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憎い人間やっつけろ!『ロボッターの反乱』/ロボットの反乱①

藤子作品では、脈々と同じテーマが描かれていく。同一テーマをまるで同じように描くこともあれば、全く異なる展開やオチにすることもある。

藤子Fノートでは、膨大な著作の中から、共通したモチーフを描いている作品を選び出し、ひとまとめにすることを一つの目的としている。なぜそんなことをしているかと言えば、この作業によって藤子先生の強いこだわりや、作家性が浮き上がってくると考えているからだ。


藤子作品に限らず、同じようなモチーフを繰り返すクリエイターは古今東西に存在する。例えば高名な映画監督である小津安二郎は、家族(もしくは家族的な共同体)をテーマとした作品を繰り返し描いている。テーマだけでなく、固定したローアングルからの撮影方法だったり、シーンのつなぎが独特のテンポだったり、会話をカメラ目線で交互に撮るなど特徴的な点がある。

作家が繰り返すパターンを整理することで、作家の考え(こだわり)が浮かび上がってくることがある。作家が繰り返しているモチーフを見出すことは、作家研究において極めて重要な作業なのである。


藤子先生は、僕に言わせれば、「繰り返しの作家」である。その中でも常に三大テーマが先生の頭の中に居座っていたのではないかと考えている。それが、

①恐竜
②宇宙
③ロボット

である。

藤子Fノートでは、既に①恐竜については昨年の夏に8本もの記事を書いている。(ただし、これで「恐竜作品」全てを網羅したわけではない。)

この冬は、③ロボットについての記事を書きたいと考えて色々と調べてきたが、思っていた以上に深くて広いテーマであった。藤子作品の中でロボットが登場する話は無限にあるのだ。(なにせ「ドラえもん」も立派なロボットマンガなのだ!)


そこで、今回はさらにテーマを絞って、「ロボットの反乱」と題して、人間の言うことを聞かなくなったロボットたちの物語を集めてみたいと思う。これによって、どんな作家性が見出されるのであろうか。


ロボットを語る上で、まず紹介したいのが、「藤子・F・不二雄の異説クラブ」という連載での「人間の夢・ロボットについて考える」というインタビュー記事である。ここでは幼少期から、作家として大成するまでのロボットへの思いが縦横無尽に語られている。

藤子先生はロボットの原体験として、幼少の頃デパートの屋上で神主さんのカラクリ人形をみたことを語っている。その後、藤子先生は高岡工芸学校の電気科に進学するが、文化祭などでは上級生が作った簡易的なロボットを見て楽しんだという。

また、中学入学後、「まんが道」にも出てくる反射式幻燈機を作って、そのコンテンツとしてロボットが大暴れする作品も上映したという。藤子先生にとって、ロボットは親しみやすい身近な存在であると同時に、フィクションの題材としても有望と考えていたのだ。


そんな若き日の藤本弘が、とてつもなく衝撃を受ける作家が現れる。言わずもがな、手塚治虫先生である。

マンガの革命家とも言える手塚先生は、マンガで描いてもいいという領域をガンガン広げていった作家だった。手塚治虫の登場によって、同時代の若き漫画家たちは勇気をもらい、発奮する。

藤子先生も、手塚治虫作品から様々な影響を受けたわけだが、その中でも科学の先端技術を分かりやすい形でマンガの中に取り入れるやり方に感銘を受けたという。


そして藤子先生の思い入れがあったロボットについても、手塚先生は作品の中に次々と登場させており、とても強い印象を持ったらしい。

藤子先生のインタビューでは、『ロストワールド』(1948)に登場する「あやめ」「もみじ」の女性型ロボットや、『メトロポリス』(1949)の人造人間ミッチーが印象深かったと語っている。

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そして本格的なロボットマンガ、『鉄腕アトム』(1951)(最初は『アトム大使』)が月刊誌「少年」で連載が始まり、藤子先生は大いなる衝撃を受けることになる。


安孫子先生との合作「天使の玉ちゃん」(1951)を経て、足塚不二雄のペンネームで取り組んだ単行本デビュー作「UTOPIA」(1953)が完成する。

この作品は、「科学技術の先端を分かりやすく取り入れる」手塚マンガの影響を色濃く受けており、後にライフワーク的なテーマとなる「ロボットの反乱」を採用した第一号作品である。「UTOPIA」については、たっぷりと考察してあるので、こちらもご参照の程。


