリーが「パーマン」の『四月バカ』で描かれている。この頃は四月バカ(四月馬鹿)が一般的だったと思うが、エイプリリフールという言い方も、大正時代から一般的に使われていたらしい。ただおしゃれな言い方であるのは間違いなく、前作のシネマ・スコープといい、「少女」の対象読者は生活に余裕のある富裕層向けだったのかも知れない。

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「魔法使い」
魔法使いに憧れるゆりかちゃん。試しに魔法を念じてみると、あら不思議、お兄さんが動けなくなる…が、実は靴が壊れて立ち止まっていただけだった。魔法に憧れる少女というモチーフは、藤子作品にずっと流れていくテーマの一つ。

「カメラマン」
ゆりかとお兄さんが、カメラを持って街に出てのひと騒動。前回の記事で取り上げた短編『暴風の奇術』でも、カメラがミステリの小道具として使われていた。藤子F先生のカメラ好きは有名で、夢カメラシリーズという短編連作もあるし、「ドラえもん」「キテレツ大百科」などでもカメラをベースとした道具が数多く登場する。ただこの時代、カメラはまだ高級品だと思われ、やはり「少女」読者家庭は、生活が豊かなのではないかと思われる。この回もラストのコマで「つづく」と書かれているが、この後二号休載となる。

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前作から2号空けての「お留守番」
ゆりかとお兄さんのどちらが留守番をするか、というやりとりを描く。ダマちゃんが「カメラマン」に続けて三度目の登場。オチにも使われている。賢いゆりかとお調子者のお兄さんという関係性が、連載が続く中で成熟してきた感を受ける。

連載最後となった「てんらん会」
お兄さんの学校の学園祭での美術展の準備を手伝うことになるゆりか。またもそこではひと騒動が起こる…。全部で15コマしかないが、矢継ぎ早にギャグを詰め込んでいる。コマ数を極力削りながら物語を展開する能力は、すでにこの頃から一級品であることが良くわかる一本。最終回らしいことは全く無いままに「ゆりかちゃん」は終了となる。

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生活マンガの系譜の作品ということもあって、その後大量に描かれる「ドラえもん」「オバQ」などでよく見かけるネタが、既にこの頃から多数登場しているのが特徴的。主人公はゆりかちゃんだが、お惚けなお兄ちゃんが良い味を出しており、作品によっては主人公のような立ち回りを見せる。その後ののび太型のキャラクターの原型とも言えそうだ。


もっと他の作品も紹介するつもりが、今回は「ゆりかちゃん」のみとなってしまった。「初期作品をぜーんぶ紹介!!」シリーズは完結までかなり時間が掛かりそうだ。

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