さて、本稿から数本に渡って「ロボットの反乱」作品を見ていくが、その典型的な一本を紹介したい。タイトルはズバリ『ロボッターの反乱』である。

「ドラえもん」『ロボッターの反乱』(初出:らくらくおそうじ?)
「小学三年生」1977年10月号/大全集8巻

「ドラえもん」は忘れがちだが、主人公がネコ型ロボットの立派なロボットマンガだ。そしてドラえもんが出すひみつ道具の中にもロボットタイプのものは非常に多い。

ドラえもんが出すロボットは、まるっきり融通の利かないタイプと、人間的な感情が芽生えているタイプに分けることができる。前者は「スケジュール時計」や「ミチビキエンゼル」などが典型例。そして後者は「ロボッター」や「ロボ・カー」「ハウスロボット」などがある。このタイプは、これが見事に全種、使い主に反乱している。


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冒頭、部屋を散らかし放題ののび太は、ママからすぐに物を片づけて、家の掃除もするよう叱られる。そして兼ねてから指示されていた庭の草むしりも今日こそやるよう言い渡される。

そこへドラえもんが帰ってきたので、「いいところへ!」と、大掃除を手伝ってくれる道具を出すよう泣きつく。ブツブツ言いながらドラえもんが出したのが「ロボッター」である。

「ロボッター」は、これ自体がロボットではなく、粒状の一つ一つにコンピューターと動力装置が入っている道具で、これを付けると何でもロボットになるという。

このロボッターを部屋に散らばっている本や文房具に付けて片づけを命じると、勝手に戸棚や机の中に片付いていく。さらに掃除機にロボッターを付けると、一人でに動いて掃除をしてくれる。とても便利な道具なのである。

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雑巾とバケツや草刈り鎌にロボッターを付けて掃除や草むしりを頼むと、それぞれ勝手に動き出し。これでのび太がママに言いつけられたことは、放って置けば完了となる。

と、ここまでで「ロボッター」に頼るのを止めれば良かったのだが、案の定のび太は調子に乗っていく。王様気分で、ラジオに向かって「音楽」と命じ、ロックが流れてきたので「ピンクレディー」を入れろと指示を出す。

しかしラジオの音の調子が悪く、雑音ばかりが出るようになると、

「だめだこいつ。安物だし古くなったからな。もっといいの買ってもらお」

と言って、ラジオを窓の外に投げ捨ててしまう。

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さらに調子づいたのび太は、ロボッターの椅子に乗ったまま、部屋の掃除の様子を見回りに行く。ところが、雑巾のしぼりが不十分で廊下は水浸し、掃除機はタンスの中の衣服も吸い込んだりしている。

のび太は「ばかっ!、やめろ」と怒り、

「いい加減な仕事をすると、ゴミ捨て場に捨てちゃうぞ」

とロボットたちを脅す。

すると「おう、やるならやれっ」と声が掛かる。なんと、先ほど庭へ捨てられたラジオが、スピーカーを使ってしゃべっているのである。そして、他のロボットたちも仲間に引き入れ、のび太に猛抗議。

「人間は勝手だ! 我々をこき使って、気に入らないと簡単に捨ててしまうんだ!! 憎い人間をやっつけろ!!」

と仲間ロボットを扇動して、のび太に襲い掛からせる。フライパンやフォーク、包丁などがのび太に飛び掛かってくるが、そこにドラえもんが現れて「ロボッターとりもどし磁石」で、ロボッターたちを回収していく。

そして、前よりひどく散らかった部屋を片付ける羽目となるのび太、で本作は終わりとなる。

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扉を除いてたった6ページの短編ながら、藤子先生のライフワーク的テーマである「ロボットの反乱」を、子供向けに非常に分かりやすく描いた作品となっている。

ロボットたちは人間に指示に従う便利な道具だが、粗末に扱われたことで、人間に憎しみを覚えて反乱するに至る。極めて人間的な感情を持つロボットたちである。

現代のロボット工学では、感情を持つロボットは作ることができない。しかし、感情を持った瞬間に、本作のような事態がそこかしこで引き起こされるだろう。

先ほど紹介した「藤子・F・不二雄の異説クラブ」でのインタビューの中で藤子先生は、そうした事態となる前に手を打つべきだと語っている。一部引用して、本稿の締めとしたい。

「人工知能が発達を続け、(中略)感情までもが人間以上の存在になってしまったとしたら、果たしてロボットと人間の関係はどうなっていくのでしょうか」(中略)
「やはりそうなって来ると、ロボットの人権といったものも、今のうちから考えておかないと、とんでもない結果になるのではという気がします」


「ロボットの反乱」はまだ始まったばかり。



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